一部の人がしている道路の誤解と病気の話
今日は先日投稿した記事のコメントを見て
「もしかしたら一部誤解をしている人も多いのかな?」ということがあったので、それを取り上げたいと思います。
これは別にコメントを書いた方を否定したいという意味ではありませんので、予めご理解ください。
まだ当該記事をお読みでない方はそちらからお読み頂くとして、コメントの一部がこちらです。
さて、
路駐の描写についてですが…
道路占用使用許可証は毎度取得されていますか?
もしくは訪問介護等で発行される道路駐車許可証票とか。
もし↑のような駐車違反除外のための許可を得ていないのなら、
いくら他の車は違う道を通るべきと主張されても通りませんよ。
ましてやその道は通行止めではないし、
通行している車は駐車違反車で道が塞がってるなんて知らないから入ってくるのは当然です。
そして、
5分以上の停車は駐車になります。
これを見て、なるほどなと思いまして。
まず、私達は駐車禁止除外指定の認可があります。
駐車禁止除外指定とは何かというと、以下警察のサイトから抜粋します(アンダーラインこちら側)。
東京都道路交通規則に定められた公共性が高く、広域かつ不特定な場所に対応することが必要な用務に使用中の車両(電気、ガス、水道、電話又は鉄道の各事業について緊急修復を要する工事のため使用中の車両または、患者輸送車、 車いす移動車、医師の緊急往診の車両など)
ですが・・・
私が言いたいことは「認可あるから優先しろ!」ということではないのです。
と言いますか、そもそもこの認可は「認可あるから優先される」というものではありません。
実はこのような誤解は日常生活の中でも時々目にすることがあるのですよ。
駐車禁止除外指定は我々のような仕事以外でも往診の車や訪問看護事業所の他、
個人でもご自身が身体障害者の場合には申請すれば似たようなものが発行されるのですね。
この駐車禁止除外の誤解について、流石に事業所の方は少ないと思いますが、一番目につくのが高齢の障害者です。
時々、自分で運転も歩行もできる軽度の障害者が、駐車禁止除外(歩行困難者使用中みたいな表示のやつ)を掲げて迷惑駐車をして、
「俺は許可がある」みたいな感じで何度もトラブルになっているのを見たことがあるのですが、皆さんも見た事ないですか?
認可を受ける際の、事業者向けの注意事項は次の通りです(これも都道府県の警察サイトから抜粋)。
次のような駐車は、できません。
(ア) 駐停車禁止場所の駐車(道路交通法第44条及び第75条の8)
(イ) 法定駐車禁止場所の駐車(道路交通法第45条第1項各号及び第2項)
(ウ) 駐車の方法に従わない駐車(道路交通法第47条)
(エ) 車庫代わり駐車(自動車の保管場所の確保等に関する法律第11条第1項)
(オ) 長時間駐車(自動車の保管場所の確保等に関する法律第11条第2項)
障害者向けの注意事項は次の通りです。
駐車場所から鉄道、バスなど他の交通機関を利用して移動している場合
身体障害者等の目的地以外の場所に駐車している場合
勤務先、宿泊先等の付近に長時間又は連日駐車している場合 など
つまりこれ、読んで頂くと分かりますが、一般車両とそこまで変わりません。
「なら一体何が違うの?」となりますが、私の経験則で言うと警察や民間の路駐取り締まりを受ける際に、多少見逃してもらえる程度のものなのですね。
実態は、恩恵を受けたことがあるのは、うちの事業所でも、周りの事業所でも居ませんので、
今では年に1回の更新が面倒だからと取得しないところの方が多いくらいです。
道路というのは、認可云々ではなく、譲り合いの精神が根幹にあるのですね。
例えば、佐川急便の人と一般車両の人がいて、一般車両が毎回自分優先自分ルールで周りへのいたわりが全くないと、
毎時毎分、相手のわがままに佐川急便の人が合わせなければいけないわけで、仕事になりませんよね。
物流に遅れも生じるでしょうし、そのくせそういう自分優先の人は自分の荷物が遅れると文句を言ってくるものです。
別の場面では自分もゴミを出すのに、作業中のゴミ収集車に邪魔だと文句を言ったり、
別の場面ではタクシーの昇降時に邪魔だと散々プレッシャーを与えるくせに、自分が客だったら1mでも余分に走ったら怒鳴り散らす。
常に自分が中心にいるという執着により、周りが見えない、もしくは周りに対して自分に合わせるように強要してしまう。
冒頭のブログ記事は、そういう執着は病気なのだという意味合いで、
元々そういう病的なまでに周りが見えない人(自己中心的・傲慢な振る舞い)はいたものの、
コロナ禍に入ってからその割合が異常だという趣旨の記事だったのでした。
その原因については、社会的な大きな変化でもあるワクチンを疑ってはいるものの、
もし仮にワクチンではないのだとしたら、コロナ禍やワクチンという強烈な事象に対する我々人間の反応が、
何らかの執着へのトリガーをひいてしまったのではないのか、とも考えられるわけです。
一部の人の執着に火をつけてしまったと言いますか。
何にしても執着する人が増えるほど、世の中には傲慢な言葉が溢れかえり、交戦的な人が溢れかえり、
人に何かを与えられる人が減り、人から何かを与えてもらうこと(または奪う事)しか興味が無くなります。
それはお金のまわりが悪くなり皆が貧乏になり、皆がケチになり、皆が卑屈になり、"自分の利益"だけの椅子取りゲームです。
ほぼ確実にこの傾向がこれから先も強まる病的な社会で、我々はどう幸せに生きて行くのか。
こうした気付きをシェアしたかった感じです。
参考になれば幸いです。
おわり
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