西洋には、「予定調和説」という考え方があります。これは、どのようなことなのかというと、「世界は神様の意志のままに動いている」ということです。
神様が予定すると、その通りになってくるのです。なぜかというと、神は万物の創造主であるからです。
神は初めに天と地を造ったのです。[In the beginning God created the heavens and the earth.]です。ここから始まるのです。あらゆる万物、星の動き、人間、動物の動きも、全ては神の意志のままだというのです。これを予定調和説といいます。
神は、唯一絶対無二です。これを信じているのが、西洋人です。この予定調和説の中には、二つあります。ユダヤ人が考えている予定調和説と、キリスト教徒が考えている予定調和説があります。
例えば、ユダヤ人が考えている神というものは、モーゼの予言によって出現した天地創造の神です。キリスト教徒の考えている神とは、キリストのことです。キリスト教徒にとって、キリストは神なのです。絶対の神の子供であり、神とキリストと精霊が一体である」と考えているのです。これを三位一体論といいます。これがキリスト教です。イエス・キリストの予言は、神の予言です。だから、世界はキリストの予言通りになるということをキリスト教徒は信じているのです。
ユダヤ教徒は、キリストなど認めていません。エホバの神は目に見えない神ですが、存在しているのです。ユダヤ人であるアインシュタインが考えていたことは、ユダヤ教の神なのです。「世界は必ず、神の意志により、こうなっていく」と思っているのです。それが、予定調和説です。
神は最初から、最後まで創られたのですから、神は、「世界がどうなるのか」ということが、わかっているのです。このような予定調和説が、西洋人のものの考え方の中心をなしているのです。
アインシュタインは、20年間も悩んだのです。それで時の概念がわかり、空間の概念もわかったのです。「全ては相対的である」とわかったのです。
しかし、アインシュタインにわからなかったことがあります。それが、量子力学です。「何故、量子力学がわからなかったのか?」というと、「量子力学では、予言ができない」ということです。いくら量子の動きを考えて、実験してみても量子の動きは、予言できません。
普通、数学ではある一定の予測ができます。「鉄砲の弾にこのような力を与えて、この角度で飛ぶと、どこに落ちるのか」ということが予測できます。物事は、予測ができるのです。西洋人はそのような考え方をします。
ニュートンの力学でもそうですが、「リンゴが、ここに落ちる」ということが、わかります。事実、そうなのです。「宇宙を回っている人工衛星は、何時何分にここにくるのだ」ということがわかるのです。わかっているから、人工衛星を打ち上げているのです。
ところが、物質だか何だかわからないという、最小単位の物質が量子です。この量子は、「何時何分、どこにいくのか」ということがわかりません。普通は、ボールを投げれば、どこに落ちるのかわかりますが、量子だけはわかりません。
いくら考えてもわかりません。「あるか、ないか」というと、あるのです。「何時何分には、どこにいるのか?」ということは、わかりません。いくら計算しようと思ってもできません。
ただ一つできることは、数学的に言うと確率論です。「何時何分、ここに落ちるだろう」という確率です。「ここにいる」というのではありません。「ここにいるだろう」ということは、確率でわかります。確率論でしか言えないのです。
アインシュタインは、確率論にぶつかってしまったのです。それで、アインシュタインは、「量子力学はウソだ」と言ったのです。数式で計算するならば、「何時何分にここに落ちる」とわかるのですが、それが量子だとわかりません。
「では、どこに量子はあるのですか?」と言うと、量子はあるのですが、どこにあるのか言えません。「では、量子はないのか?」というと、あるのです。そのようなことです。
アインシュタインは、「そんなはずはない」と言ったのです。何故だかわかりますか? アインシュタインは、予定調和説を信じていたのです。予定調和説に基づいて、神が世界を創るのです。これは、キリスト教でも、ユダヤ教でもそうです。アインシュタインは、「神はサイコロを振らない」と言ったのです。
サイコロをふると、どの数字がでるのかわかりません。サイコロの数字は、「1~6」まであります。サイコロをふって、「6」だけ出し続けることはできません。また、「次は、3がでる。その次は、5がでる」といは言えません。
サイコロの目は確率論です。「6がでる確率は、何%か?」ということで、数字の「6」がでるのです。数字の「1がでる確率は、何%だ」としか言えません。「次は、2がでる」とは言えません。
そのように神は、確率論でこの世界を創るはずがありません。アインシュタインは、予定調和説を信じているので、「神は、サイコロをふらない」と言ったのです。アインシュタインは、量子力学を信じられなかったのです。これが、結論です。
現実は、「神はサイコロをふる」のですから、次の瞬間、量子はどこにいるのかわかりません。そのような世界になっているのです。量子がどこにいるのかは、確率でしかありません。そんなバカなことがあるのでしょうか?
アインシュタインは、最後まで量子力学を否定したのです。それは、予定調和説を信じていたからです。
現在の物質の最終単位は、素粒子です。光を粒子としてみたときの光子やニュートリノやクォーク、ミュオンなどといった素粒子も量子に含まれます。
量子は、物質でもあり、波の性質ももっています。だから、「ある」ともいえるし、「ない」とも言えるのです。
アインシュタインでもわからなかった量子を自在に操っているのが、現代です。数値ではつかめないのに、量子力学を使っているのです。スマホにも量子力学の原理が使われているのです。
さて、そこで仏教的なものの考え方で量子力学を見てみると、どうなるのでしょうか? 仏教では、「原因と結果が同時だ」といいます。これは、アインシュタインにはわからないことです。普通は、「原因は原因であり、結果ではないだろう」と思います。神という原因があり、「神が世界を創った」というのですから、世界は結果です。
神が考えたのは、原因です。だから原因と結果は違うのです。そのように物理学者たちは考えているのです。素粒子の先は、もうありません。なくはないのですが、現代の物理学では素粒子が最小単位の物質です。
「素粒子は何からできているのか?」というと、現在はありません。最小単位の物質が、素粒子ということになっています。
仏教は物理学と違い、「原因と結果は同時だ」といいます。この段階で、物理学の法則を離れてしまうのです。それは、どのようなことなのでしょうか? 仏教では「原因と結果は同時だ」といいます。
それを表しているのが、蓮の花です。蓮の花は、実と花が咲くのが同時です。蓮は、原因と結果を現わしているのです。普通は、花が咲いてから、実ができます。蓮華の花は、実と花が同時に咲きます。
これが、普通はわからないのです。「悟りとは、どのようなものか?」というと、宇宙の根源は、原因と結果が同時です。普通は、原因と結果は離れています。根本というのですから、量子の世界です。
量子の世界で考えるならば、原因と結果は同時です。「悟りとは何か?」というと、そのことを悟ることです。原因と結果は同時です。それがこの世の本当の世界です。本当は、原因と結果は同時になりたっているのです。これがわかれば、仏教を学ぶということが、さらに面白くなってきます。(②に続く)
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