「財政再建は終わりました」をMMT系財政出動派として批判する(寄稿コラム) | 批判的頭脳

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noteにて、「経済学・経済論」執筆中!

「なぜ日本は財政破綻しないのか?」

「自由貿易の栄光と黄昏」

「なぜ異次元緩和は失敗に終わったのか」 などなど……


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寄稿先はこちら


ネットリフレ界隈で紋所のように出回っているのがアフロ氏の「財政再建は終わりました」というスライドである。

こちらのtogetterから見ることが出来る。
https://togetter.com/li/997209

はっきりいってこのスライドは、内容の不正確さや不誠実さから、財政再建主義批判の足を引っ張るものになっており、今回は逐一批判しつつ、代替説明・代替論理を提示することで、財政再建主義批判の”復権”を図ろうと思う。


>日本銀行は貨幣を発行して国債を買っているため、償還されなくても困りません
>日本銀行が持っている国債の利払いは国庫納付金となって戻るため、実質的な利払いは存在しないと考えることが出来ます。

>以上のことから、政府と日銀をセットで考えても問題はありません


統合政府で勘定をおこなうことの妥当性をアフロ君(ないしネットリフレ派なりに)説明しようとした部分なのだが、妥当な説明とはなっていない。

そもそも第一のポイント(償還……正確には完済の事と思われるが……されなくても困らない)さえあれば、第二のポイント(利払いは国庫返納)は要らないという蛇足という問題があるのだが、そうした蛇足が発生してしまうそもそもの理由は、統合政府で考えるべき理由のポイントを最初から大外ししてしまっているからだ。

MMTの理解に沿ってあっさりいれば、国家貨幣とは、まず財政赤字で形成され、租税によって(恒久的に)回収されるというサイクルを持つ。
では国債は何のために発行されるかというと、「国家貨幣を“一時的に”回収するための手段」として発行されるのである。
中央銀行は建前上財政から独立しておりわかりにくくなっているが、現在においてもこの基本構造は全く変わっていない。本質的に国家貨幣発行と財政を分離することは不可能なのである。
考えればすぐわかることだが、少し変わったデザインの紙切れ(紙幣)や単なる電子データ(日銀当座預金や政府預金)は、そのままのプレーンな状態では何ら購買力を持つことはできない。必ず何かしらの社会的な裏付けが必要になる。

国家貨幣の場合、それは金銭による租税である。「後に納税に用いることが出来る」というのが国家貨幣の流通条件である。(正確には、最終需要が与えられていればよいのであり、それは必ずしも租税という形を取る必要はないのだが、わかりやすくこうまとめておく)

このような経緯から、国家貨幣発行体としての中央銀行と財政は不可分になるのであり、統合政府で考える必要性が生まれてくるのである。

こうした考えでは、国家貨幣はいわば「徴税前借」であって、統合政府の“本質的な”負債に他ならなくなる。このことを押さえておいてほしい。


>統合政府純債務残高対GDP比=(政府純債務-日銀保有国債)/名目GDP

この式も、すでに示した考えからすれば、噴飯ものであることが明らかである。
なぜならここでは、統合政府の本質的負債である国家貨幣(中央銀行当座預金や現金など)が完全に省かれているからである。
国家貨幣をその性質に従って統合政府負債だとして計算すれば、日銀の買いオペは統合政府財務上必ず中立になる。
それをネットリフレ派が否定するのは、ひとえに国家貨幣の負債性を全く理解していないからだ。
MMT系財政出動派からすれば、これは完全にごまかしの態度である。
国家貨幣には明らかに負債性がある。日銀の買いオペは、統合政府の財政を再建させたりしない。
だが、そのことに何ら問題はない。なぜならそもそも統合政府は財政再建を目指す必要などまったくないからである。
ネットリフレ派の論法は、通弊の財政再建主義を批判しているように見えて、実は財政再建主義に捕らわれている。なぜなら、「政府の借金は減らなければならない」というドグマに捕らわれているからだ。そしてその詭弁は、「国家貨幣の負債性」を無視することで辛うじて成立している砂上の楼閣である。
一般大衆はかのような稚拙な詭弁で騙せても、学術・政策レベルになればこうした詭弁は廃されてしまう。その意味で、むしろ財政再建主義を止める際に、こうしたネットリフレ派の主張は却って邪魔になってしまうのである。
正々堂々と
「政府は負債を増やすべきだ。財政再建を目指すべきではない」
ということを主張しない限り、最終的な勝利はあり得ないのである。




>名目GDPとマネタリーベースの関係から名目GDP600兆には1100兆円程度のマネタリーベースが必要と分析できる


これは本当に笑止千万としか言いようがない。
まずもって、マネーサプライですら、名目GDPとの比例関係が安定的ではない。
マーシャルのk(マネーサプライ/名目GDP、貨幣流通速度の逆数)は、趨勢的上昇傾向にあり、特に不況の深化に伴って強く上昇している。
つまり、マネーサプライの増加に対する名目GDPの増加がそもそも弱まっているのである。
おそらくその根本的な理由は、経済の構造上、マネーサプライを始めとした金融資産の貯蓄傾向が強まっているが故であろう。こうした場合、十分な名目GDPのために、マネーサプライ増加を促す(根本的には信用創造=市中銀行貸出を促す)政策を取ること、その直接的方法としての財政出動というのは望ましい方向性にはなる。

しかし、マネーサプライとマネタリーベースの間の断絶は、さらに凄まじいものがある。
はっきりいって、黒田緩和は、いかにマネーサプライとマネタリーベースが断絶しているかを示す極めて良い機会となった。当然、マネタリーベースと名目GDPの乖離はさらに凄まじいことになっている。この状況で名目GDPとマネタリーベースを対応的に考えようとする態度は、現実無視にもほどがある。

では、そもそもなぜ、マネタリーベースとマネーサプライは乖離するのであろうか。
それはマネタリーベースの機能を考えればすぐにわかることだ。
マネタリーベースの機能は主に三つだ。銀行間決済、対政府決済、そして経済への現金の提供である。

そのいずれも、まずマネーサプライが(信用創造によって)創出され、それが流通する(ないし現金として引き出される)ことによってはじめて効果があるのである。

もちろん、マネタリーベースを絞った結果として、マネーサプライの創出を絞らせるということはできるかもしれない。しかし、基本的にはあくまでマネーサプライの流通に合わせて受動的にマネタリーベースが必要になるのであって、その逆ではないのである。だから、マネタリーベースだけをどんどん供給しても、一向にマネーサプライの増加にはつながらないのである。

そもそも今のマネタリーベースの供給は、すでに世に出ている統合政府の累積赤字(=市中国債+中央銀行負債)のうち、国債を減らして中央銀行負債(のうちの中央銀行当座預金)を増やすという形式で行われており、民間の資産を全く増やせていない。米を奪う代わりに麦を与えているような塩梅なのであり、経済的に中立なのである。もちろん、マネタリーベースが少ないせいでマネーサプライの創出が阻害されている場合は(具体的には政策金利が十分に正の場合は)意味があるのだが、一旦マネタリーベースが潤沢になってしまえば、マネタリーベースの追加がマネーサプライを増やす効果はとんと消え失せてしまう。そうなれば、政府による直接のマネーサプライ創造=財政出動しか手段はないのである。



>ブランシャールの定義 ドーマー条件


これはネットリフレ派のみならず経済学全体のナンセンスだが、政府債務残高GDP比という指標にあまり大した意味を求めるべきではない。
仮にそれが低くても財政・金融破綻は容易に起こるし、高くても財政・金融破綻は起こるとは限らない。
むしろ、財政黒字が実現し、(統合)政府債務が縮減していくタイミングは、たいていバブルの発生を示すものであり、のちの金融破綻のリスクを示すマーカーになっている。
仮に政府債務残高GDP比の高値が維持されているとすれば、それは経済の長期停滞を示唆しがちであり、当然その場合は、長期金利の極めて低い財政安全状態である可能性が極めて高い。

したがって、政府債務残高GDP比に拘泥する考え方自体、迅速に放棄されるべきなのである。
気にすべきなのは、むしろインフレ率(ないしインフレ予想)である。インフレ率は、当該経済における信用創造が生産・財取引上で過剰になっていないかを端的に示すからだ。これ以外の指標を参照するのは、却って害悪である。

アフロ君はPB黒字化目標の廃止を主張しており、それも一理あるが、はっきり言って生ぬるい。
それ以前に、ネットリフレ派は、「インフレ・完全雇用さえ実現できれば、財政黒字であっても良い」あるいは「インフレ・完全雇用が実現される限りにおいて、財政黒字は目指す”べき”だ」と考えているかもしれない。しかしそれは「財政黒字はバブル発生の腫瘍マーカーである」という経済的事実とは根本的に相いれない。このことをネットリフレ派が理解するときは来るであろうか?





まとめると
「ベースマネーは本質的に統合政府負債であると認め、買いオペが財政再建に繋がらないことを認めるべき」
「そのうえで、『政府は負債を増やすべきだ』『政府は財政を悪化させるべきだ』と主張すべきだ」
「そもそも、『政府の財政改善が良いことである」というドグマから離れるべきだ」
といった具合になる。


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