吉田松陰の大和魂とは何か? | 中杉 弘の徒然日記

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【海外の反応】日本人捕虜の最期にオランダ人が…「この状況でコイツらはなぜ笑っていられるんだ⁉」どんな状況でも大和魂を失わない日本人【日本のあれこれ】

 

 

吉田松陰の大和魂とは何か?

 

 吉田松陰は、処刑台につれていかれて、安政6年10月27日(1859年11月21日)に処刑されました。辞世の句は身はたとい 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」です。

 吉田松陰が言った「大和魂」とは、どのようなものでしょうか、みんなわかっていません。何が大和魂なのでしょうか?

 国のことは、皆思っています。「国は大事だ」ということがわかっているのです。吉田松陰は、「大和魂」と言ったのです。

 特攻隊も、「大和魂」と書いた鉢巻をしめて米国の軍艦に体当たりしていったのです。この大和魂とは、一体なんでしょうか? そのようなことを考えた人はいません。「大和魂とは、何でしょうか?」と聞くと、「日本精神」という言葉が返ってきます。

 では、日本精神とは、何でしょうか? そのように突き詰めていかなければいけません。「大和魂」という言葉は知っています。では、大和魂とは、何のことを言っているのでしょうか? 

 幕末の志士たちも、「大和魂」を知っていたのです。吉田松陰は、何を教えたかったのでしょうか? 「大和魂」と言って、どのような生き方を教えたのでしょうか? そのように考えていくのです。もう一歩、深く考えていかないと答えは出てきません。

「大和魂」の一つの意味は、「自分の言ったことは実行する」ということです。そのためには、道はまっすぐ進むのです。自分が思ったことは、どんな難しいことでも実行して乗り越えていくのです。

 その乗り越え方は、「体当たりで乗り越えろ!」ということです。人間の行動様式を見ると、「大和魂」とは、まっすぐ進むということです。

 自衛隊がそうです。雨が降っても傘はさしません。これは、軍人の常識です。自衛隊員は、マントを着ても傘は差しません。傘などさしている軍人がいたら、ぶっ飛ばされるのです。

 それと同時に道はまっすぐに進むのです。曲がった道は、直角に曲がるのです。それも大和魂の現れたものです。思ったことは、実行するのです。「これはよいことだ」と思ったら、実行するのです。実行しなければ、結果は得ることはできません。

 大和魂とは、目的に向かって、一直線に進むのです。迂回して「あっちへ行ったらよいのではないか?」という考え方は、大和魂ではありません。雨が降ったら傘はさしません。曲がった道は進みません。道はまっすぐ歩きます。曲がった道は、直角に歩くのです。それが大和魂です。

 吉田松陰は、黒船に体当たりをしたのです。「何しに来たのだ?」と聞くと、「アメリカに行きたい」と言ったのです。それで吉田松陰は、幕府の役人に捕まったのです。「何をやろうとしたのだ?」と聞くと、「はい、アメリカに行こうと思いました」と言ってしまったのです。

 「黒船を見学しに行ったのです」と、ごまかして言えばよかったのです。吉田松陰が「アメリカへ行こうと思いました」と言うと、「密航しようとしたのか?」と取り調べに連れていかれたのです。

 それで牢獄に連れていかれたのです。それで黙っていればよいものを「実は、私は老中を暗殺しようと思いました」と言ってしまったのです。「何、お前は老中を暗殺しようとしたのか? では、死刑だ!」と言われたのです。

 言わなければよいことを言ってしまったのです。最初は「アメリカへ行こうと思いました」と言ってしまったので、牢獄へ入れられたのです。そこで「私は老中を暗殺しようと思いました」などと余計なことを言ってしまったのです。

 「そうか、それではお前は死刑だな」と言われてしまったのです。それで死刑になったのです。吉田松陰は、目的に向かって道をまっすぐに進むのです。それを弟子たちに示したのです。「私は死ぬけれども、留め置かまし大和魂」です。「大和魂とは、どのようなものか教えましょう」ということです。

 工作したり、ごまかしてはいけません。道はまっすぐに進むのです。軍隊は、それを実行しているのです。日本軍は、「バンザイ突撃!」をやるのです。それがロシア兵には、どれだけ怖かったのでしょうか。米軍も恐れたのです。

 日本軍と戦った場合、日本軍は死ぬのです。米軍は「生きよう」とするのです。日本軍は損得勘定抜きです。「バンザイ突撃!」で突撃してくるのです。機関銃がなければ、銃剣だけで突っ込んでくるのです。

 これが敵国は怖かったのです。日本軍はなぜこんなに強いのでしょうか? 米軍の兵隊は、バッタ、バッタと倒されたのです。日本軍が強いというわけではありません。死ぬことがわかっていても、「バンザイ突撃」で、突っ込んでくるのです。それが大和魂ということです。それがよいか、悪いかということは別です。

吉田松陰の言った大和魂とは、「道はまっすぐに進むのだ。ウソは言うな。勝っても負けても、まっすぐ進むのだ」ということです。これが大和魂です。

 そこで司馬遼太郎は、「乃木大将は愚将だ」と言ったのです。なぜかというと、ロシアに二百三高地という山があったのです。この山を攻略しないと、海から大砲が撃てません。

 乃木希典は大将だから、日本兵は命令に従ったのです。乃木大将は、「進め!」と命令したのです。上からロシア兵が撃ってくるのは、機関銃です。山の上から機関銃で、「ダダダダ・・・」と撃ってくるので、10万人の日本兵が死んだのです。

 その中には、乃木希典の2人子供がいたのです。2人の子供は、戦死したのです。それでも乃木大将は、「進め!」と号令をかけたのです。そこで司馬遼太郎は、「乃木は、バカだ」と言ったのです。上から機関銃で撃ってくるのです。それをやっつける方法は一つしかありません。それは、大砲をぶち込むことです。

 児玉源太郎総参謀長が、「軍艦から大砲を外せ」と命令したのです。大砲を陸地にもってきて、「ドカーン」と大砲を撃ったので、二百三高地のロシア陣地を破壊したのです。

 こんな兵法は、乃木大将では思いつきません。日本兵が10万人も死んでいるのに、「進め!」としか言わなかったのです。司馬遼太郎は、「乃木は愚将だ、あんな馬鹿はいない」と言ったのです。司馬遼太郎は、深くそのように思っていたのです。

 しかし、乃木大将が実行したのは、大和魂です。多くの日本兵が死んでも「前へ進め!」ということです。まっすぐに進むのです。雨が降っても傘はさしません。乃木大将は、長州人ですから、吉田松陰の弟子です。大和魂を実行したのです。児玉源太郎は、西洋の兵法を熟知しているから、結果的には勝ったのです。

 明治天皇は乃木大将を非常に重用したのです。乃木大将は、2人の子供を亡くして、死のうと思ったのです。そんな乃木希典を見た明治天皇は、「死ぬのは待て、お前は学習院長をやりなさい」と命じられたのです。それは「息子の代わりに多くの学生を育てなさい」ということです。死のうとしたことを諭されたのです。

 乃木大将から言うと、2人の息子を戦争で亡くして、死のうと思ったのです。そこで明治天皇に命じられて学習院長になったのです。乃木大将は明治天皇への恩義があったので、明治天皇が崩御されたときに割腹自殺をしたのです。

 大和魂とは、結果は考えません。「突撃!」というのが、大和魂です。戦争には、いろんな戦術がありますが、そんなことは関係ありません。まっすぐに進むのです。

 そのように進まないと、こちらに工作して、あちらにも工作して、結果的には何もできません。何事かを成すのが、大和魂です。「まっすぐ進め!」という勇気がないと、物事は達成できません。

 「俺が見本を示してやる、早く首を斬れ」と吉田松陰は言ったのです。他の罪人たちは、「首を斬らないでくれ」と泣いて震えていたのです。首を斬ろうとすると、「嫌だ」と体をはげしく動かすので、首が斬れずに何度も頭蓋骨に刀が当たってしまうので、結果的には苦しんで死んだのです。

 「早く首を斬りなさい」と言って、自分の首を前に差し出して、「さあ、どうぞ」と言われたのは、吉田松陰だけです。他の罪人は「命が惜しい、助けてくれ」と泣き出していたのです。「どうぞ、おやりになってください」という見事な最期だったのです。

この系譜が三島由紀夫に流れているのです。「憲法のために命を捨てる奴はいないのか。憲法は改正しなければ、ならないだろう!」と三島由紀夫が言っても、軍人である自衛隊員は、一人もそんなことは考えていません。それは、おかしいでしょう。

 自衛隊は自らの存在を否定する憲法を守るという、愚かな軍隊になってしまったのです。日本国憲法では、憲法第九条に「陸海空軍の三軍を持たない」と書いてあります。その憲法を自衛隊員が守るとは、一体どういうことなのでしょうか? これは、自己矛盾です。

 自分達を否定している憲法を守るなど、そんなバカなことがあるのでしょうか? これが、三島由紀夫の怒りです。

 憲法を改正するということは、いかに大事なことかわかっています。このままでは、一人も立ちません。「俺と一緒にやろう」と三島由紀夫は、自衛隊員に呼びかけたのです。すると、自衛隊からは「バカ、この野郎、文士、ひっこめ」とい罵声が飛んだのです。

 三島由紀夫は、「諸君の考えはわかった。それならば、諸君にはもう頼まない」と言って、バルコニーの窓をバタンと締めて、総監室に入り割腹自殺をしたのです。見事な大和魂です。三島由紀夫は、「命を懸けてやる、損得抜きでやるのだ」と決めたのです。

 「死ぬ」と決めた以上は、様々な死に方がありますが、三島由紀夫は「日本刀でやるのだ」と決めたのです。三島由紀夫の首を斬り落とそうとしたら、一回目は失敗したのです。首を斬ろうとしたら、骨に刀が当たってしまったのです。骨にめり込んだ刀を抜いて、3回目で首を斬り落としたのです。

 三島由紀夫は、「1回で首を斬り落とせよ」と言っていたのですが、3回もかかったのです。でも、三島由紀夫はビクともしていません。これが大和魂です。

 「三島由紀夫はバカだ」「乃木希典はバカだ」などと、生意気なことを言うものではありません! 大和魂という精神を示したのです。「戦術的に考えて敵をやっつけよう」など、そんなくだらないことを考えるものではありません。

 これを革命の元亀といいます。これを司馬遼太郎が言ったのです。三島由紀夫の割腹自殺の翌日に「革命とは元亀が必要である。三島先生は革命の元亀になろうとしている。革命の元亀は一人でよいのだ。諸君は絶対に真似をしてはならない」と新聞2ページにわたって書いていたのです。

 三島由紀夫は、革命の元亀になったのです。その元になるものが、吉田松陰の大和魂です。それは、二陣、三陣と続いていくのです。これを大和魂と言うのです。大和魂は、成功を考えません。思ったことは、全て実行するのです。これが大和魂ではないかと思います。

 

 

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