JJS 板野俊雄(板野としお)さんとの出会い

今年2024年はJJS(前身 ジュニア・スペシャル)が結成されて50年。5月13日はJJS・VIP解散記念日です。


レコードコレクター ベルバラのジャケットサインはイベントか何かでしょうか。70年代当時はサイン会などがデパートなどで開催されておりました。LPのジャケットにサインが書いてあったりするとイベントしていたんだなぁと名残を感じます。あと3枚ですが、一枚を除き見つかりません…



CD化されたもの。黒い縁はLPからのCDにしていただいたものです。昭和レトロが若い方の間で流行っていてアイドルもレコードや雑誌がCD化されてはまたレコードをオークションに回すと言うことをしているようです。



JJSは単独リサイタルは少なくジョイントが多かったようです。




JJS ジャニーズジュニアスペシャルのお兄さんたちの思い出として私は『おはよう子供ショー』からのファンで初めてファンになったジャニーズアイドルです。中でも板野俊雄さん、としおにいちゃんのファンでした。


アイドルJJSは『ロッテ歌のアルバム』という番組とジャニーズファミリーが良く出ていた歌番組でのかつやくはいていました。特にNHKのアイドル番組、先輩FLのレギュラー『レッツゴーヤング』を見ていました。


CDを聞きながらいろいろ思い出しているのですが、小学生だったからなかなか鮮明には覚えていないのです。


デビュー曲の『ベルサイユの薔薇』からの3部作は解りませんでした。『ハートの夢』は私が聴いたジャニーズ曲最古、実はFLより早くJJSを知りました。


おはよう子供ショーのことWikipediaやジャニーズ百科の紹介ではのど自慢の司会のこと載っておらず紅組白組と別れてレフリーがいてのゲームコーナーのことは紹介されていて、これも大好きでした。特に好きだったのが声がよく通る板野俊雄さん、としおにいちゃんでした。


のど自慢では「歌いたい人!」思いっきり手を上げて子供も手を上げてはじまる。ゲスト歌手がいて時には自分の持ち歌歌ってくれて歌が上手で振り付けダンスな上手なお兄さんたち時に板野さんは上手でした。


そうそう、当時のジャニーズアイドルの状況が伺えるのですが、ジュニア時代から他の歌手さんのバックで踊ることがあったのか、NHKのアイドル番組か他の番組か忘れましたがメインのアイドルさんのバックでJJSが三人が踊る場面も見ました… 板野さんがのちのジャPAニーズ加入に繋がるのかなと。


しかも歌手の出演が多すぎてメインはともかくかなりゆとりなく歌っていたような気がしています。どっちかといえばJJSはサブ的アイドル感がありましたがそれでもNHKの『アイドル歌の祭典』とか『レッツゴーヤング』にも出演して歌って踊って存在感ありました。YouTubeで流れていることがありますがリアルに観ていて思い出しては楽しんでいます。


 アイドルとて口パクではないのでアイドルの歌唱力の露骨さは出てはいたもののそこはご愛嬌。ソロは主に板野さんがメインで林さんがサブというスタイルだったとおもいますが、人気があったということでサビを林さんが勤めていましたね。


マイクもワイヤーが付いていたので踊るのに大変だったと思います。スタンドマイクを使うこともあったと思いますがとにかく歌って踊ることが大変だと思いました。


それからこの3人面白くてね、よく笑わかせてくれました。LIVEアルバム『夢のディスクジョッキー』を聴くと面白さがわかるのですが、子供ショーでのゲームコーナーやのど自慢コーナーでもやり取りが楽しいお兄さんたちだったと記憶しています。


アルバムを3枚リリースしています。その中で「夢のDJ(ディスク・ジョッキー)」というファン観覧型のラジオスタイル版がありますが内容が面白くて。


このアルバムの初恋コーナーソロ曲一曲目『初恋のフォトグラフ』は板野さんのソロ。ギターとハーモニカのなんとも言えない奏でと板野さんの歌声がマッチして名曲です。中村雅俊さんからの楽曲提供。


『素敵な恋の招待券』というアルバムではそれぞれ作詞作曲をしていて、特に畠山さんの才能を垣間見た気がしました。板野さんはフォークもロックも歌っていて、ご自身はロックが好きなのか作詞作曲ではロック調に仕上げていました。


『エンジェルパワー』アルバムは当時人気のアニメソング、アニソンカバー。アニメソングを集めている人必見んです。このアルバムの中では「紅き血のイレブン」と「俺は直角」が好きです。


VIP時代の「新エースをねらえ」のサントラ版とまた違った魅力を味わえます。デビュー曲「ベルサイユの薔薇」と「愛の誓い」収録。もう1枚アルバムがベストアルバムです。


1972年麻世さんややっちんヒデキや井上純一さんが出てきた頃から露出が減ってVIPになってもあまりテレビの活躍がなく。『南十字星』や『青春にかけろ』はそれぞれリアルでレコードも持っていてテレビでも歌っていたのをみました…


畠山久さん関係で調べたら雑誌の露出もデビューから1、2年は毎月でていてアイドルでしたよ。事務所側の事情から流れでこの人たち解散コンサートやったのかなって心配して…


後に渋谷野外堂の解散コンサートテープをファンの方からいただき今も保管しています(媒体がないから聞かれず)。これが4時間で半分くらい話でJJSらしい楽しさで解散と思えませんでした。


JJSからジャPAニーズファン マネージャー時代はトシちゃん、シブがき隊ファンへ

 

板野俊雄さんはVIPの活躍後にライドネスというバンド(元レイジーのデイビー スージーが結成した)の初代ボーカルに誘われたのを断り田原俊彦さんのバックに参加しました。ジャPAニーズ時代のたのきんコンサート や田原俊彦コンサートで拝見しました。


『レッツゴーヤング』という番組でジャパのメンバーが変わるということで新メンバーがJJSのとしおお兄ちゃん! びっくりです。ジャパニーズのことは麻世さん繋がりで知っていましたがまさか!


ここからジャPAニーズファンです。たのきんブームのさなか一人ジャPAニーズのファンをしていました。そのうちにメンバーのファンの人と仲良くなっていい思い出となりました。


そもそもとしお兄ちゃんの歌声やおしゃべりな声が好きだったし歌を聴きたくてジャパに歌ってほしいとリクエストしたら歌ってくれ、さすが👍 板野さんの声よく響いていました。


ジャPAニーズ解散後はスタッフとして活躍されていたので今でも田原俊彦さんとしぶガキ隊の三人のことは遠くで応援していますがシブがき隊解散と同時に私もジャニーズを卒業しました。光GENJIも担当していたとは知らず、気にしているタレントさんリストに加えます。













故郷山口県周南市での活躍


それからずっと消息不明だった板野さん、後輩だった人のliveに行き名前を出すと懐かしそうにニコッと笑ってくれました。そして現役だったチャーリーさんとファンさんから故郷山口県周南市(当時は徳山市)でダンス教室をやっていると聞きました。後にwebを通しお声掛けくださったリズミックスのお弟子さんのおかげで練習風景と山口きらら博を堪能できました。


実は5月の大型連休に山口県を何度も訪れています…


練習風景はおはよう子供ショーを思い出し、きらら博のイベントは生徒を主役自分はクロコに徹するというスタンスで活動されていました。決して自分の過去を押し付けもせずまして過去を売りにしている様子は微塵も感じませんでした。


お話も聴かせていただきました。ここにhかけないほど苦労されていたようで…  シブがき隊解隊コンサートDVD(当時はビデオ)でみた板野さんの姿で泣きました。苦労していたようで… 最後の方テレビで見てていても扱いが酷かったからね…


懐古の話を聞きながらリズミックスの話や山口へ帰ってからのお話を聞かされて、すごく前向きに取り組まれている姿にほっとしたものでした。



2001年7月から9月まで開催された地方博覧会…ここでもリズミックスの他企画等スタッフとしてでも参加していたそうです。



きらら博のイベント参加チーム紹介ページです。





板野としおさんが山口県地元で出演しているローカル番組をYouTubeで今でも見ております。ナビゲーションを務めている内容が、おはよう子どもショーのゲームコーナーと似た雰囲気があって。『めっちゃかちもり』というパチンコパチスロ情報番組で視聴者と対決するのですがとても楽しくこういう遊び方だったらパチンコも楽しいだろうな。




板野さんの本業は『rhythmix ダンシングクラブ』というダンスクラブ主宰で私が拝見した時は6年目だったからもう30年近い歴史がある教室です。借金等の事情で故郷に帰ってお母様の勧めで生命保険会社に勤めて8ヶ月で辞めて(笑)、ダンス教室を始められて最初は5人からスタート。その後公民館の市民教室や保育園や小学校の運動会ダンスの指導もするまでになりました。


見学した時もどこかの公民館だったかな?この練習風景がおはよう子供ショーの風景そのものでした。すごいと誇りを持っている元ファンです。


お子さんの写真が掲載されているのでイベント紹介ができないのですが毎年行われる周南市のダンスイベントやスポーツクラブやスポーツ大会などにもゲストで参加していました。


10年ほど前2014年、自分のダンススタジオ立ち上げたとの写真付きでハガキをいただいていたのにこちらがちょうどダブル介護始まってお祝いができなかったのです。


きらら博イベントのお別れ間際におっしゃっていた「今の(リズミックス主宰の)自分を応援してください」という言葉今でも忘れていないし今でも応援しています。






板野俊雄さん文春オンラインの件


流れてくるTwitter(現 X)のポストや記事を読み率直にいえばとうとうこの日が来たかというのが感想でした。思考も止まるしそれでも板野さんのファンと繋がって話し合ったり。ご本人のFB(新)を見つけた時は泣いてホッとしました。


板野氏本人のSNSによればきっかけはメリー旧会社会長の死去に寄せての某氏のコメント、2022年暮れに放送されたテレビ番組の内容だったようです。裏方時代のことで不快であったようでSNSに内容を綴られていました。


それからは普通にSNSに近況などを綴っておられましたが、色々あって昨年9月の性加害関連と今後の方針についてのJ側記者会見を見て今回の行動に至ったわけですが、今は筆感からだいぶ落ち着いている様子でした。


板野氏は負けん気の強い方で1人突っ走る人だとJJSのプロフィールで紹介されていて、自分がしてきたことを馬鹿にされることを嫌うしファンもそんな板野氏についてきて頑張る背中を応援してきたと私個人では自負しています。



「マネージャーはタレントを助けるためにあるのではないでしょうか。」という話をしたかったと、4時間にわたるインタビューだったとか。そのあとでテレビのインタビューを受けたそうです。


でも板野氏も北氏や豊川氏のようにJ潰しの材料や所属タレントやスタッフを誘き出す材料に利用されてしまって名前を検索するとあることだけがクローズアップされて本人が期待したようにはならなかった野村ではと私は考えます。


でもなかったようにテレビには話題にもならず名前を検索さえしなければデジタル文春もヤフーニュースも流れて来ません。ただ、9月の補償の相談と交渉を開始してからじわじわ疑問を感じておられる方も多いと思います。そしてかつてのJJSファンの方が時々覗かれにくる。


加害問題としては一部の人以外補償金をもらっていないこと、当時を知るJファンのお話ではこの人たちは現役時代活躍もすくないと聞きます。しかも在所確認もなく証拠もなく、それでは誰が相談窓口に来たっていいのです。




活躍となれば板野氏のほうがが長く活躍して表も裏も知っている、相談窓口開設直後に時効を承知で二通送ったにも関わらず何も連絡なく、文春はデジタルと雑誌発売はあったけれど、二日間のテレビ取材もあったにも関わらず放映がないどろか放送しない経緯の連絡すらないとのことです。


板野さんのは後輩グループの今後と個人で活躍されるタレントさん、そしてジュニアの皆さんのこと、心配していますし支えて応援してあげてほしいとSNSには綴っておられました。バッシングや仕事をとられることも怒っておられました。


ファンとしてはご家族、今のお仕事やお仲間、リズミックスの生徒さんを大事に山口県周南市で元気でいてほしい、そう願ってやみません。






板野としおさんのFBです。


板野さんのFBです。FBで検索するとこちらが出てきます。覗きにきてくださったファンの方ありがとうございます。よかったらメッセージ贈って差し上げて見てください。













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