終戦記念日特別保存版「西郷隆盛と三島由紀夫の楯の会により、日本精神が示された!」② | 中杉 弘の徒然日記

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【明治時代】214 西南戦争と西郷隆盛の最期【日本史】

 

 

終戦記念日特別保存版「西郷隆盛と三島由紀夫の楯の会により、日本精神が示された!」②

 

 先の大戦でアメリカは、日本に対して何をやったのでしょうか? 終戦後、GHQは日本の法律をすべて変えたのです。「日本の伝統を破壊する、国家を根本から変える!」という憲法をつくったのです。憲法は、昭和21年11月3日に公布したのです。

 日本が終戦したのは、昭和20年8月15日です。GHQは、それから1年経って、憲法をつくって日本に憲法を押し付けたのです。これも国際法違反です。戦争に負けて占領した国の法律を変えてはいけません。國體をガラリと変えることは、やりすぎです。

 戦争とは、単なる軍隊同士の戦争に「勝った!」というだけです。それが、国の中心まで変えるということは、国際法違反です。

 米軍が戦争に勝ったように見えますが、本当は国際法の違反だらけです。日本は、昭和21年につくられた憲法により、国の骨格をガラリと変えられてしまったのです。米軍の将校は、「日本の力で憲法を変えたのだから、この憲法は合法です」と言ったのです。

 戦争に勝った国が、負けた国の憲法を変えるということは、違法です。GHQは「日本人が独自にこの憲法をつくったのです」と言って、高らかに憲法記念日をつくって打ち上げたのです。

 実際は、どうだったのでしょうか? 全て米軍がつくった憲法です。アメリカは、やってはいけないことをやったのです。では、「憲法とは何か?」というと、GHQがつくった占領基本法です。

 日本という国を占領するために、邪魔になる法律をすべて破り捨てて、GHQの都合のいいように書き換えられたのが、日本国憲法です。まず、第一番の問題は、主権の問題です。憲法は、天皇の地位から始まるのです。

 日本国憲法は、天皇に主権はありません。主権は国民にあります。戦前は、天皇に主権がありましたが、国民に主権はありません。

 GHQは新しい憲法をつくり、天皇から主権を奪いました。主権は国民が持ちます。では、天皇の存在は何でしょうか? 「天皇は象徴(シンボル)です」と言ったのです。天皇は主権者ではありません。平和を愛する日本国民のシンボルとして、天皇を置きます。それが憲法の最初の条文です。

第一条

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の在する日本国民の総意に基づく。

 

 天皇は「私は神として育ってきたのに、これからは人間として生きるのか」と思ったのです。天皇は、人間として生きるのです。GHQは天皇に対して、「全国を回って「私は人間になりました」ということを知らせなさい」と言ったのです。

 戦後は、「天皇が悪い、日本が悪い、日本の家族制度悪い、大地主制度が悪い、貴族院が悪い、身分制度が悪い、全て平民に戻せ!」と言ったのです。貴族院を廃止して、参議院は、良識の府としたのです。

 GHQは、教育でも教科書の改ざんを行ったのです。「歴史教科書を塗りつぶせ、神話は全てウソである。神話を教えてはならない!」と言って、教科書を墨で塗りつぶしたのです。僕も墨で塗りつぶされた教科書を見たことがあります。

 学校の先生は、生徒に神話を教えてはいけません。それだけではありません。憲法は日本の國體を骨抜きにしたのです。「これからは、民主主義だ。主権者は国民だ!」と言って、国民を煽ったのです。GHQは、「この憲法は日本人がつくったものだ」と言い張ったのです。

 「当時の首相がつくったのが、日本国憲法である。主権は国民にあるのだ!」とやったのです。当時の閣僚の名前で調印されたので、「占領軍の司令官マッカーサーの命令でできた憲法である」などとは、書かれていません。日本人が憲法をつくったのです。

 僕は、東大の教授から憲法学を習ったことがあります。東大の憲法学者は、「戦前の憲法と、日本国憲法は継続している」と言うのです。それが、最大の論点です。他の私大では、「憲法は連続していない。戦前の憲法と戦後の憲法は、まるっきり違う。こんな憲法は連続しているとは言えない」と言っていたのです。

 東大の総長である南原繁さんは、最初は「その通り」と言っていたのです。そのうち、GHQに「お前、そんなことを言っていると、公職追放で東大の総長から追い出すぞ!」と脅されて、「はい、GHQ様の言う通りです。日本国憲法は、明治憲法とつながっています。社名変更をしただけです」と言ったのです。

 今では、憲法学者の見解は、そのようになっています。竹田恒泰さんは、「憲法はでたらめだ。憲法学者ぐらい、良心を売っている者はいない」と言っています。

 明治憲法は、GHQによって全て変えられてしまったのです。そこで作家の三島由紀夫先生は、「何故、こんなことになるのか、英霊の声を聞け!」と怒ったのです。「天皇は、「私は神ではなかった」などという人間宣言を出すべきではなかった。最後の最後まで、「私は神であった」と言ってもらいたかった」というのが、三島先生の主張です。

 三島由紀夫は、「人間宣言など、してもらいたくなかった。どんな山奥に入ろうと、小さな神社に入ろうと、「私は神である」と言ってもらいたかった。そうしないと、死んだ400万人の英霊に対して、言い訳ができないだろう!」と言って怒ったのです。

三島先生は、天皇陛下に対して、批判があったのです。「私は不満である」と言っていたのです。

 明治10年(1877年)の西南戦争に立ち返ると、似たようなことがあったのです。薩摩藩士は、「何故、こんなに西洋かぶれをして、西洋風の軍服を着て、銃をもって喜んでいるのか? 我が薩摩藩には、そんな奴は一人もいない」と怒っていたのです。

 1万6千人の薩摩士族が一揆をおこしたのです。なにしろ、新政府は「いつまで丁髷を結って、刀を差しているのだ! お前たち、税金を払え!」と言ってくるのです。薩摩藩は税金を払わなかったのです。

 薩摩藩士は、「新政府なんかに税金を払えるか!」という気持ちです。丁髷も切りません。刀を差して堂々と市中を歩いていたのです。新政府に注意されると、「何、お前ら、やったるか!」という意気込みです。

 新政府は密偵を送って、薩摩藩の動向を探っていたのです。そこで、西郷隆盛は、薩摩藩の連中に合流したのです。西郷さんは、「西洋かぶれなどとんでもない。日本精神を失ってはならない!」と言っていたのです。

 「薩摩藩の士族制度は素晴らしいものであるから、保っていくのだ。新政府には従わない!」というのが、薩摩藩士の胸の内です。明治の近代化の波が押し寄せている最中、おそらく、それは許されないことです。西郷さんは、「大久保どんの政府軍に、おそらく殺されるであろう」ということを知っていたのです。

 それが西郷さんの偉いところです。反乱を起こした薩摩藩士に「おいどんの命をくれてやる!」と言ったのです。それが西郷さんの、真意です。「俺は死ぬであろう。それでいいのだ」と思っていたから、西郷さんは一切指揮をとらなかったのです。

 「あそこを攻める。こちらから攻めてはさみうちにしよう」などという作戦会議には、一切加わらなかったのです。西郷さんは、死ぬのを待っていたのです。これが、日本精神です。(③に続く)

 

 

 

※憲法は破棄です!

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