つまり、

ダイヤモンドってのは、賞賛ではないんだよな。

特別でもない。









例え、人殺しだろうが。
例え、子供虐待してようが。
例え、専業主婦だろうが、
例え、何もできなかろうが。
例え、何も続かなかろうが、
例え、弱虫だろうが。
例え、貧乏だろうが。
例え、病気だろうが。
例え、精神疾患だろうが。






変わらないもの。

その人が、何してようと、誰だろうと、みんなに、共通してあるもの。







それが、《ダイヤモンド》というもの。








ここにもたくさん書いてる。





例え、人を殺してようが。
例え、犯罪を犯そうが、
例え、毒親だろうが。、
例え、障害だろうが、
例え、病気だろうが、
例え、自己中だろうが、
例え、嫌われてようが、
例え、仕事できなかろうが、
知らん。
知らん。笑。







例えそうでも、ダイヤモンドであることは変わりない。






そもそも、

・何をしてるか
・何ができるか
・何を持ってるか
・何をしてきたか

で、
 


人間の価値は決まらない。


人殺したことある人と、。
国民栄誉賞受賞したことある人と、、
価値は同じなのだ。

ただ、
人を殺したことがあるダイヤモンドと。
国民栄誉賞のダイヤモンドがいるだけだ。

同じダイヤモンドなので、
価値は同じだ。








この世に、、人間の価値に優劣なんてない。一切ない。みんな同じ。








「あの人見たいなりたいなぁ〜」と、キラキラした目で見てるあの人と、あなたは同じ。全く同じ。優劣はない。







今スタバにいるのだけど。
ココナッツオイル入れるねん。ココナッツオイルは持参よ。笑。








スタバにいる人、
みーーーんな「価値は同じ」「ダイヤモンド」だ。優劣はそこにはない。





ただ、
このダイヤモンドの中に、

・将棋の強いダイヤモンド
・お金持ちのダイヤモンド
・字が綺麗なダイヤモンド
・目の悪いダイヤモンド(おれw)
・猫舌のダイヤモンド
・口の悪いダイヤモンド
・店員ダイヤモンド
・朝帰りのキャバ嬢ダイヤモンド
・平日の昼間なのに学校制服着て勉強してる、真面目なんだから不真面目なんだかわからないダイヤモンド学生
・声のでかい奥様ダイヤモンド
・ガラゲー使ってるダイヤモンド
・スタバでMacの意識高い系ダイヤモンド

など、
たくさんの人がいる。









みんな、できることも、してきたことも、持ってるものも、なにもかも違うけど、等しくダイヤモンド。同じダイヤモンド。価値に優劣がない。










間違えたら「謝り」「反省」して「責任」を取る。だけど、ダイヤモンド。

嬉しかったら「喜び」「笑い」「笑顔」になる、ダイヤモンド。






その人の「行為」で、、その人がダイヤモンドかどうかが決まるわけではない。

みんな、等しく、すでにダイヤモンド。










もし、「あの人はダイヤモンドだと思えない」と言う人がいたら、、、

それは「行為」によって、人の価値が変わると思い込んでることになる。

そして、人に対して「あの人はダイヤモンドだとは思えない」と思うことを《ダイヤモンド・ジャッジ》と呼ぶなら。









他人に、ダイヤモンド・ジャッジをする人は、、自分も他人からダイヤモンド・ジャッジをされると思い込む。


これを「ジャッジの世界」と呼ぼう。








ジャッジの世界に住んでると、。

その人がやることは全て「ジャッジされないように頑張る」になる。

これをナリ心理学では、「地獄のデスロード」と呼びます。











全ての人は、等しく同じ価値である。








これを、
哲学ではこれを「虚無」と呼び(正式には違うけど)
仏陀は「悟り」と呼び。
ナリは「ダイヤモンド」と呼び。
田代まさしは「マーシー」と呼ばれてました。
(うっせ)