- >ようさん
私も同じこと思いました。
私はかろうじて死をまぬがれたから、今を楽しむことができています。けれど、自分の命よりも何よりも大切な子供を亡くしたら。
そんな親御さんもたくさんみてきたから、
なりさんのおっしゃることがたまに『軽い』と思います。
そんなときは、この人はそう思ってるんだ、とだけ思います。
そこまで自分というもの命というものに、対峙した人にしか届かない言葉もきっとある。
本当は決してなりさんのブログが『軽い』わけではなくて、私達一人一人が受け止められる言葉というものはそれぞれ私達で違うだけだと私は思います。
だから、ようさんのような立場の方が読まれたときの事を想像すると胸がしめつけられながら、
笑える記事もあり、なるほどと思う記事もありで、私は読ませて頂いています。
ただ、私はそれでも、ようさんもふくめ、お子さんを亡くされた方にも『大丈夫だった』と思えるいつかが来ると信じたいです。
ようさんを苦しめるために出会った命ではないはずだから。
人生に本当は意味がないかもしれないから、
意味がないところに、色をつけられるのが人間の素敵さ、ようさんのお子さんの作ってくれたようさんの世界だと私は思います。
長文大変失礼いたしました。2018/08/20 21:04:20
僕も昔、「やりたいことやって生きよう」的なことをブログか何かに書いたら。
健常者だから言えるんだよ!障がい者の気持ちになってみろ!
みたいなことを言われたことがあります。
そんなこと言われたら、なにも言えなくなるなーーーって。
でも。
そーゆーこと言いたいときだってあるよね。生きてるんだからさ。
うん。
言葉そのものにたぶん、そんなに意味はないんだよな。
言葉じゃなくて、
どうしたらいいのかわからないもどかしい思いを抱えてるときに、
たまたま、
ぼくのブログが視界に入っただけなんだよね。
この人のもどかしい思いは、
ぼくに向かってきたけど、
ほんとは、
ぼくには向かってきてない。
誰でもよかったんだ。
(むしろナリでよかったよ)
それでも大丈夫だよ。なにも起きてないよ。問題はないよ。
的なことを書くと。
・毒親の人もですか?
・子供が亡くなった人もですか?
・大切な人が亡くなった人もですか?
・お金なくてもですか?
etc..
と、
今、悲しい人の視界に入ったとき、何か言葉が飛んでくることがある。
とくに、ぼくはおちゃらけてるし、ボケてばっかだから、「軽い」なんて思えちゃう。
まー、どう考えてもそう見えるよね。見える見える。どう見ても、軽いもん。わかる。
でも。大切なのは。
飛んできた言葉じゃなくて、
その言葉を飛ばしてる人の「心」よね。
飛ばしたくなることくらいあるよね。
生きてるんだもん。
あるある。
全然あるある。
飛ばせ。飛ばせ。とまでは言えないけど、
飛ばしたくなるときあるよね。。
うん。あるある。
あるよー。