人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経授記品第六』について 15 | 中杉弘の人間の探求

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996 ※仏の三十二相八十種好

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人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経授記品第六』について 15


 「声聞の弟子、無量無辺にして、算数(さんじゅ)譬喩の知ること能(あた)わざる所ならん。」
 声聞の弟子は無量無辺にいて、計算することはできません。
 「諸の菩薩衆、無数千万億那由他(なゆた)ならん。」
 諸々の菩薩衆は、無数千万億那由他です。那由他とは、一千憶と言われていますが、極めて大きな数量です。
 「仏の寿は十二小劫、正法世(よ)に住すること二十小劫、像法亦住すること二十小劫ならん。」
 仏の寿命は十二小劫、正法が世に住すること二十小劫、像法がまた住すること二十小劫ならん。普通の人間の寿命の単位とは違います。一劫とは、43億2千万年です。本当はどれくらいの数かわかりません。桁違いの長い無量の間ということです。
 「其の仏常に虚空(こくう)に処して、衆の為に法を説いて、無量の菩薩及び声聞衆を度脱(どだつ)せん。」
 その仏は常に虚空に処して、衆生のために法を説いて、無量の菩薩及び声聞衆を度脱させてきたのです。
 「爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言(のたま)わく、」
 その時に世尊は、重ねてこの義を宣べんと欲して、偈を説いて言われたのです。
 「諸の比丘衆 今汝等(なんだち)に告ぐ」
 諸々の比丘衆、今汝等に告げる。
 「皆当に一心に 我が所説を聴くべし」
 皆当に一心に我が説法を聴くべし。
 「我が大弟子 須菩提は」
 我が大弟子の須菩提は、
 「当に作仏することを得(う)べし 号(な)を名相と曰(い)わん」
 当に成仏しています。号を妙相と言います。
 「当に無数 万億の諸仏を供(く)し」
 当に無数の万億の諸仏を供養して、
 「仏の所行に随って 漸(ようや)く大道を具すべし」
 仏の所行に従って、ようやく大道を具したのです。
 「最後身に 三十二相を得て」
 最後身に三十二相を得て
 「端正姝妙(たんじょうしゅみょう)なること 猶(なお)宝山(ほうぜん)の如くならん」
 端正、妙なること、猶、宝山の如くならん。
 「其の仏の国土 厳浄(ごんじょう)第一にして」
 その仏の国土、厳浄第一にして
 「衆生の見る者 愛楽(あいぎょう)せざること無(な)けん」
 衆生の見る者は、愛や楽しい事ではありません。成仏すると三十二相八十種好の特徴を持つのです。仏のお姿には特徴があります。髪の毛は、クルクルと巻き毛です。大仏がそれを表しています。細かい巻き毛です。お顔の色は金色です。仏になると、三十二の相が凡夫とは違います。

仏の掌には水かきがついています。足の指紋は普通の人と違って、渦巻きの指紋がついています。そして、手足が長いのです。手足がちんちくりんの仏はいません。「あれが仏だよ」と言われたらみっともない姿です。そのような仏はいません。

仏は手足が長くて柔軟な体をしているのです。そのような相が三十二相あるのです。これが成仏した仏です。では、そんな人が現実にいるのでしょうか? そんな人は見たことがありません。これは、内証心のことを言っているのです。

ここがわからないと仏教はわかりません。「仏の肌は光り輝いて、掌に水かきがある」などということはありません。仏の三十二相を一つ一つ考えていくと、全て意味があるのです。何故、顔が金色になってしまうのでしょうか? 黄金で出来たような品性豊かな顔をしているということです。決して黄金の肌ではありませんが、金で出来ているかのように見えるということです。

体は柔軟です。声も非常に澄んだキレイな声で、何処まででも届く声です。そのようなことです。

見てすぐに分かる三十二相と、微細な特徴である八十種好を併せて、三十二相八十種好と言います。八十種好とは、耳が肩まで届く程垂れ下がっている、耳たぶ(耳朶)に穴が空いている、のどに3本のしわがある、眉が長いなどです。

そのようなことを現代流に言うと、仏の内面のことを言っているのです。そんな人間はいやしません。内面においての働きです。

これは、仏の人格のことを言っているのです。僕は「不思議な人格だ」と言われています。長年の仏道修行をしてくると、普通の人ではない人格が備わってくるのです。それは、内面が仏の内証心であるということです。(16に続く)

 

 

『妙法蓮華経授記品第六』

声聞の弟子、無量無辺にして、算数(さんじゅ)譬喩の知ること能(あた)わざる所ならん。

諸の菩薩衆、無数千万億那由他(なゆた)ならん。

仏の寿は十二小劫、正法世(よ)に住すること二十小劫、像法亦住すること二十小劫ならん。

其の仏常に虚空(こくう)に処して、衆の為に法を説いて、無量の菩薩及び声聞衆を度脱(どだつ)せん。

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言(のたま)わく、

諸の比丘衆 今汝等(なんだち)に告ぐ

皆当に一心に 我が所説を聴くべし

我が大弟子 須菩提は

当に作仏することを得(う)べし 号(な)を名相と曰(い)わん

当に無数 万億の諸仏を供(く)し

仏の所行に随って 漸(ようや)く大道を具すべし

最後身に 三十二相を得て

端正姝妙(たんじょうしゅみょう)なること 猶(なお)宝山(ほうぜん)の如くならん

 

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