相葉雅紀と答えよう | 相葉雅紀に首ったけ

相葉雅紀に首ったけ

人間・相葉雅紀を心から尊敬し愛してしまったシングルマザーです。
あいばか娘と共に、相葉ちゃん漬けの毎日を送っています。
初めての方も気軽に遊びに来て下さいね♪

 

 

 

 

さ さ さ 寒い・・・・・寒い寒い寒いブルブル

 

 

息も凍りそうなこの日(8日)は、母の命日。

 

その約1か月後に東日本大震災があり、2011年は悲しみの年だった。

 

 

 

 

あれから8年もの月日が流れたんだなぁ

 

遺影の中で微笑む母は、1度も怒ることのなかった人だった。

 

「まんぷく」ではないけれど、それこそ武士の娘の娘。

いつも毅然とした態度で凛としていて、だけど優しい人。

 

 

 

 

 

いまでも思い出す出来事がある。

 

ある日私は帰省をしたおり言った。

「だいこん(娘)の影響か、ママも嵐のファンになっちゃった!」

 

そして「ひときわ好きな人がこの人・相葉雅紀ドキドキ」ってね。

帰省の度に、雑誌などを見せて「この人さ」って教え込む私クスクス

 

 

 

それから少しずつ覚えてきて、雅紀だけ区別がつけるようになった。

母は指さして得意げに言うんだ。

 

「あんたの好きな人はこの人相葉だね?  覚えたよにや

 

 

なぜか「相葉」と呼び捨てするのが、意外で面白かったっけ。

そして必ず「ふふふ」と、いたずらっ子のように笑っていた。

 

 

 

 

母がガンだと分かった時は、すでにステージ3の終わりから4。

痛みもかなりだったのに・・・・・

 

 

私がお見舞いに行っても、そんなそぶりは一切見せない。

そして言うんだ。

 

 

まだ相葉がいいのかい?にや」と。

またいたずらっ子の様な表情でね。

 

 

 

ちょうどその頃、娘だいこんが嵐ツアーに初めて当選をした。

私は興奮気味に母に言った。

 

「今度ね、だいこんと嵐のコンサートに行って来るよ!うふふふ

 

 

そうとう嬉しそうに話していたのだろうか。

母は財布を手にした。

そして「これで嵐とやらのコンサートに行っておいで。」と。

 

 

 

 

そう。

私と娘の初めての嵐コンは、母に行かせてもらったと同じ。

 

まだアメブロをやっていなかった頃だ。

誰一人友達もいない。

右も左もわからず、5万人の波に飲まれ右往左往。

何だかわからず、親子席にしたんだったなぁ。

 

終わった時は、娘に言われた。

「私も立ちたかった!」

 

 

 

生の嵐さんに会えるのは初めて。

興奮と感動と、訳の分からない幸せな感情でいっぱいだった。

 

相葉ちゃんのうちわを初めて買い、翌日それをもって母の病院へ。

興奮しながら報告する私を、嬉しそうに微笑みながら聞いていたっけ・・・・・

 

 

そんな報告出来たのも、その時の1回きりだった。

 

 

 

もっと・・・・・

もっともっと聞いて欲しかったよ。

もっともっと報告したかったよ。

 

 

 

 

 

もし今も生きていたら、やっぱり今年も聞かれただろう。

 

まだ相葉がいいのかい?」と、いたずらっぽくね。

 

 

 

 

 

そして私は答えるんだ。

 

うん、今もこの先もず~っと変わらず相葉雅紀だよ!

 

そう力強く。

 

 

 

 

それでは、またねsei