人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経譬喩品第三』について 38 | 中杉弘の人間の探求

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917 ※「則ち為れ一切世間の父なり。」 すなわちこれ、一切世間の父なり。仏というものは、一切衆生の父なのです。

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経譬喩品第三』について 38

 

「仏、舎利弗に告げたまわく、」

 仏は舎利弗に告げました。長者は火事の家から出てきた子供達に大白牛車(だいびゃくごしゃ)を与えました。仏様も長者と同じようなものです。衆生が欲しいものは何でも与えるのです。

「善い哉(かな)善い哉(かな)、汝が所言の如し。」

よいかな、よいかな。汝が言った通りです。

「舎利弗、如来も亦復是の如し。」

舎利弗よ、如来もまたまた同じようなものです。

「則ち為れ一切世間の父なり。」

すなわちこれ、一切世間の父なり。仏というものは、一切衆生の父なのです。あの子だけの父親ではありません。一切衆生の父なのです。何故かというと、「無量義は一法より生じる」といいます。一法を説く人のことを「仏」といいます。仏の説は一法です。

仏は「そちらに行くと火事だよ」と言っているのに、仏法を知らない衆生は、火事の家の中に入ってしまうのです。一法を説くのが仏です。衆生は一法を学んでいないので、何処へ行くかわかりません。

お父さんを忘れて家出したのが衆生です。お父さんの家にいれば安心して暮らしていけるのに、「外にはもっと良い世界があるのではないか?」と思って、火事の中に自ら入ってしまうのです。火事に焼かれて転がると崖から落ちて、地獄へ逝ってしまうのです。

「そこは危ないよ。こっちへ来なさい」と仏様が言われているのに、「僕は自由にやるのだ」と、仏様の家を自ら飛び出してしまうので、幸せにはなれません。

「諸の怖畏(ふい)、衰悩(すいのう)、憂患(うげん)、無明、暗蔽(あんぺい)に於いて、永く尽くして余無し。」

諸々の恐れ、煩悩、憂い、無明、人生に暗いことにおいて、仏は知り尽くしているのです。仏はみんな知っているのですから、仏様には安心して全てのことを相談できるのです。仏は雲の上に居て、「下々の世界のことは知りません」というのではありません。全て知っているのです。

仏様は道を開いたのですから、貴方の悩みも、一切衆生の悩みも全て知っているのです。仏様と衆生は何も変わりません。煩悩の全てをわかりつくした人を仏というのです。それがわかると不思議な神通力が身に付いてくるのです。

仏様は神通力を求めているのではありません。山伏や、役行者(えんのぎょうじゃ)は、超能力が身に付き、別人になるために山の中で修行をしているのです。仏法は、そんなものを求めているのではありません。超能力がどうして必要なのでしょうか? 遠くの物が見える? そんなために修行をしているのでしょうか? 仏様はみんな見えています。みんな聞こえていますから、超能力を求める必要など全くありません。超能力をどうして求めるのでしょうか?

天からお金がふってくるなど、必要ありません。仏様は欲しい物しか使いません。欲しいものは何でも入ってきます。仏様は「お金はいらない」と言われているのです。人間が生きていくためには、お茶椀1個と糞掃衣1枚だけでよいのです。それ以外は何も欲しがりません。

欲しいのは、「但説無上道(たんせつむじょうどう)」といい、最高の悟りです。日常生活の財産などは欲しくありません。

「しかし、皆さんがそのような物を欲しがっているのは知っていますよ」ということです。

「而も悉く無量の知見、力(りき)、無所畏(むしょい)を成就し、大神力及び智慧力有って、方便智慧波羅蜜を具足す。」

仏様は長く衆生を教化してきたので、何者も畏れません。大神通力、および智慧力があり、方便をもって智慧と最高の悟りを備えているのです。「ナメたらあかんぜ!」ということです。

私が空中に浮かんだら、皆はビックリしますが、それだけの話です。そんなことを私はしませんが、そんなことは全て知っています。それが大神通力です。どんな人でも、私の前に現れれば、みんな立派になり救われるのです。

仏様は大神通力を持っています。この大神通力を見て人々は恐れるのです。仏はその人と一緒の境涯には降りていきません。仏は仏界にいるのですから、衆生のいる畜生界には降りていきません。

仏様は仏界から衆生を見ているのです。上から見ると九界の衆生は丸見えです。地獄・餓鬼・畜生・修羅の四悪道にいる衆生は、「仏が怖い」と思うのです。だから、僕を見ると怖がるので、誰も会いに来ません。仏界にいる人は、怖いのです。仏は何でも知っているのです。

「大慈大悲常に懈倦(げげん)無く、恒に善事を求めて一切を利益す。」

仏は大慈悲、大悲常にけげんなく、つねに善事を求めて一切衆生に利益を与えようと思っているのです。仏様は「みんな可哀想だな。仏の境地に引き上げてあげたいな」と思っているのです。これが大慈悲です。慈悲をもって衆生を見ているのです。

その仏の慈悲すら、三悪道、四悪道の衆生は怖がってしまうのです。悪道に堕ちている連中は、仏の慈悲すら怖がるのです。本当にそうなのです。(39に続く)

 

 

『妙法蓮華経譬喩品第三』

仏、舎利弗に告げたまわく、

善い哉(かな)善い哉(かな)、汝が所言の如し。

舎利弗、如来も亦復是の如し。

則ち為れ一切世間の父なり。

諸の怖畏(ふい)、衰悩(すいのう)、憂患(うげん)、無明、暗蔽(あんぺい)に於いて、永く尽くして余無し。

而も悉く無量の知見、力(りき)、無所畏(むしょい)を成就し、大神力及び智慧力有って、方便智慧波羅蜜を具足す。

大慈大悲常に懈倦(げげん)無く、恒に善事を求めて一切を利益す。

 

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