そういえば透析の話を一昨日書いたから、ふと思い出したことがあるから、また長くなるけど書いていいですか?
話がごちゃごちゃですが、ユーチューバーが「コメントと高評価をお願いします!」とか言っているのを見て、私はいつも「誰が書いてやるかアホめ!」とか内心思っている人間なのですが、やっぱりコメント頂けると嬉しいものなんですね。
誰かが見てくれているんだなって分かるから。なんかちょっとだけ力が出ます。
そしてスイッチ入ってる時に書かないと、たぶん永遠に記事にすることは無い内容な気がするので書いておきます。
とある患者さんの話。これは7年?くらい前の話ですけどね。
この方は糖尿病を患い、その後腎不全になり、長年透析に通っていらっしゃいました。
でも糖尿病が悪化して左足が壊死してきちゃっていて、もう透析センターの送迎車には乗れません。
だから私の事業所に、ストレッチャーで週3回送り迎えして欲しいと依頼がありました。
これ、とっってもオオゴトです。
透析センターは自宅から2kmくらいの距離とはいえ、ストレッチャーでの搬送をしなければならない身体レベルとなると、
1)まずスタッフ2名で自宅の中のベッドから、壊死した足に注意しながら慎重に担架で外に出します。
2)外でストレッチャーに乗せて、透析センターに行きます。
3)透析センターの中で体重測定等お手伝いをします。
4)本人のベッドの準備をしてトランスします。
(週3回、1日6時間以上を過ごす為、快適に過ごす為のこだわりが出てくるのです)
そして帰りはこの逆をします。
搬送費用は事情を考慮して値引きしているとはいえ、1日2万円は超えてきます。
それを週3回で6万円です。月にすると24万円です。
でも、ここまでは良かったんですよね。
この家族は支払い能力の高い家庭のようで、「全然問題ありません。どうかよろしくお願いします。」っていう姿勢だったからです。
なんだ自慢話か?って思いますよね?
違うんですよ。
以前の記事でも少し書きましたが、透析患者を抱えると命の重みというか、プレッシャーが常に付きまとうから、実は私やりたくないんです。
だからどうしてもと頼み込まれた時以外は受けません。
あと受けたとしても契約書を交わして、いつでもやめられる条件をつけます。
話は戻りますが、結局この方、徐々に透析がうまくできなくなってきてしまったんですよ。
原因は血管が細くなりすぎて、針が入らないって看護師さん言ってました。
透析患者さんはシャントを入れる手術をしていますから、なぜ針が入らないのかは私にはわかりません。
(動脈自体が細くなっていたのかも)
とにかく、うまく透析できなくなってきたのです。
そして家族にスイッチが入っちゃったんですね。
透析センター(大病院の中にあるところ)から、「もう無理ですよ」って言われても、私に「連れていってくれ」と言ってくるんです。
私も説得したのですが、どうしても「お願い」されたから、使命感もあって、連れて行きました。
(あ、ちなみにごねているのは本人ではなくて家族です)
で、透析センターにつくじゃないですか。
「え?」って顔で見られますよ。想像できますでしょ。
私に対する不審な目も結構あり、嫌悪感も伝わってきます。
でも来てしまったらもちろん看護師さん達は頑張ってくれますよ。
内心ごめんなさいです。
そして・・・・
すぐに電話がかかってきました。「針が入りません」って。
ですよねー。知っています。
だから到着して30分後くらいに帰りのお迎えです。
ご本人をストレッチャーに乗せて透析センターのエレベーターに向かう途中、看護師、医師、その他スタッフがずらっっと並んで深々とお辞儀をして、その方をお見送りしてきました。
あの光景はいまだに脳裏に焼き付いているので、地味ではありますが、中々強烈な体験だったのだと思います。
私はどういう顔で、どういう反応をしてその中を通ったらいいのかわからなかったです。
私がペコペコするのもなんか違うし。
しかも私は・・・・その場で終わりなわけじゃないから尚更気まずいですよ。
とりあえず無言で自宅のベッドまでご案内して、「ゆっくり過ごしてくださいね」って言って帰ろうとしたところ、
奥さんに呼び止められたんです。もう嫌な予感しかしません。
奥様「なぜ帰ってきたのですか?」
私「もう透析できないという判断だから返されました」
奥様「何とかしてください」
私「お気持ちはわかりますが私に言われても」
奥様「透析しないと3日後には死ぬんですよ?」
こんなような押し問答を数分しました。
んなもん知ってるよ。
こういう会話って体力使うのか、本当に疲れます。
だから今後のご依頼を全て断る旨を伝えて帰りました。
搬送拒否なんて冷たく感じますかね?
多分いまだに奥さんは私のことを恨んでいるのかもしれません。
でもね、私からすれば家族のエゴで病院をたらいまわしにされて死ぬよりも、自宅で最後の時間を皆でゆっくり過ごして欲しいんですよね。
家族のエゴって言いかたも失礼かもしれませんが、いや気持ちはわかるんですよ?
私の叔父さんも脳梗塞で倒れて、数年後には食事が通らなくなってきた頃合いで、経管栄養の話が出ましたが、事前の話し合いのもとで断りました。
そうなると餓死しますから、かわいそうではあるんです。実際かなり気の毒でした。
どっちをとっても可哀そうに思えますが、でも家族のエゴによる延命ってね。
第三者から見るとただの虐待ですよ。
特に意思疎通ができなくなった状態の人を、家族のエゴで生き長らえさせることってグロテスクです。
だから、元気なうちにどうしたいか、きちんと話し合う場を設けないといけませんね。
こういうのに慣れていない人の方が多いですから(当たり前)いざとなったら、ほとんどの人が決断できなくて延命してしまいますから。
話合いをしていても、結局約束を破って延命してしまう人が多いのも、現実です。
もう一度言いますが、この構図はグロテスクです。
そして始めたらやめられない、終わらない。
私は終末期に入ってから5年も10年も安定していた人を何人も知っています。
そのうちの1つの家庭は、従業員1万人とかいる大会社の社長家族でしたが、最後は破産していました。
それ、本当にご主人(病気の本人、意思疎通はできない)が望んでいた結果なのかい??
でも日本人ってそういう民族なんです。
本人の尊厳よりも、周りからの目というか、体裁の方が上にある家庭が多いんです。
あとは本人の気持ちよりも、残される方の気持ちが優先されちゃうとか。
だから安楽死なんてもってのほか。
絶対に導入されないと私は思います。そういう民族なのです。
本当はこういう話は、思い出すと良い気分はしないし、読むほうも良い気分はしないから書かない方がいいんでしょうけれど、これもまた現実なんですよね。
現実と言えば、最近のコロナの状況を見ていても、すさまじいものがあります。
少なくともうちの事業所では、いよいよパンデミックの本番に突入したなと、意識を共有しています。
今は病気の時代です。病気の時代は、まず無知・無関心・不謹慎といった社会的な病気からスタートしました。
誰のせいとかの議論は置いておき、物事には必ず結果が伴います。
無知・無関心・不謹慎が渦巻いていた今までの社会の代償は高くつきそうです。
多くの人の意識が変わるまで、あと何年かかるのか、それとも変わらずこのまま分断されちゃうのか。
変わらない限りパンデミックは終わらないだろうし、私は今のところ数年後には真っ二つになる可能性が高いとみています。
まぁ話がそれましたがこの記事で書きたかったことは、
お守りとして「延命措置を拒否する」意思カードを持っておくことをオススメします。
SDDカードとか、リビングウィルとか、調べると色々出てきます。
もちろんお金をかけなくても、書式だけでも出てきますよ。
かく言う私ももっていないので、そろそろ作ろうと思いますし、職員にも作らせようと思います。
死ぬときは潔いのが本人も家族も周りも、最終的に気持ちがいいと思うんですよね。
自分を死なせる為のお守りってなんかウケるw
おわり
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