人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経見宝塔品第十一』について 16 | 中杉弘の人間の探求

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323 ※釈迦多宝の二仏並坐(にぶつびょうざ)

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経見宝塔品第十一』について 16


 「爾の時に、東方の釈迦牟尼仏の所分の身の、百千万億那由他恒河沙等の国土の中の諸仏、各各に説法したもう。」

爾の時に、東方の釈迦牟尼仏の所分の身の、百千万億那由他恒河沙等の国土の中の諸仏、各各に説法したもう。

「此に来集したまえり。」

此に来集したのです。
 「是の如く次第に、十方の諸仏、皆悉く来集して、八方に坐したもう。」
 是の如く次第に、十方の諸仏、皆悉く来集して、八方に坐したもう。
 「爾の時に一一方の、四百万億那由他の国土に、諸仏如来其の中に遍満(へんまん)したまえり。」
 爾の時に一一方の、四百万億那由他の国土に、諸仏如来其の中に遍満(へんまん)したのです・
 「是の時に諸仏、各宝樹下に在(ましま)して、師子座に坐し、皆侍者を遣わして、釈迦牟尼仏を問訊(もんじん)したもう。」
 是の時に諸仏、各宝樹下に在(ましま)して、師子座に坐し、皆侍者を遣わして、釈迦牟尼仏を法門したのです。
 「各宝華を齎(も)ち、掬(もろて)に満てて之に告げて言わく、」
 各宝華を齎(も)ち、掬(もろて)に満てて之に告げて言わく、
 「善男子、汝耆闍崛山の釈迦牟尼仏の所(みもと)に往詣(おうげい)して、我が辞(ことば)の如く曰(もう)せ、」

善男子、汝耆闍崛山の釈迦牟尼仏の所(みもと)に往詣(おうげい)して、我が辞(ことば)の如く曰(もう)せ、

「少病少悩にして、気力安楽にましますや、」

少病少悩、気力安楽にましますや。これは、どのようなことなのかというと、仏と言っても少病、少悩はあります。ここが大事です。仏と言っても少しの病気はするのです。少しの悩みはあります。

「仏になったから、悩みは全くありません。体のどこも悪くありません」というのは、おかしいのです。必ず少病少悩はあります。一番大きな悩みは、「弟子たちをどのように救って、法華経を教えていくのか?」ということです。これは、悩みです。悩まなければこの問題は解決しません。年をとれば、体も悪くなります。それでよいのです。仏は、少病少悩です。

しかし、気力はあります。皆さんもそうなるのです。仏になったのに、気力がなくなってしまったらいけません。「目的を達成してしまった」と思って、気力がなくなったのではいけません。「人々を救う」、という気力がなければいけません。
 「及び菩薩、声聞衆、悉く安穏なりや不やと。」
 そこに住んでいる及び菩薩衆、声聞衆は悉く安穏なりや不やと。

お釈迦様が教えてくれた素晴らしい国土は、安穏です。
 「此の宝華を以って仏に散じ、供養して是の言を作(な)せ、彼の某甲(それがし)の仏、此の宝塔を開かんと与欲すと。」
 此の宝華を以て仏に散じ供養して、是の言をなせ、彼の某甲の仏此の宝塔を開かんと与欲すと。
 「諸仏使を遣わしたもうこと、亦復是の如し。」
 諸仏使を遣わしたもうこと亦復是の如し。
 「爾の時に釈迦牟尼仏、所分身の諸仏、悉く已に来集して、各各に、師子座に坐したもうを見(みそな)わし、」
 爾の時に釈迦牟尼仏、所分身の諸仏、悉く已に来集して、各各に師子の座に坐したもうを見たのです。
 「皆諸仏の、同じく宝塔を開かんと与欲したもうを聞こしめして、即ち座より起って虚空の中に住したもう。」
 皆諸仏の同じく宝塔を開かんと与欲したもうを聞こしめして、即ち座より起って虚空の中に住したのです。
 「一切の四衆、起立合掌し、一心に仏を観たてまつる。」
 一切の四衆起立合掌し、一心に仏を観たてまつる。

ここは難しいところです。難しいというのは、現実の生活と違うからです。普通の話では解釈できません。しかも、地面から大きな宝塔が出てきたのです。

そのような高い塔が地面から出てきて、そこに仏様がいらっしゃるのです。宝塔の中から、三千大千世界にいる仏様の分身に号令するというお話です。仏様は「お前達のいる世界を仏国土にしなさい。三悪道をなくすのだ。私が浄化してあげましょう」と言われたのです。仏様の分身とは、悟っている人です。菩薩の上にいる仏様の話ですから、難信難解で理解し難いのです。(17に続く)

 

 

『妙法蓮華経見宝塔品第十一』

爾の時に、東方の釈迦牟尼仏の所分の身の、百千万億那由他恒河沙等の国土の中の諸仏、各各に説法したもう。

此に来集したまえり。

是の如く次第に、十方の諸仏、皆悉く来集して、八方に坐したもう。

爾の時に一一方の、四百万億那由他の国土に、諸仏如来其の中に遍満(へんまん)したまえり。

是の時に諸仏、各宝樹下に在(ましま)して、師子座に坐し、皆侍者を遣わして、釈迦牟尼仏を問訊(もんじん)したもう。

各宝華を齎(も)ち、掬(もろて)に満てて之に告げて言わく、

善男子、汝耆闍崛山の釈迦牟尼仏の所(みもと)に往詣(おうげい)して、我が辞(ことば)の如く曰(もう)せ、

少病少悩にして、気力安楽にましますや、

及び菩薩、声聞衆、悉く安穏なりや不やと。

此の宝華を以って仏に散じ、供養して是の言を作(な)せ、彼の某甲(それがし)の仏、此の宝塔を開かんと与欲すと。

諸仏使を遣わしたもうこと、亦復是の如し。

爾の時に釈迦牟尼仏、所分身の諸仏、悉く已に来集して、各各に、師子座に坐したもうを見(みそな)わし、

皆諸仏の、同じく宝塔を開かんと与欲したもうを聞こしめして、即ち座より起って虚空の中に住したもう。

一切の四衆、起立合掌し、一心に仏を観たてまつる。

 

 

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