エスノグラフィー(Ethnography)とは、社会科学分野で用いられる観察手法の一つであり、文化人類学の研究方法として発展したものである。その語源は「人々を研究する」という意味であり、19世紀末から20世紀初頭に活躍したポーランド系英国人・マリノフスキー(Malinowski, B.)が創始者である。日本では「民族誌」とも訳され、未開民族や特定地域社会の文化や社会経済組織などを対象に、フィールドワークを通して描き出す方法、及びその成果として書かれたモノグラフや報告書のことと定義される(佐藤 1992)。エスノグラフィーは、社会の文化を記述する試み、当事者の視点から文化の成員の行動を理解する試みであり(Spradley 1980)、固有の文化の人々の暮らしを彼らの生活論理に即して記述・描写する(志水 1998)。
エスノグラフィーを遂行する上で研究者は、特定集団の中に身を置き、毎日繰り返される些細な出来事を体験すること(Goffman 1961)、その集団の特徴を知り、人々の行動を観察し、価値観を捉えること(Pope & Mays 1999)、その為にはあらゆる方法を駆使してデータを収集することが求められる。観察、活動への参加、インタビュー、文書資料や統計資料、質問紙調査など、研究目的を達成するためには手段を選ばない柔軟な態度が必要であり(志水 1998)、こうした姿勢は「恥知らずの折衷主義」と形容される(佐藤 1992)。エスノグラフィーにおける観察の基本となるのが参与観察(Participant Observation)である(Spradley 1980)。これは、外から見たのでは分かりにくい現象の詳細に立ち入り、行為や出来事の意味を行為者の視点から理解する試みである。また、エスノグラフィーの記述や分析の方法として「分厚い記述」がある(Geertz 1973)。これは、観察された現象や出来事の記述に終始するのではなく、その現象や出来事の背後の意味や構造についての適切な考察と解釈を目指すものである。
エスノグラフィーのタイプについて、志水(1998)は、①科学的エスノグラフィー、②職人的エスノグラフィー、③実験的エスノグラフィーの3つに分類する。
①科学的エスノグラフィーは、客観性を重視し実証主義の土俵で勝負することを志向する。参与観察によって得た質的データを信頼性と妥当性を価値基準とする量的研究に匹敵する手法で分析し、極力一般性を備えた知見の提示をめざす。
②職人的エスノグラフィーは、特定文化の全体像を洞察に満ちた叙述を通して提示することを志向する。そこで問われる価値基準は、客観性や科学性よりも説得力であり、それを保証するのがエスノグラファー個人の職人芸とも言える知恵と技である。人類学や社会科学の分野で行われるエスノグラフィーの多くはこれに該当する。
③実験的エスノグラフィーは、1980年代以降に誕生した様々な実験的試みの総称である(Marcus & Fischer 1986)。その特徴は、文化の多様性を描き出すことで、自らの文化を批判的に検討することにある。文化の多様性を描き出すためには、多様な声が響き合い、多様な読みに開かれたテクストが理想とされ、その一類型として、多声法的エスノグラフィー(Multi-vocal Ethnography)が用いられる。また、今日では、オート・エスノグラフィー(Auto- Ethnography)のように、当該文化を最もよく知る成員としての「私」が主観的な経験を記述し、自己再帰的に考察することで、自らの文化を内部者の視点から描き出す試みも行われている(Ellis and Bochner 2000)。
参考文献
Geertz,C. 1973 The Interpretation of Cultures. Basic Books. 吉田禎吾監訳(1987)『文化の解釈学Ⅰ・Ⅱ』 岩波現代選書
Goffman,E. (1961) Asylums: Essays on the Social Situation of Mental Patients and Other Inmates. Harmondsworth: Penguin.
Marcus,G.E., & Fischer,M.J. (1986) Anthropology as Cultural Critique: An Experimental Moment in the Human Sciences. University of Chicago Press. 永渕康之訳 (1989)『文化批評としての人類学—人間科学における実験的試み—』 紀伊國屋書店
Pope,C., & Mays,N. (1999) Qualitative Research in Health Care. BMJ Publishing Group. 大滝純司監訳(2001)『質的研究ガイド—保険・医療サービス向上のために—』 医学書院 10-17頁
佐藤郁哉(1992)『フィールドワーク—書を持って街へ出よう—』 新曜社 46-68頁
志水宏吉(1998)「教育研究におけるエスノグラフィーの可能性—「臨床の知」の生成に向けて—」 志水宏吉編 『教育のエスノグラフィー—学校現場のいま—』 嵯峨野書院 2-28頁
Spradley,J.P. (1980) Participant Observation. Harcourt Brace Jovanovich College Publishers.
初出掲載誌:日本教育方法学会編『教育方法学研究ハンドブック』,学文社(分担執筆),2014年10月