人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経譬喩品第三』について 40 | 中杉弘の人間の探求

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950 ※まさにその苦難を抜き、無量無辺の仏の智慧の楽を与えて、それを遊び戯れているのです。如来は「その道はダメよ、この道を行きなさい」と言います。何故そのように言うのかというと、本当の楽しみは、その道しかありません。

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経譬喩品第三』について 40

 

「舎利弗、仏此れを見已って、便ち是の念を作さく、」
舎利弗よ、仏はこれを見て、すでに即ち、この念をなしたのです。

「我はこれ衆生の父なり。」

 我はこれらの衆生の父なり。

「応(まさ)に其の苦難を抜き、無量無辺の仏智慧の楽を与え、其れをして遊戯せしむべし。」

まさにその苦難を抜き、無量無辺の仏の智慧の楽を与えて、それを遊び戯れているのです。如来は「その道はダメよ、この道を行きなさい」と言います。何故そのように言うのかというと、本当の楽しみは、その道しかありません。

仏の道は安穏で、永遠の生命を体得できるのです。永遠の生命がわかった人の生死は、知らない人の生死とは全然違います。知らない人は「死んだらどうなるのかわからない」と思うから、死ぬ時に「ギャーーー」と恐怖するのです。

武将が死ぬ時には、自分が殺した人間が襲い掛かってくるのです。だから、布団の上に刀を一本おいて、死ぬ時をまっているのです。すると、ガバッと立ち上がって、「ウワー」と半狂乱になって叫ぶのです。死んでいくのが怖いのです。

死んでいく先に家来は一人もいません。生きているから多くの家来がいますが、死ぬ時は一人です。一人で死んでいくのです。持っているのは、短刀一本です。

武将はこの世界にとどまっていたいのです。だから、虚空をつかむのです。「あの世には行きたくない。この世に留まっていたいのだ。ギャアアアー!」と虚空をつかんで、目を見開いて死んでいくのです。武将の死に方はそうです。秀吉もそうです。寝ている所、突然ガバッと立ち上がり「ギャアアアー!」と叫んで虚空を掴んで死んだのです。

今は、病院で薬を飲まされて死んでいくから、虚空を掴むことはありませんが、みんなそうなのです。この世の何処に楽しみがあるのでしょうか?

生まれてくると赤ん坊は「オギャー」と泣きます。苦しいから泣くのです。死ぬ時に「ギャアアー!」と虚空を掴んで死んでいくのです。すると、苦と苦の間が人生です。そんな中に幸せはあるはずがありません。

仏様は全てわかって「そっちの道へ行ったらダメだよ」と言うのです。具体的に言うと「殺生をしてはダメだよ。人を殺してはいけません」ということです。それは、法律で裁かれるからではありません。自分自身が殺した罪を受けるのです。人を殺してはいけません。

ドロボウをやると、自分がかっぱわれることになるのです。仏様はみんな説いているのです。仏様の言われる通り修行していくことを仏道というのです。それをやっていくと人格が磨かれてくるのです。

仏法の規範のない人間が裁判官をやっても、人間の根本がわかっていません。生まれてくる原因もわからず、死んでいく先もわかりません。ただ、やみくもに食って生きているだけです。それが火宅の中にいるということです。
「舎利弗、如来復是の念を作さく、」

 舎利弗よ、如来のまたまた念をなす。

「若し我、但(ただ)神力及び智慧力を以って、方便を捨てて、諸の衆生の為に、如来の知見、力(りき)、無所畏(むしょい)を讃めば、衆生是れを以って得度すること能わじ。」
 私が神通力を持って、或は世界最高の智慧をもって、方便を捨てて、諸々の衆生のために如来の知見、力、仏菩薩が説法するに当たって抱いている、畏(おそ)れることのない四種の自信をほめれば、衆生はこれをもって納得することは間違いありません。

方便を捨てて「私の本当の力を見せてやろう!」と言ったならば、衆生は成仏することはできません。これは、どのようなことなのかというと、仏教は修行するものです。「私には力があるぞ。みんな教えてやるぞ。仏法とはこうだ」と言ったならば、衆生はびっくりして修行をする者はいなくなる」と言われているのです。

「お釈迦様は凄いな。大仏を造って拝んでいればいいのだな」と思って、自分が修行する気持ちは起きてきません。大智慧を持ったお釈迦様が全てやってくれるのです。自分は修行しません。方便を捨てて説いたならば、そうなるのです。(41に続く)

 

 

『妙法蓮華経譬喩品第三』

舎利弗、仏此れを見已って、便ち是の念を作さく、

我はこれ衆生の父なり。

応(まさ)に其の苦難を抜き、無量無辺の仏智慧の楽を与え、其れをして遊戯せしむべし。

舎利弗、如来復是の念を作さく、

若し我、但(ただ)神力及び智慧力を以って、方便を捨てて、諸の衆生の為に、如来の知見、力(りき)、無所畏(むしょい)を讃めば、衆生是れを以って得度すること能わじ。

 

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