財政学は何を間違えてきたのか (『進撃の庶民』寄稿コラム) | 批判的頭脳

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noteにて、「経済学・経済論」執筆中!

「なぜ日本は財政破綻しないのか?」

「自由貿易の栄光と黄昏」

「なぜ異次元緩和は失敗に終わったのか」

「「お金」「通貨」はどこからやってくるのか?」などなど……


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これは2016/6/23に進撃の庶民に寄稿した拙コラムの転載である。



財政学の誤りについては、『大学の経済学講義で見る「財政学」の罪』『主流派経済学はなぜ消費税増税を解として導くのか』でも論じてきたが、このコラムでも(少し考えを変えたり付け加えたりしたところを含めて)改めて論じなおしておきたい。

財政学者は、はるか前から日本の財政が維持不可能だと喧伝し、一刻も早い財政再建の必要性を喧伝してきた。(井堀と土居のボーン条件に関する論文などが典型的である)
他にも、東大の経済研究者主宰で「財政破綻後の日本経済の姿に関する研究会」が設立されたりもした。

ところが、日本経済財政は、どう考えても彼らの想定するような破綻的様相を呈そうとしない。このことについて、残念ながら財政学は十分に説明できているとは言えない。

ここで、財政学がなぜ「日本財政を破綻的である」と考えたかについて概説しておこう。
そのためには、経済学における消費と貯蓄の理論を理解しておく必要がある。
経済学において、所得は最終的には完全に消費されることになっている。その意味で、消費と貯蓄の選択とは、現在消費と将来消費の選択であると定義付けることが出来る。
そして、稼得された所得は、無駄に貯蓄されることはない。ということで、将来的には貯蓄はゼロであるべきだと考えられる。

ただし、この条件はもう少し厳密に考える必要がある。というのは、時間割引率というものが存在するからだ。
時間割引率とは、ある量の(貨幣を含む)財の主観的価値が、時間が経つごとに減っていくその割合のことである。
明日のステーキは来年のステーキより魅力的だし、来週の給料は来年の給料よりありがたく感じられるだろう。
明日もらえる一万円と、来年もらえる一万百円、どちらを選択するとなって、前者を選ぶ人は多いだろう。
この時間割引率を反映する実際の指標が、金利(正確にはリスクフリーレート)である。金利は、流動性(貨幣)を一定期間手放すことに対する報酬である。年利が2%なら、いまの100円≦来年の102円という判断があることになる。裏を返せば、2%以下の金利を受け入れないということなので、いまの100円>来年の101.9…円という風に判断しているということになる。(ここまでの議論ではリスクプレミアムを無視している) 年に2%の割合で、貯蓄価値を割り引いているわけだ。

先ほど述べた「貯蓄はゼロであるべき」という条件は、時間割引率を用いて厳密に定義すると、「時間割引した貯蓄がゼロに収束するべき」という条件で定義される。この条件のことを横断性条件という。(NPG[No-Ponzi Game]条件と称されることもある)
この場合、実は貯蓄は増加しても横断性条件を満たせる場合がある。時間割引率以下の増加は、貯蓄の現在割引価値を増やさないからだ。逆に、時間割引率以上の貯蓄増加は起こり得ない。そういう場合は、時間割引率=金利が引きあがる場合か、貯蓄の実質的な価値が下がる…インフレによる貯蓄減価が生じる場合だけになる。

ということで、横断性条件は簡単に言えば時間割引率≧貯蓄増加率、すなわち金利≧貯蓄増加率で表現できることになる。

ここで、貯蓄とは、常に誰かに対する「貸し」である。預金だとしても、国債だとしても、株だとしても、それぞれ銀行、政府、企業への「貸し」になっている。というわけで、必ず「負債」が対になっている。預金は銀行の負債で、国債は政府の負債である。株は会計上企業の負債ではない(企業は返済義務がない)が、資金循環上は負債として扱われる。直接返済するのは企業ではなく、他の株式投資家ということになるだろう。 (参考 資金循環統計

※転載注:直接的な購入は他の株式投資家の領分になるが、株式投資家がなぜ購入するかという淵源を辿ると、企業による”利払い”(いわゆる配当)に帰結するのであり、企業のそうした支払い(義務)に株式価値の根源があると理解できる。この意味で、非個別会計的、すなわちマクロ的には、株式を企業負債とする(株式の価値が、企業の何らかの支払い義務に依存する)のは大過ないと思われる。


よって、横断性条件は、貯蓄と同値のものとしての負債に対する条件だと見做すことが出来る。金利≧負債増加率が横断性条件となる。

当然のことながら、日本は全くこの条件を満たしていない。1990~2015年の政府債務の増加率は手計算で年複利でみて6%弱であった。金利はその期間のうちのほとんどを低空飛行している。
数学的には、前期債務増分×定率のプライマリーバランス改善でも横断性条件が満たされる(Bohn条件 )のだが、井堀・土居はそれも成立していないと分析している。

この分析で財政学者はどういう結論を得たのだろうか。

ここで財政学者は、「国債金利は異様に低すぎる」⇒「今は国債バブルであり、国債金利は横断性条件が示す水準に”収斂”しなければならない」と考えるのである。そして、ベースマネー供給により金利の収斂を回避した場合は、債務の実質価値の低下として、インフレがもたらされると予言するのである。(横断性条件を通じ、債務増加率から物価を推定する分析を、Fiscal Theory of Price Level FTPL 物価水準の財政理論というのだが、その成績は芳しくないという批判が絶えない 参考:「マネタリズムもFTPLもインフレ予測に役に立たない

疑いようもない事実として、この財政学者の予言は一向に当たる気配がない。「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会も、振り上げた拳の行き先を無くしているし、かつて破綻論がひしめいていた経済評論において、最も有名な経済評論家は(財政破綻論と対極をなす)三橋貴明となっている。

ここで、主流派見解(横断性条件に基づく財政破綻論)を擁護するある見解として、uncorrelated氏のものがある。
彼が言うには、「国民は財政再建――横断性条件を満たす健全財政――が長期的に実現すると信じている。それゆえ国債金利高騰もインフレも起こらない。もし国民の予想を裏切る財政を行えば、国民の予想が瓦解し、ハイパーインフレになる」とのことなのである。

これは荒唐無稽に過ぎると言わざるを得まい。もし国民が健全財政の実現を予想しているなら、浅井隆や藤巻健史のような破綻論者の本が飛ぶように売れたりはしなかっただろう。現実として、20年以上も横断性条件の破れは続いているのである。この期に及んで、健全財政の実現を予想している国民など、希少種の中の希少種であろう。そもそも――これは強烈な皮肉だが――財政学者自身、「このままでは財政が破綻する!」と喧伝し、財政再建を訴えてきたのではなかったのか。

ここでuncorrelated氏を弁護しておくと、彼自身は極めて優秀な論客だと思うし、頭脳明晰な人物だと思う。そんな彼ですら、このような苦しい弁護しか出来ないという点において、やはり財政学の議論は明確に破綻しているのである。

さて、では財政学のロジックのどこがいけなかったのだろうか? これが分かれば、新たな経済学的地平が開け、正しい判断が可能になる。

……あくまで私の個人的な仮説であり、検証される必要があるが、国債単独に横断性条件を適用しようとすることそれ自体が間違いだったのではないか、と私は考えている。

我々の主な貯蓄手段は言わずもがな現預金である。そして預金は、本質的に政府負債と呼べる性質を持っている。
というのは、ただの偉人の絵のある紙切れ、あるいは電子データに関してその流通価値を担保するのは、現預金のもつ納税能力(正確には、唯一納税可能なベースマネーにアクセスすることが出来る権利)だけである。もしそれがなければ、日本円は誰も受け入れることはないだろう。この意味で現預金は、納税の前借ともいえ、それゆえに本質的に政府負債としての構造を持つのである。

となれば、政府負債の横断性条件を考えるとき、広義の政府負債である現金及び銀行預金も含めて考えなければならない。マネーサプライ(M3)の増加率は、2003~2015において複利で2%を割っている。もちろん、現預金の金利は0%あるいは0%に限りなく近いので、単純な金利と増加率の比較なら、まだ横断性条件を破っている。

しかしながら、この間GDPデフレーターで見ておよそ1%のデフレが続いていた。横断性条件で重要なのは実質金利であるから、これも加味せねばなるまい。また、横断性条件……というより、もともとのモデルは一般均衡を前提としており、完全雇用、潜在GDPと実質GDPの一致が前提とされている。
だが、デフレ・ディスインフレの顕在化する経済では、生産キャパシティ以下に所得は抑えられている。横断性条件で考慮すべき実質金利は、このGDPギャップも考慮すべきだ。GDPギャップが大きければ、潜在的なデフレが大きいということになり、潜在的な実質金利も大きくなる。となれば、そもそも政府負債は(厳密な)横断性条件を破っておらず、現在の低金利デフレ均衡は、ごくごく自然な代物だと考えることが出来るのである。この場合、生産キャパシティを引き出すには、政府負債のより大きい発行が求められることになる。(繰り返すが、これはいまだ仮説に過ぎない)

財政学の間違いは、表面的な横断性条件の破れを絶対無二の真実として信仰し、その理論と現実との非整合性にきちんと向き合ってこなかったことに集約されると私は考えている。


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2017/4/13 追記


「横断性条件の破れ」についての考えは、最近は少しずつ変わってきている。

ライフサイクル(異時点間最適化)と横断性条件というtogetterにまとめたことだが、今は以下のような考えだ。

現在は、異時点間最適化モデル(含む横断性条件)が求める理想の貯蓄水準を(投資不足によって)大きく下回っている
→横断性条件は、「理想均衡上における」債務増加率を扱うことはできても、不均衡な貯蓄水準の動きを扱うことはできない
→今の短期的な債務増加率が(横断性条件からみて)多すぎるとしても、モデル上の横断性条件を破っているとは限らない。(もともと理想均衡より貯蓄水準が少なすぎるから、その状態から多少大きく増えても問題にならない)




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