【ステゴロ最強のヤクザ】伝説の喧嘩師・花形敬 バキ花山薫のモデルになった男の生涯【実話】
伝統の力 ①
昔、渋谷に安藤組というチンピラがいました。結構な組織になったのです。子分が約500名いたのです。ヤクザの組織でも、500人もいません。だいたい、50名くらいです。
安藤組は、500名の部下をもって、渋谷で縄張りをはっていたのです。大きな組織です。何故、そうなったのかというと、安藤さんの下に集まってきたのです。「安藤さんの組に入りたい」と自然に集まってきたので、500名になってしまったのです。
その中に安部譲二もいたのです。安部譲二は、作家となって成功した人ですが、安藤組のチンピラだったのです。麻布中学3年生の時に、安藤昇にあこがれて、安藤組に入ったのです。安部譲二は、麻布中学卒です。たいへんなものです。そのような子分が大勢いたのです。
安藤昇の第一の子分には、花形敬がいました。この男は、国士舘中学で番長だった男です。安藤組組長の安藤昇にもっとも可愛がられた人物です。前科7犯、22回の逮捕歴有です。安藤による評価が高く、花形をモデルとした人物が小説や映画、漫画に数多く登場するため、伝説的な存在となっています。その喧嘩は「素手喧嘩(ステゴロ)」と呼ばれ、喧嘩に武器を一切持たない主義であったのです。白のスーツがトレードマークだったのです。
安藤組の別動隊の抗争に参加したのは、鹿島神道流の免許皆伝の森田雅です。鹿島神道流の剣道の先生が刑務所に入ると、刑務官も「先生」と呼んだのです。「先生のご飯だけは、特別に」と言って、ご飯も一般の受刑者と違えば、寝る場所も違ったのです。
刑務所の職員が、森田雅を「先生」と呼んだのです。すごい待遇です。こんなことは、あり得ません。それが第四番隊長です。
安藤昇の一番の子分は、花形敬です。これは、すごい顔をしていたのです。身長は、180cmくらいあったのです。国士舘中学を退学になったのですが、有名な番長だったのです。これまたすごい男です。世田谷区の旧家の子供です。大金持ちのボンボンだったのです。
安部譲二のお父さんは、日本郵船に勤務していました。お金には困っていません。鹿島神道流の剣術の先生もボンボンです。お金に困っていないインテリが集っていたのです。「安藤組に入ったら、背広を着ろ。俺達はヤクザではないのだから、刺青は止めろ」と言っていたのです。
ヤクザは、“エンコ詰め”と言って、指をつめるのですが、安藤組は「エンコ詰めは、やめろ。ヤクザの着物を着るな。背広でバリッと行け! 最先端のカッコいい組をつくるのだ」というのが、安藤さんの考えだったのです。
安藤組は、子分が500名もいたのですから強かったのです。ヤクザとの抗争になると、「俺にやらせてくれ」という子分が大勢いたのです。「安藤さんの子分は、どうなったのか?」というと、一番の子分、二番の子分は殺されてしまったのです。
「安藤組の中で一番喧嘩が強かったのは、誰でしょうか?」と聞くと、普通は「花形だ」と答えるのです。花形はすごい男です。身長は、180cmの大男で、サングラスをパッととると顔中に傷があったのです。
花形の顔を見ただけで、震えてしまいます。「ゴラッ!」と睨まれたら、「これと俺は喧嘩をするのか、冗談ではないよ」と、花形の顔を見ただけでブルッてしまったのです。それだけの猛者をそろえたけれども、安藤さんが刑務所から出てくると、一番目の子分と二番目の子分が殺されていたのです。
「安藤さんはどうして刑務所に入ったのか?」というと、横井英樹を襲撃したからです。横井英樹もとっぽい男です。安藤さんが話をつけに行くと、横井英樹は「ここはな、お前らのようなチンピラが来るところじゃないんだよ。あっちへ行け」と言ったのです。
そこで安藤さんは、はじきをもっていたので、「この野郎!」とバーンと撃ったのです。それで、懲役8年です。娑婆に帰ってくると、一番の子分と、二番の子分が殺されていたのです。「もう、これはやっていけない」と判断して、安藤組は解散したのです。
それで映画俳優や、小説家になったのです。安藤さんは、能力があったのです。立派な男だと思います。先の大戦がはじまったときに安藤さんは、少年刑務所にいたのです。それで試験を受けて特攻隊に志願したのです。
すると特攻隊の試験に合格したのです。それで毎日、刑務所を出て訓練をしている間に、戦争が終わったのです。その後は、法政大学に入学したのです。法政大学の学生のままで安藤組をつくった有名な人です。菅原文太も友達です。
問題点は、渋谷で500人の勢力をもった安藤組も解散してしまったのです。渋谷では、ヤクザが復活して、ヤクザの縄張りになったのです。安藤さんの一番目の子分の花形は、ヤクザに殺されたのです。
花形は、「素手喧嘩(ステゴロ)の花形」と呼ばれたのです。それは、ピストルも刃物も持ちません。素手で喧嘩をしたのです。花形の顔を見ただけで相手はビビッてしまったのです。そのくらい、すごい男だったのです。
安藤さんが刑務所に行っている間は、花形敬が組長代行をやっていたのです。ところが、渋谷の縄張りを荒らされたヤクザたちの怨恨をかったのです。「いつか、やってやるぞ」と思っていて、花形はヤクザに殺されたのです。
あの有名な力道山は、安藤組の縄張りで、キャバレーを開いたのです。そこで、「誰に断って人のシマを荒らしているのだ?」と言って、花形が乗り込んでいったのです。力道山も花形の顔を見ただけで、ブルッてしまったのです。
相手は、あの力道山ですよ。それが、花形の顔を見ただけで、ブルッてしまったのです。傷だらけのすごい顔だったのです。傷だらけの顔で、グッと睨むと力道山でも縮みあがってしまったのです。それで、「素手喧嘩(ステゴロ)」です。刃物はもちません。最後はそれでやられてしまったのです。(力道山を相手に乗り込んだのは、森田雅という説もあります。)
安藤組にはそのような猛者が大勢いたのですが、安藤組もついには伝統ヤクザには勝てなかったのです。安藤組解散の後の渋谷は、ヤクザの縄張りに戻ったのです。
何故、安藤組はヤクザに勝てなかったのでしょうか? それは、ヤクザには、伝統があるからです。安藤組に伝統はありません。ヤクザよりも大勢いて、乱暴者もいたのですが、ヤクザには勝てなかったのです。ヤクザには、伝統があるからです。
ヤクザのつながりは、親分、子分のつながりです。親分、子分、兄弟分という鉄の掟ができていて、愚連隊がいくら暴れても「この野郎、親分のためにやってやるぜ!」という気概があるのです。
愚連隊は、「どうだ、俺たちは強いだろう」ということでやっていたのです。そこで「安藤組は、何に負けたのか?」というと、ヤクザの伝統に負けたのです。愚連隊は、ヤクザには勝てなかったのです。(②に続く)
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