皆さま、今日も笑っていらっしゃいますか。
Nalishなお時間へようこそ。
鬱になった話、
鬱の症状がどんな風に表れるか、というところです。
【前回までの話し】
→序章
朝起きられない、という経験をしたのは、
人生でもこの時たった一回だけです。
病気でしんどくても、眠くても、
今は起きようという気になれば起きられます。
この鬱の時は「起きよう」という気にならないというか、
まず、眠いんです。
どうやってそのサイクルになっていったのか覚えていないですが、
多分夜に寝られなくなっていったんだと思います。
しかも通常の寝られないというよりは、
ギンギラギンギラ目がさえてくる。
何もしていないですよ。
薬も飲んでいないしお酒もシュガーも摂っていない。
そんな"物"で起きているんじゃなく、
交感神経と副交感神経のバランスがおかしいというか、
もう自分の力では何も抵抗できないようなことになっているんです。
しかも2時3時の話しじゃなく、朝の6時ぐらいまで寝られない。
で、6時になったらもうその日一日起きていようと思うのに
朝の雀の声を聞いた瞬間眠りに落ちる。
しかも自分でも気付かないぐらいの早さで落ちる。
これが毎日毎日続きました。
困るのは食事。
一人暮らしだから自分で何かを買いに行かないといけない。
夕方起きてスーパーが閉まるまでの時間に行かないといけない。
これが簡単な様で意外と難しく、もしいけなかったとしたら一日延期。
死活問題に発展するわけです。
コンビニとかあったでしょ?と思うと思うんですが、
そこはなぜか律儀にスーパーとか行きたがる私。
まぁコンビニにも行ってたと思います。
でもやっぱりコンビニだけでは生きていけない。
だから近所のスーパーに飛び込もうとするんですが、
まず起きていたとしても出かける準備をして出るのに時間がかかる。
別に着替えだけしていけばいいんだけど、
その、着替えて外に出る、という行為がなかなかできない。
特に自分が鬱の状態の時は
外に出るだけで涙が出てくるので、行けない。
買い物に行っても何を買うか決められず、
小さなスーパーをぐるぐるぐるぐる1時間も回っていたり。
逆に大きなスーパーに行ける時もありました。
例えばトイレットペーパーがない、とかだと一念発起して大きいスーパーへ。
そして気分が高揚している時と重なっていたりすると、
うまく行けた!大成功!自転車でいったから運動もできた!
よし、このまま家に帰ってご飯食べてお風呂に入って
夜寝たら明日は朝起きられるかもしれない!
・・・・・
絶対無理。
起きるのもできないけど、まず寝られない。
寝る前に家の中で運動しても、
夜のお散歩に行っても何をしても
朝の7時、8時、9時・・・って
本当に最高には朝の9時まで起きていたのを覚えています。
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どうにかしなきゃ、どうにかしなきゃ、と思い、
1か月ぐらい経った頃、実家へ戻ろうと思いつきました。
とりあえず帰ってみよう。
両親に電話をして、数日のうちに帰るから、と言って
最初に荷物を作りました。
そしてそこから数日の間、
頑張って通常の電車が動いている時間に起きられた日に
電車に飛び乗りました。
何とか実家まで移動することができました。
両親に、しばらく居させてほしいとお願いしました。
仕事も実は辞め、
これからどうしていくか考えているから居させてほしい、と。
「いいよ」と言ってもらい、ほっとしたのを覚えています。
そしてその時偶然にも、
私が小学生の時から飼っていた愛犬がもう老齢で弱っており、
命が危ういというところだったので、
世話をするという名目で家に居させてもらうことになりました。
この老犬、桃子という名前だったんですが、
本当にかわいくて、その時もう17歳と8か月でした。
私が帰った頃は食べなくなっていて、その後足腰が立たなくなり、
私は張り裂けそうな気持でお世話をしていました。
病院に連れて行ってももう何も手の施しようがない、と見放され、
もうダメかなぁと思っていた金曜日、
夜の8時は目を開けていたのに、10時には死んでいました。
誰の目にも見えないところで、一人で死んでいってしまいました。
可愛い桃子。
私の桃子。
17年も一緒にいた桃子。
片時も忘れたことはなかったです。
私の良き相談相手であり、妹であり、姉であり、
賢い賢い愛犬でした。
桃子をお世話したのは3週間でした。
家に帰った瞬間から私は朝晩のサイクルがほぼ正常に戻り、
3週間桃子に没頭していました。
彼女が死に、泣きに泣いて火葬してすべてが落ち着いた時、
私は「あぁ、これでアメリカに行ける」と何故か思いました。
若い頃からの夢、アメリカで生活をしてみたい、は
思い切って踏み切れない理由の一つに実は「桃子」がありました。
もう普段は両親の家にいて自分はお世話していないのに、
何故か桃子のことが気になって、アメリカに行ってしまい辛い、
いつからかそんなことを考えるようになっていました。
それは本当は私の言い訳だったと思います。
お金もないし、タイミングも逃している。
ただそれだけなのに私は犬のせいにして
自分の殻から飛び出る怖さを言い訳している。
でも私の中では真剣な心の引っ掛かりだったのは確かです。
でも今、もうその理由はなくなった。
そしてこの桃子の人生、じゃない、犬生の終わりを見届けられて
彼女の強さ、私へのメッセージを感じました。
私もやりたいことやらなきゃ。
人生なんてあっという間だな。
しょうもない男どもの事で私の人生を無駄にしている時間はないな。
そう思えて、変な胸のつっかえが取れたのを感じました。
一週間後だったか二週間後だったかに
一人暮らしの家を引き払いました。
完全に両親にお世話になることにしました。
両親は本当に何も聞かず、私を好きにさせてくれました。
桃子の事で胸のつっかえは取れましたが、
それでもそんなにアクティブにいきなりすべてを戻すことはできず。
3か月ぐらいぼやーっとして、
ようやく年末近くになってアルバイトを見つけて
元気になってきたのを覚えています。
両親もさすがに心配していたので、安心してくれたようです。
そしてそこからは、
もう誰に会っても何も怖いことも身震いすることもなくなりました。
鬱からは脱出できました。
家族、特に両親の存在はものすごく大きいです。
すごくすごく感謝しています。
そして父と弟。
私が、誰か男性が近付くだけで身の毛がよだつ状態だった時も
この二人だけはどんなに近くにいてもただただ安心する存在でした。
そういう存在があってくれたことは
ただただ本当に感謝です。
私の鬱の経験は、ある意味短く軽いと思います。
一旦なってしまうと長引くことが多い心理的な症状。
私は偶然にも治ってしまったし、大変な治療をしたわけでもないです。
でも、今もし苦しんでいる人がいても
必ずどこかに良くなる方法がある。
私はそう思います。
そして私がそのお手伝いをすることができるなら
喜んでお手伝いいたします。
何かどこか誰かに、打ち明けられるといいかなぁと思ったりします。
話す=放すと、心が楽になること多いですから・・・
まずは私が放しました。
感謝を込めて・・・
私の過去をシリーズで書いています