アーティスト名 : Happy Asmara

曲名 : JALI-JALI

タイプ : ブタウィ歌謡 / 懐メロ

言語 : インドネシア語

 

 

歌詞はこちら

 

 
Ini dia si Jali-jali 
Lagunya enak, lagunya enak dari Betawi
Ini dia si Jali-jali
Lagunya enak, lagunya enak dari Betawi

Capek sedikit tidak perduli sayang
Asalkan tuan, asalkan tuan senang di hati
Capek sedikit tidak perduli sayang
Asalkan tuan, asalkan tuan senang di hati

Jalan jalan ke pasar baru 
Sayang di sayang, janganlah lupa beli rambutan
Jalan jalan ke pasar baru 
Sayang di sayang, janganlah lupa beli rambutan

Palinglah enak penganten baru sayang
Paling enak penganten baru
Masuk ke kamar makan rambutan
Paling enak penganten baru
Paling enak penganten baru
Masuk ke kamar ngenjot-ngenjotan

Sana gunung disini gunung 
Sayang di sayang di tengah-tengah pohon kenari
Sana gunung disini gunung 
Sayang di sayang di tengah-tengah pohon kenari

Disana bingung disini bingung sayang
Disana bingung disini bingung 
Selalu teringat si Jantung Hati

Jalilah jali dari Cikini sayang
Jali-jali dari Cikini
Si Jali-jali sampai disini

 

高揚感のない歌であんまり聴く気が起こらないんですけど、メッサ古い曲なんですよね?古すぎて作者不詳とか。

MVタイトルにある「Lagu Daerah Betawi」というのは「ブタウィのリージョナルソング」という意味で、つまりジャカルタの土着の音楽であることを示しています(ちょっと語弊があるかな?)。

しかしこの歌詞って、インドネシア語とどう違いますか?インドネシア語永遠の初級者の先生にはよく分かりません (^^;

 

 

【追記】CNNに元来の歌詞が載っていました。アスマラ嬢版は歌詞を少し変えているようです。元来の歌詞はブタウィ語ですか?

 

 

 

ちなみにウィキペディアによると

 

 

ベタウィ語 もしくはブタウィ語 (Basè Betawi)は、オランダの植民地となったバタヴィア(ジャカルタの植民地時代の名称)に、17世紀ごろから東南アジア各地から労働力として集められた人々の末裔によって話されている言語

 

首都ジャカルタで使われるベタウィ語はインドネシア語にも流入しジャカルタ弁になっている

との記述があります。

 

 

 

ということは、元々のブタウィ語は、ジャカルタで使われている現代ブタウィ語とは全然違うということですか?

 

ちなみに ウソペディア ウィキペディアのインドネシア語のページには

 

 

もともとインドネシア語は、独立前のオランダ領東インド時代、さらにそれをさかのぼる交易の時代にマラッカ海峡の東西両岸およびその周辺海域で用いられていた交易語(リングワ・フランカ)の海峡マレー語であった。

 

(中略)

 

インドネシア語が民族の言葉として認められていく過程で画期となったのは、宗主国オランダからの独立を求める民族主義運動のころ、1928年10月27日・28日に開催された第二回インドネシア青年会議における次のような決議であった(後略)

 

 

 

インドネシア語の起源はマラッカ海峡周辺海域で話されていたマレー語で、それをインドネシアの統一言語にしようというムーブメントの転機になったのが1928年。こういうことですよね?

で、先生が知りたいのは、じゃあ1928年以前のジャカルタで話されていた言葉を詳しく分類すると何になるの?ということです。それが元々のブタウィ語?

 

どなたか詳しい方がいらっしゃれば、カモン。

 

 

これは1928年にリリースされた、Krontjong Orchest Eurasia(クロンチョン・オーケスト・ユーラシア)のAjoen Ajoenという曲です。

 

 

これの歌詞がこちら

 

 
Djangan mandi Kali Pesapen
Kali Pespen banjak lintah nja
Djangan kawin noni Pesapen
Noni Pesapen banjak tingkahnja

Ajoen ajoen ajoen in die hoge klapperboom
Ajoen ajoen Masmira
Djangan main gila
Ajoen ajoen ajoen in die hoge klapperboom
Ajoen ajoen Masmira
Djangan main gila

Ga niet baden daar in de kali
En ga niet trouwen daar in Pesapen
Laat je raden, m'n kleine Ali
Wanneer ik jou met raad van dienst wil zijn

Want een kaaiman zit in de kali
En ook een kaaiman zit in Pesapen '
't Is je schoonma, m'n kleine Ali
Die erop loert dat jij getrouwd zal zijn

 

なんとなく分かりそうで分からないような歌詞ですけど、これが当時のジャカルタ(ヴァタビア)で話されていた言語なのかなぁ?

 

あ、ていうかこの歌詞・・・

 

Djangan mandi Kali Pesapen
Kali Pespen banjak lintah nja
Djangan kawin noni Pesapen
Noni Pesapen banjak tingkahnja

 

Pantunですね!

 

標準インドネシア語に訳すと

 

Jangan mandi kali Petampen(プタンペン川では水浴びをするなかれ)
kali Petampen banyak ikannya(プタンペン川には魚が沢山いるから)
Jangan kawin noni Petampen(プタンペンの娘とは結婚するなかれ)
noni Petampen banyak tingkahnya(プタンペンの娘は行儀が悪いから)

 

になるかと思います。

 

 

そしてこのAjoen Ajoenはオランダに渡り

 

 

Willy and his Giantsのサーフ・ロックとなり

 

更にそこから分岐して、一方はジャマイカへ

 

 

Roland Alphonsoのスカとなり

 

もう一方は日本へ

 

 

スウィング・ウエストのグループ・サウンズになりましたとさ。

 

 

え~っと、これなんのトピックでしたっけ?(アホ)

 

 

 

 

 

  2/6の『迷宮グルメ 異郷の駅前食堂』はスラバヤ・グブン駅です!

 

 

迷宮グルメ初の東ジャワですね!

 

 

次回放送予定

迷宮グルメ 異郷の駅前食堂 インドネシア・スラバヤグブン駅

インドネシア・スラバヤグブン駅
◎インドネシア・スラバヤグブン駅で降りたスギちゃん。通りがかった小学校の校庭で出会ったのは、工作の授業中の子どもたち。みんなが歌う歌で大歓迎されたスギちゃん。お返しに1曲歌って!と無茶振りされ、マイクを渡されたスギちゃん…いったいどうする? 
◎スラバヤグブンの路地裏に座っていたお年寄りの隣に座ったスギちゃん。おじいさんの肌がきれいなことに気づき、言葉が通じないながらも、その理由を確かめるとそれはなんとスギちゃんと同じく、ある珍しい方法で美肌を維持していることが判明!いったいその方法とは?

 

 




 

 

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