貨幣の起源と本質を訪ねて…商品貨幣論・金属主義的史観からの脱却 | 批判的頭脳

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『古代には、お金はなかった。人々は物々交換でモノのやりとりをしていた。自分が作らない何かが必要なときには、それを持っていて、自分が作るモノと取り替えてもいいと言ってくれるだれかを見つけなければいけなかった。もちろん、物々交換という制度には問題があった。
とても効率が悪いのだ。自分が欲しいモノを持っていて、かつ、自分の持っているモノを欲しがっている人を見つけなければならない。しかも二人が同時にそう考えていなければならない。
やがて、あるモノを選んで「交換の手段」にするという考えが生まれた。理屈上は、支払手段として広く一般に受け入れられるものなら、何を選んでもよかった。しかし実際には、金と銀が選ばれることが多い。耐久性があり、加工しやすく、持ち運びもできて、希少だからだ。
いずれにしても、交換の手段として選ばれたものは、それが何であっても、それ自体が価値のあるものとして取引されるだけでなく、他のものを買ったり、将来のために富を蓄えたりすることに使えるようになった。要するに、このモノがお金であり、マネーはこのようにして生まれたのである。

これは明快で説得力のあるストーリーだ。そしてこれはマネーの本質と起源に関して古代から唱えられている由緒正しい学説なのである。』

『この説は明快で、直感的に理解できるかもしれない。だが、現代の標準的な貨幣論には欠陥がある。この学説は完全にまちがっているのだ。』

『研究者たちは物々交換で取引をしている社会を探したのだが、歴史上にも、同時代にも、そうした社会を見つけることができなかった。
1980年代になると、貨幣を研究する有力な人類学者たちが審判を下そうと考えた。

「われわれが信頼できる情報を持っている過去の、あるいは現在の経済制度で、貨幣を使わない市場交換という厳密な意味での物々交換が、量的に重要な方法であったり、最も有力な方法であったりしたことは一度もない。」
アメリカの経済人類学者、ジョージ・ドルトンは1982年にこう書いている。

「物々交換から貨幣が生まれたという事例はもちろんのこと、純粋で単純な物々交換経済の事例さえ、どこにも記されていない。手に入れることができるすべての民族誌を見るかぎり、そうしたものはこれまでに一つもない」。
ケンブリッジ大学の人類学者であるキャロライン・ハンフリーはこのように結論づけている。

このニュースは、進取の気性に富む経済学の非主流派にも広まり始めた。たとえば、アメリカの高名な経済史家であるチャールズ・キンドルバーガーは、1993年に刊行した『西欧金融史』第二版でこう記している。
「経済史家はことあるごとに、経済取引は自然経済や物々交換経済から貨幣経済を経て、最終的に信用経済へと進化してきたと唱え続けている。1864年には、経済学のドイツ歴史学派のブルーノ・ヒルデプラントがこうした見方を示した。残念ながら、それはまちがっている。」

21世紀初めには、実証的証拠に関心を持つ学者の間で、物々交換から貨幣が生まれたという従来の考え方はまちかっているというコンセンサスができあがっていた。経済学の世界ではこれは珍しいことである。人類学者のデビッド・グレーバーは2011年に次のように冷ややかに説明している。
「そうしたことが起きたという証拠は一つもなく、そうしたことが起きなかったことを示唆する証拠は山ほどある。」』

フェリックス・マーティン著 「21世紀の貨幣論」より引用】


本当のことを言えば、この記事で伝えたいことはほとんど上記の引用で済んでしまっている。
しかし、それでは味気ないし、読者の皆さんに「本を読め」で突き放すのも不憫なので、不肖ながら私めが、考古学的・歴史学的貨幣観と、それに基づく正しい貨幣理解についての『ガイド』を務めたい。

最初に参考図書を挙げておこう。
上記に引用した通り、「21世紀の貨幣論」は先行実証研究に関する平易な良いガイドとなってくれるはずだ。
他にも、21世紀の貨幣論の『元ネタ』の一つでもある、デイヴィッド・グレーバーの「負債論 貨幣と暴力の5000年」も極めて重要な著作である。
他にもカビール・セガール著「貨幣の「新」世界史」 も大変興味深い。
また、日本人著作でも、楊枝嗣朗氏著「歴史の中の貨幣 貨幣とは何か」 は是非一読を薦めたい。

とはいえ、これら全てに即座に取り掛かれというのは、何にせよ酷な話である。
というわけで、こうした考古学的・歴史学的な実証的貨幣研究(貨幣史研究)のエッセンスをまず掴むのが望ましいと思われる。ひょっとすれば、その上で上記図書に取り組んだ方が、より理解が深まるかもしれない。


冒頭に引用したように、
「物々交換経済成立→ニュメレール財(貨幣単位財)発生→貨幣経済発生(→信用(貸借関係)発生)」
という経路を辿った経済の存在は歴史上確認されていない。

歴史上に存在を確認出来るのは
「(信用(貸借関係)発生→)貨幣発生(計算貨幣発生)→経済発生」
という経路なのである。

21世紀の貨幣論では、特にヤップ島の石貨フェイが象徴的に紹介されている。
ヤップ島の経済は極めて原始的で、取引される財には限りがあるにも関わらず、そこでは物々交換ではなく、信用(貸借関係)の記述手段として石貨フェイが存在し、フェイを通じて取引されていた。
しかも、フェイそれ自体の移動は伴わないことが多かった。フェイは動かずに、所有権だけが移動していたのである。
挙句の果てには、『海に沈んでしまったフェイ』を”保有”する者もあった。それはもはや取り出し不能であるにも関わらず、そこには『”フェイ”の保有』が存在し、あきらかに信用取引(貸借取引)が生じていた。

ここでは、フェイは貨幣の実体ですらない。貨幣の実体、本質、起源は、信用関係(貸借関係)とその記録にあるのであって、その形式(例えばフェイ)にあるわけではないのだ。

『ヤップ島のマネーはフェイではなく、その根底にある、債権と債務を管理しやすくするための信用取引・清算システムだったのだ。フェイは信用取引の帳簿をつけるための代用貨幣にすぎなかった。』


21世紀の貨幣論は他にも
・ケインズとフリードマンという、全く逆と目される経済学者たちが、ヤップ島のフェイを「貨幣の本質を示す好例」として引用した。
・ジョン・ロックは金属主義(貨幣価値は、その貨幣の金属価値に帰属すべき)を論じ、それを通じて貨幣政策を説いた。それを真面目に受け取って政府が改鋳を行った結果、経済はデフレーションによる停滞を起こしてしまった。
といった、非常に興味深い、ないし示唆的な記述に富んでいる。

この本を手に取るにあたっては、既にいくつかネット上に出ている書評にまず目を通してみると良いかもしれない。

大昔、物々交換などなかった(シェイブテイル日記改め 西武輝夫日記より)

『21世紀の貨幣論』を読んでみた。(いものやま。より)


さて、物々交換が経済に主流の手段となったことがないどころか、純粋な物々交換経済も存在したことがないとすれば、有史における様々な物々交換は、一体どういう位置づけだったのだろう?
加えて、物々交換から貨幣が生まれたのではないとすれば、貨幣は一般的にどのような過程で生まれてくるのだろう? 経済の発生についても、どうなのだろうか?

そうしたことが、既に挙げた著作の中でもまとまっている。このことを、同じ著作を参照しながら、極めて平易に紹介・解説してくれているサイトがあるので、そのサイト記事を紹介していきたい。
サイトタイトルや、記事タイトルは少しおふざけが入っているが、内容は極めてまともだし、またわかりやすい。


物々交換とかいう無理ゲーwwwという記事では

・物々交換は騙されるリスクのある取引で、バーター(=物々交換)の語源が「騙す、裏切る、巻き上げる」という意味であることからも察することができる。
・原始的部族、および有史上の物々交換は、決して身内では行わず、他部族と、非日常的な形で、時には抗争への発展のリスクを抱えながら行うものであった。(物々交換は、共同体経済の中の日常的な取引ではなかった)

といったことが実際の事例を引用しつつ解説されている

はじめに負債ありきという記事では、実証的に否定された物々交換起源説の代わりに、以下のオルタナティブ・ビューを提示している。

「身内での贈与」→「贈与から貸借への発展」→「貸借関係(信用関係)の記録手段の発展」→「信用(貸借関係)の記録、即ち借用証書が貨幣へと発展」

借金を記録した結果wwwという記事では、前記事のオルタナティブ・ビューの論拠の一つとして、古代メソポタミアの「トークン」の歴史が紹介されている。

古代メソポタミアでは、トークン(貸借関係の記録物)として、まず様々な造形(貸借物である大麦や家畜を表現する)の石が用いられ、以下のサイクルを辿った。
「石の”容器”として粘土球が用いられる」
→「粘土球の表面に、入れられている石の種類と数を記録するようになる(これが古代メソポタミアにおける文字の起源という有力な学説がある)」
→「貸借記録だけが必要であるという観点から、石が排除され、文字の書かれた粘土板だけになり、粘土板が事実上の借用証書となる」
→「粘土板が譲渡可能な借用証書となり、事実上の貨幣のような働きをしはじめる」


お金がないなら借りればいいじゃないでも、オルタナティブ・ビューの論拠の一つとして、イギリスにおける中央銀行制度の誕生の経緯が紹介されている。掻い摘んで説明すると以下の通り。

「当時は、金銀を用いて納税手段として金貨、銀貨を政府が鋳造していた。」(もちろん、この時点で形態的には租税貨幣ではある…)
→「金銀が尽き、鋳造が不可能になる」
→「そこで、イングランド銀行を作り、政府の税収を担保にして金貨・銀貨の出資を集める」
→「イングランド銀行は、そのまま金貨・銀貨を渡すのではなく、集めた出資金分の借用証書=紙幣を発行し、それを政府の”財源”とした」

記事ではここまでで終わっているが、この話の続きは我々が知る通りである。
もともと、我々が金貨銀貨といった『ソブリン・マネー』を流動性として用いたのは、既に説明した通り、それが納税手段であったからだ。
上記で発行された「紙幣」がそこに置き換わったとて、本質的に問題が生じるはずがなかったのである。
あとは、「別に金銀じゃなくたって良かったのだ」と気付くか、気付かないかだけの話でしかなかったわけだ。
この借用証書=紙幣は、所有するソブリン・マネー(金貨、銀貨)をはるかに超えるほど発行され、最後はその兌換性すら失った。だがそれは、表券主義貨幣観が予想する通り、何の問題も起こさなかったし、起こすはずがなかった。


金銀財宝の賢い使い道では、より直接的に金属貨幣について論じられている。要点は以下の通り。

・金属貨幣の流通価値が、その素材価値に依存するという「金属主義」という考えは、『金貨や銀貨は常に、それに含まれる金属の価値より高い価格で流通していた』という歴史的事実によって棄却される。

・もし金属に普遍的価値があるなら、そのまま”支出”すれば良いのであって、わざわざ鋳造して、なおかつ納税手段として指定するのは不自然。

・歴史的に見て、通貨の発行は戦争とリンクしている。これは、戦利品となって”余る”宝飾品を、租税貨幣として加工して軍人の給料とし、政府→軍人→民間業者(食べ物、酒。女を提供)→政府(現物の代わりに貨幣で納税)というサイクルを作るためだったのではないか。



いかがだっただろうか。
こうした史観、及び貨幣観は、歴史および現実の経済史・貨幣史に整合的なパラダイムである一方で、既存の通俗的な史観とはかけ離れているところもあり、なかなか心から納得するのは難しいかもしれない。

しかし、貨幣の起源と本質を理解しようとすれば、必ず向き合わなくてはならない一つの、そして最有力の回答なのである、ということは念頭に置かなくてはならないのだ。

(以上)