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今回は、雇用・労働に関する二つの記事を紹介しようと思う。
紹介するのは、タイトルの通り、自然失業率仮説に関する批判に関する記事と、90年代の貿易・賃金論争(貿易が賃金に与える影響力は限定的と結論付けられた)に対する反省に関する記事の2つだ。
フリードマンの自然失業率仮説が「大コケした」理由
この記事では、ロジャー・ファーマーによる自然失業率仮説批判が紹介されている。
フリードマンの自然失業率仮説における主張は、「労働と商品市場の実際の構造特性」を取り入れた均衡は唯一であり、パレート効率的(つまり、全体での厚生を引き上げるような介入は存在し得ない)だというものだった。
しかし、ファーマーが論ずるように、『マッチング技術をワルラスモデルに追加した途端、......社会計画者の解と、市場での競争的行動によって得られる結果との等価性が成立しなくなる』のである。
つまり、ある程度精緻な(そして妥当な)モデルでは、実際に実現する均衡と、パレート効率な均衡が一致する保障は何もない。
むしろ、かなり特殊な条件(「労働者の交渉ウエイトとマッチング技術の特性」の一致など)でなければ、労働市場の均衡が理想的なものとはならないのである。
『フリードマンの会長講演は、何の苦も無しに、競争的均衡と社会計画の最適解という2つの概念の間を行き来した』のであり、そうした欺瞞には最大限の批判を加えなければならない。
振り返り見た90年代貿易と賃金論争
こちらの記事では、オックスフォード大学国際開発教授のAdrian Woodによる、90年代の貿易・賃金論争の総括が行われている。
90年代では、貿易による賃金への影響は過小評価され、むしろ技術進歩と賃金の問題ばかりがフォーカスされていた。
しかしWoodによれば、実際のところ、非先進国地域からの労働集約財の輸入は、先進国地域の低技能労働者に対して大きな雇用ショックを齎したのである。
このことが十分に警戒され、『技能労働者の供給を増やし、低技能労働者への需要を増やし、そして利益を得ている者から不利益を被っている者への再分配を行う』といった対策がより強力に実行されていれば、そうした被害を最小限に抑えることが出来たはずだ、とWoodは言う。
こうしたWoodの論述は、この貿易・賃金論争に限らず、アカデミックな経済論争が、我々の生活にどれだけの(悪)影響を与えるか、という点からも興味深い。
こうした経済学界隈の「誤診」から、国民が損失を被る例は、この貿易・賃金論争に限らないであろう。それだけ当該界隈の議論は重要であり、そこで杜撰な議論が行われているようなら、そのこと自体が厳しく追及されなくてはならない。
(以上)