信用(貸借)、貨幣、そして経済へ | 批判的頭脳

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これまで、歴史的知見、実務的事実を引用しつつ、信用貨幣の実態(「貨幣は負債の一種である」という実態)について、詳らかに議論してきた。

議論の詳細については、「貨幣の起源と本質を訪ねて…商品貨幣論・金属主義的史観からの脱却」及び「貨幣はいかなる意味で負債なのか そもそも負債とは何なのか」を通読することを薦めたい。

詳細な議論は上記記事に譲るとして、この記事では、貨幣の歴史と実態に基づき、経済とその発生について、類型的・抽象的に論じたいと思う。


まず、『ある単位の原始的共同体において、物々交換が量的質的に重要な手段として機能したことはなかった』という歴史学的知見を鑑み、実際にはどのような取引が行われていたのかを考えてみよう。

そうした経済では、「大転換」でポランニーが指摘したように、社会の「軸」は”贈与”であり、交換ではなかった。
とはいえ、こうした贈与は一方的に行われるわけではない。
ある共同体の内部における贈与は、それに対する返礼が前提であり、そうした互酬の論理こそが共同体の基本となるわけである。

こうした贈与+返礼=互酬は、通期的に見れば交換ではないか、と論ずることも可能かもしれないが、贈与と返礼の時間的なギャップというのは、やはり重要になってくる。
そこに発生しているのは、事実上の貸借関係、信用関係である。
このような信用(貸借)の発生は、「今ここにあるもの」の交換ではなく、「将来獲得するもの」の提供を社会の基礎とすることによって、事実上の『投資』を可能にした。この骨格は今でも変わっていない。もし今ここにあるものの交換しかできない社会なら、そうした社会の成長力は極めて弱かったに違いない。

かくのごとき信用(貸借)関係は、量的質的に拡大し、また複雑化していくにあたって、その「単位」の統一が志されるのはごく自然なことと言ってよいだろう。
言うまでもなく、この「単位」こそがまさしく貨幣の原型(計算貨幣)である。ここで気を付けなくてはいけないのは、貨幣という言葉には二重の異なった意義があるということだ。

一つは、「単位」としての貨幣である。これは、複数の信用関係を量的に比較可能にするための指標に過ぎない。
一つは、「決済手段」としての貨幣である。これは、ある信用関係を清算することのできる手段としての貨幣であり、単なる単位ではなく、社会の内部で「実体」を持たなければならない。

分かりやすく言えば、前者は「円」「ドル」といった単なる単位のことで、後者は実際の預金や現金などのことである。

現代では、貨幣単位として、信用貨幣それ自体が利用される(例えば円は日本政府が発行する信用貨幣であり、日本国内の各種貸借関係の単位でもある)という構造になっているが、もちろん、金や銀といったある実物が用いられる、ということもあり得た。

ここでは、確かに金や銀も決済手段として利用可能になるわけだが、それは金や銀を単位として設定したことによる副産物に過ぎないことに注意してほしい。実際の金属貨幣の歴史を紐解けばわかるように、金や銀の単位は、金や銀の実物的(相対的)取引価値に依存していたわけでもない(むしろ乖離するのが普通であった)。

ある実物が貨幣単位として利用されるような場合でも、重要なのはあくまで信用関係だということだ。貨幣は、貨幣以前に存在した信用を統一的に記述するものでしかないからである。

そこでは、信用関係の清算は、もちろん単位それ自体を用いて行うこともできるが、実際のところ少なからず単位以外の方法で清算されるであろう。最もよくある手段は相殺である。自分と相手が相互に保有している債権・債務を相殺することもあれば、自分が保有している債権を譲渡することによって、負債を帳消しにするということもあるだろう。

現代に例えると、日本政府の発行する単位=現金としての円と、我々が銀行に対して保有する預金との関係を考えるとわかりやすいかもしれない。ここでは、単位としての貨幣は日本政府の発行通貨=現金の円だけなのであり、我々が銀行に対して保有する債権(銀行預金)は、その単位によって記述された信用関係の一種に過ぎない。にも拘わらず我々は、記述された信用関係に過ぎない銀行預金それ自体によって、各種清算を行うことが出来る。例えば、銀行預金を支払って債務を返済するという行為は、先ほども述べたように「自分が保有している債権を譲渡することによって、負債を帳消しにする」という行為に他ならないのである。

単位が完全な実物であった場合も、上記のように、貨幣システムの根幹ないし前提は、信用関係にある。
だが実際には、単位には統治体の発生するトークンが利用されることが少なくなかった。単なる金銀ではなく、政府に対する納税手段として認められた金貨・銀貨のような鋳貨が専ら利用されたわけで、この場合、通貨及び貨幣の基本構造は現代と大きくは変わらない。
もちろん、金銀の資源的限界によって、通貨発行=財政支出が妨げられたこともあったわけだが、これはあくまで統治体の「自縄自縛」に過ぎないと理解した方が良い。アメリカの債務上限法と似たようなものだと考えれば大体合っている。

とにかく、貨幣は信用を記述するものとして現れた上に、専ら貨幣自体が信用(特に政府信用)によって創造されたのである。政府信用に基づいて発行された貨幣は、特に通貨currencyと呼ばれた。

余談だが、通貨currencyと貨幣moneyの違いを整理しておこう。
通貨は、ここまで論じてきたように、単位となる貨幣のことであり、統治体が直接発行した貨幣であるのが通常である。
一方で貨幣は、上記通貨を単位としつつも、統治体が直接発行したものだけでなく、民間主体が発行したものも含む。もちろん、民間主体が発行した負債が全て貨幣として機能するわけではない。貨幣には「決済手段」としての貨幣がある、という話は既にしたが、その意味では、決済手段として広範に通用する=ヒエラルキーの高い負債のことを、貨幣と認定するに過ぎないわけである。
お察しの通り、この場合の貨幣というのは、実はそこまでかっちりと決められるものでもない。とりあえず指標上、そして世俗的認識上は、銀行預金までが貨幣として認められているわけだが、実際には、大企業の振り出した支払手形が決済手段として流通することは普通にあるし、銀行から市中(非金融企業など)に売り出された国債や社債の一部が決済手段として利用されることもある。この意味で、ある負債が貨幣か貨幣でないかは、きっちりラインが引ける代物ではなく、グラデーションの問題なのだと理解されなくてはならない。


さて、話を戻そう。
とにかく、貨幣という単位が設定されることによって、ある共同体の信用関係が量的に整理され、複雑な信用関係を築くことや、複数の信用関係の間の複雑な清算も可能になるようになった。
また、信用の単位を統一したことによって、生産物の単位も天下り式に統一されることになった。
これによって、生産物の「価格」が決定することになったのである。
ここで重要なのは、生産物の価格は、あくまで信用単位統一の副産物として生じたのであって、その逆の前後関係ではない、ということである。
また同時に、生産手段の価格(賃金など)も並行して決定することになる。

こうして、生産手段を購入し、生産物を販売するということが可能になり、ここで初めて市場の基礎が出来、いわゆる「経済」が発生してくるのである。


世俗のストーリーでは、物々交換が発展した物々交換経済において、単位財(ニュメレール財)が発生し、単位財を利用した信用関係が事後的に発生するようになる、ということになっている。

しかし、実際にはまるで逆で、贈与+返礼=互酬を基本として信用関係が発生し、信用関係の単位整理によって、当該単位を利用した市場取引が発生し、現代的な意味での「経済」が発生するのである。


こうした歴史ベース、事実ベースの経済観は、経済学その他がばら撒いてきた通俗的経済観からは著しく乖離しており、一朝一夕には受け入れ難いものかもしれない。しかしながら、歴史や事実を無視した経済観は、現実の経済学者を見ても分かるように、少なからず誤診を生むものなのであり、一刻も早く転換されなくてはならないのである。



(以上)