2度目のキュンパス


2011年3月11日 14:16に東北地方で発生した地震と津波は瞬く間に2万人以上の人を呑み込んだ

私はその時、東京の高層階のオフィスビルにいながら、立っていることすらできないような強く、そして長く続く揺れにビルの倒壊と死すら覚悟した記憶がある

13年間その恐怖からは目を背けて生きてきたが、今年の北陸大震災を再び目の当たりにして、やはり生きている内に一度は被災地を訪れてみよう

そんなことを考えて2度目の「キュンバス」は陸前高田の「奇跡の一本松」に決めた

  東北新幹線  仙台経由で一ノ関へ



朝5:30 新川崎始発に乗り込む

乗り換え駅の一ノ関で停まる東北新幹線は指定席は全て満席

始発の6:04東京駅発やまびこ51号の自由席で立って行くことを覚悟で乗るしかないかネガティブ

そんな状況の中、奇跡的に臨時列車、仙台行のやまびこ121号6:12発に空席を見つけた

多少面倒ではあるが、仙台駅で乗り換えて一ノ関駅を目指すことにした




仙台から一ノ関へははやぶさ101号に乗り換える

仙台での待ち時間は約40分

短い区間だが、はやぶさは全席指定なのでこれでもう「キュンパス」の指定席の権利2回分を使い果たしてしまったことになる

しかしこれから三陸鉄道を1時間半、BRTを30分のることを考えると指定席に座れて体力温存できたのはラッキーだ


  三陸鉄道 大船渡線で気仙沼へ




一ノ関は平泉や猊鼻溪などの中継地点だが駅の周辺には、観光案内所以外に時間を潰すようなところはない

待ち時間50分ほどあったが、駅に併設のカフェで一息つくことができたのは幸いだった



気仙沼へ向かう三陸鉄道大船渡線はJR東日本なので「キュンパス」でカバーできる

2両編成で、電化されておらずディーゼルエンジンなので乗り心地は悪い



ほぼ全区間山の中なので、車窓もこれといったものはない

一ノ関駅から気仙沼駅までは1時間30分ほどのる

ようやく気仙沼駅へ当着

ここでも待ち時間20分

駅前にはカフェすらない


気仙沼からBRTで陸前高田へ 



気仙沼駅で大船渡行きのBRTと呼ばれるバスに乗り、陸前高田へと向かう

これもJR東日本運行するバスなのでキュンパスが利用できる

BRTはかつて鉄道が走っていた軌道が津波で破壊されたため、その鉄道軌道を道路に整備してバスを走らせている

普通のバスなのに踏切があったりしてふしぎな乗り物だ

もともとは単線なので、道路も車両一台分の幅しかないのですれ違いは待避場所でしかできなそうだ

鉄道の軌道上をひたすらに走っていくものと思われたが、気仙沼駅の周辺のみで、ほぼ一般道を走っていた

何か拍子抜けだ

BRTの車窓は電車にのっている間の陸中の山の中の車窓とは打って変わってリアス式海岸を臨む良い景色だ

新川崎から出発から約7時間、ようやく「陸前高田駅」に到着

どことなく鉄道の面影が残る駅舎がある

駅から山側には新しい建物やお店が並んでいるが、海側は1面になにもない真っ平らな田んぼと野原がひろがっていた


  陸前高田


かき小屋広田湾で昼食を済ませて、東日本大震災伝承館へ向かって歩いてみる

陸前高田駅のすぐそばに上層部のみ地面から顔を出しているビルが目に入る

ビルの看板には「米沢商会」とかかれていた

米沢商会は3階建てのビルで海岸から最も遠い震災遺構であるが
当時は完全に水没してしまった

平地だと思っていた野原には、一段低く掘り下げている箇所が所々にあり、そこから「米沢商会」の建物全体や「市道跡」や「踏切跡」などを垣間見ることができる

この辺り一帯は7メートルも盛り土がされていたため真っ平らになっていたのだ

つまり、地面の下には、かつての高田市の市街地がそのまま地面の下に埋まっていることになる

何千年か後に地面の下に眠る都市として発掘されることがあるかもしれない、などと夢想してみる


  東日本大震災伝承館



東日本大震災伝書館の敷地内には一本松以外にも複数の遺構が見られる

旧道の駅タピック45の建物がのこっているが、高さ19メートルの建物の14.5メートルまてつなみがきていたことが記されている

建物前部の増築部分や内部のものは全て押し流されいるのが昔の写真からわかる

建物を支える基盤の周りの土が押し流され、建物が、浮かび上がっているかのように見えている箇所もある



物産館はグシャグシャの柱が残るのみである

こうしてみると素人目にも鉄筋コンクリートの力強さがわかる



伝承館から万里の長城のように続く高さ12.5メートルの巨大な防波堤へ歩いてみる

振り返って伝承館を眺める

「屋根の高さが、横に建っているタピック45の津波の高さの掲示とほぼおなじ高だね」ツレが指摘した

確かにそのとおりだ

この横に長く広がる伝承館は、いざというときに防波堤の役割を果たす設計なのだろうか?

防波堤をのぽると献花台があり、その向こうには海が広がっていた

このあたりには江戸時代に、防災のために植えられた7万本もの松林が広がっていて高田松原と呼ばれる景勝地だった

それが、たった一本を残してすべて流されてしまった…

今は多くの松の幼木が代わりに植えられている



はやく大きくなってくれ!

次の津波が来る前に…そう願わずにはいられない


  奇跡の一本松と高田ユースホステル



その時たった一本だけ残った松原の松

「奇跡の一本松」と呼ばれる

今は枯死してしまい、可能な限りもとの部分を残した作成したレプリカである




真ん中からポッキリとおれた「高田ユースホステル」

奇跡的に一本松を津波から守った建物のといわれている




土が削られてタコの足のように地面から浮かび上がった松の根




気仙中学校側から一本松を臨む


気仙沼中学校 


一本松から気仙川の河口に整備された気仙水門沿いを歩いて川を渡ると、気仙中学校の遺構にでた

この中学校の屋上に立つ津波到達点の14.5メートルを示す看板からこの建物が津波に完全に飲み込まれていたことを示している

体育館が跡形もなく消えるほどの強烈な津波にもかかわらず、幸いにもここの生徒は全員助かっているそうだ

校舎の脇はすぐ斜面になっているので、このあたりでは最も高台に出やすくなっている

通学には便利とは言えない場所にわざわざ中学校が建てられたのも偶然ではないだろう



中学校の裏手に残る、津波で流された気仙大橋の橋脚の一部と思われる遺構



気仙川の水門と水門から一本松方面を見下ろす眺め

ここまでざっと駆け足で巡ると既に16:00になっていた

東京まで今日中にもどるにはBRT「奇跡の一本松駅」を16:39に乗らなければならない

  帰途、 幽霊列車にのる


来た時と同じルートで一ノ関を経由し、仙台駅でおりて駅中の寿司屋で夕食を急いでかき込む

やまびこ74号21:48 仙台発が最終だ

自由席がある列車なので乗れるのは確実だが、座れる保証はない

30分前に席取り合戦に向けてホームへ向かうと、そこに存在しないはずのやまびこ160号と書かれた無人の列車が滑り込んできた

これは夢か幻か?

そこへ「やまびこ160号は全席自由席の特別臨時列車です」とのアナウンスが…

夢ではない、現実だ

列車は東京までガラガラの状態が続く

途中から乗車する人もなく、まるで幽霊列車のようだ…

いつともなく心地よい眠りにおちていた

東京に23時26分に到着し、横須賀線12:50の最終列車に乗り換え

新川崎の到着は24:00を10分過ぎたところだ

「キュンパス」の有効期限を過ぎていたので一瞬焦るが、問題なく自動改札機を通過できた

帰りも約7時間30分かかっている