財政破綻の再定義 それを通じた新しい金融財政政策理解 | 批判的頭脳

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noteにて、「経済学・経済論」執筆中!

「雇用増加の下でも賃金が停滞する理由」

「なぜ異次元緩和は失敗に終わったのか」

「「お金」「通貨」はどこからやってくるのか?」

「なぜ日本は財政破綻しないのか?」などなど……



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財政破綻とは何なのか。私は簡易的に「自国通貨建て債務の破綻は、インフレとして表出する」という結論を出しているが、これを厳密かつ実務的に描写してみたい。
まず、一般に財務破綻として典型的な「不履行」が自国通貨債務では起こらないメカニズムについて理解しておく必要がある。
私企業は、その資金調達能力は、一般にその「稼ぐ力」に依存する(投融資を受ける場合ですら、そうである)ので、財務破綻が分かりやすい。
もちろん、例外を拾えば、稼ぐ力が十分に失われていなくても、投融資側の憶測で資金供給がストップし、不渡りを出すケースも存在するが。

ところが、政府の場合、所謂「稼ぐ力」が問題にならない。
これは中央政府がどう財務を計算しても(中央銀行と合算してでさえ)債務超過になり、その状態が長期継続しているにも関わらず、一向に不履行に陥らないことからもわかる。
債務超過のまま何十年と継続するなんてことは、私企業では到底あり得ないことだ。

では、政府はどのように債務超過を乗り切っているかというと、乗り切ってなどいないのである。正確に言えば、債務の形態を適宜必要な分だけ、国債からベースマネーに変換しているだけなのだ。
ここで重要なのは、ベースマネーも、名実ともに政府負債なのだという事実である。実務的には、日銀負債として計上されており、ベースマネーは基本的に日銀の国債購入(買いオペ)で市中に供給される。
では、どういう意味で政府負債であるのか。
それは国民にとって納税手段として機能し、政府の徴税権という資産を相殺するものであるという構造に依存していると考えられている。
(詳しくは拙記事 通貨発行益を整理する 通貨発行それ自体は収益にはならない

政府+日銀(統合政府)レベルで見れば、国債の履行というのは、国債の代わりにベースマネーを渡すという「政府負債と政府負債の交換」で済んでしまうので、履行上の問題は発生し得ないわけである。
従って、財政破綻は、不履行「以外」の形態で定義されなければならない


では、国債履行をベースマネー(政府負債の別形態)で履行した場合どうなるかというと、市中のベースマネーが増えていくことになる。
これに対し、政府日銀はベースマネーを回収する構造をいくつか持っている。
まずは租税である。租税は、民間の銀行預金を減らしつつ、銀行から日銀当座預金を回収し、政府預金に吸い上げる。
もちろん、これを支出に回してしまうと元の木阿弥なので、日銀保有国債の返済に用いることで、BMを最終的に償還(回収)する。
次に日銀の通貨発行益である。日銀の保有する資産の利子収入は、市中からBMによって支払われる。これによってBM回収が成立する。
ただし、管理通貨制度で日銀が持つ見合い資産は基本的に国債であり、日銀の通貨発行益は国庫納入されるので、政府預金から政府預金に向かい、元の木阿弥になる。
結局、政府の租税がなければBM回収にはならない。言い方を変えれば、管理通貨制度における日銀通貨発行益は租税を介して機能するわけである。

以上はフロー面でのBM回収だが、よく行われるBM回収はストック面を通じており、一般に売りオペと呼ばれる。それは日銀保有国債の市中売却によって行われる。
ただ、ここで注意が必要なのは、国債には定期利払いと満期償還が必要だということである。これは当然、BMによって支払われなくてはならない。

例えば、日銀がインフレに対する金融引き締めのため、高利回り政策を取ると同時に、それに応じた高利国債売却を行った場合、流動性効果により一時的には金融は引き締められる。
しかし、政府が財政再建に向かわない場合は、結局国債履行のためのBM追加を長期的に行う必要が出てくる。これは長期的にはインフレ予想を高めるものとして機能することになる。
もちろん一般には、インフレを通じてビルト・イン・スタビライザーが働いたり、均衡財政神話が効いたりして、財政緊縮に向かい、金融引き締めの円環が閉じることになる。
なお、この構図は、金融引き締め策として売りオペではなく超過準備付利利上げを行った場合も同様になる。
通貨発行益(日銀の利子収入)が租税を介して機能することを思い起こしてほしい。超過準備付利は、これとはちょうど逆のベクトルを示すことになる。要するに財政支出になるのだ。
したがって、超過準備付利単体では、短期的な引き締めとしてのみ機能し、長期的な引き締めになるには、財政側の同調が不可欠になる。

ちなみに、デフレに対する金融緩和政策の場合はどうなるだろうか。国債買い入れ政策によって金利が下がれば、借入が刺激され、信用拡大に向かっていく。
しかし、信用拡大が持続的に増加していかなければ、持続的なインフレにはならないし、インフレに応じて”必要になる”BMの水準も当然伸びていかない。
この場合、政府が国債発行支出による持続的な信用拡大を担う必要が出てくる。その結果として、BMの適正な増加率と、それを反映する国債金利(=長期的通貨膨張率)も決定するだろう。
「インフレとそれに対する引き締め」の場合と異なるのは、BMの変化が信用の変化に単純に結びつかない(むしろ逆である)ので、BMの増加率ではなく信用の増加率に注目しなければならないという点である。

(実は、この枠組みをマイナス金利に適用してみても面白い。マイナス金利は、長期的にはBMの回収として機能することになるので、本質的に金融の引き締めになる。
現在は、現金のせいでマネーサプライに対するマイナス金利が働いてないから、負担が銀行に集中してしまい不完全だが、仮にMSにも広範にマイナス金利が設定されるようになれば、通貨は経済全体で減少することになる。
マイナス金利は、それを設定した時点では信用拡大するが、長期的には信用が縮小していく政策なのである。それでも通貨減価を通じて流動性の罠を解決するという構造を持っている)



こうしてみると、金融政策というのは、極めて財政政策に依存した構造になっている。財政金融政策は、特に管理通貨制度において、不可分なものなのだ。
サージェントが「ハイパーインフレは財政的現象」と論じたのも、この構造と無関係ではないと思われる。

厳密には、金融政策のみで円環を閉じる経路も存在し得る

金融引き締めの場合は 利上げ⇒信用収縮、それによる物価下落→実質利上げを通じた信用収縮加速⇒デフレ、そしてデフレを癒す利下げ政策⇒インフレ率と金利(=長期的通貨膨張率)の安定

金融緩和の場合は、利下げ⇒信用拡大、それによる物価上昇→実質利下げを通じた信用拡大加速→インフレ、そしてインフレを抑える利上げ政策⇒インフレ率と金利の安定

この経路を外れると、ハイパーインフレーション、あるいは長期停滞に向かうという構造である)

(なお、上記で論じた「金利」は、基本的には名目金利のことである)


もちろん、財政を通じた通貨膨張が、生産拡大として吸収されている分には何も問題にはならない。むしろこの点で、通貨膨張は生産(追加)を基礎づける不可欠要素である。
ところが、通貨膨張が生産拡大を著しく超過する場合は、高インフレとなり、それによる調整コストや資源配分非効率化コストが発生することになる。

ここでいう通貨膨張とは、ベースマネー膨張(を通じたマネーサプライ膨張)であり、政府負債膨張と同義である。
財政破綻とは、政府負債の「過」膨張、それによる高すぎるインフレと考えるべきだ、という私の主張はこうした形で表現されることになる。

この考えからは、財政破綻や財政再建を他の指標――国債GDP比とか、プライマリーバランスとかで考えるのは極めてナンセンスだ。
財政破綻を測れる唯一の指標はインフレ率であり、もっと言えば総需要政策上のインフレ許容目標との乖離度である。
一般には、中央銀行の金利操作による短期的な総需要操作が機能するインフレ率=名目金利が十分に正になるインフレ率が望まれる。今果たしてそこまで十分にインフレが高まっているだろうか。
もしインフレ率が低すぎるとしたら、問題になっているのは財政破綻ではない。むしろ財政破綻から遠すぎることが問題になる。



こうした考えは、奇しくもフィッシャー式逆さ眼鏡派(検索推奨)と似たものになっている。ただし、より高い通貨膨張を実現する方法として私が提唱するのは、利上げではなく、国債発行支出の拡大を通じた自然な名目金利上昇であることに注意願いたい。