奴隷の歴史 ① | 中杉 弘の徒然日記

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奴隷の歴史 ①

 

 人間はいつの頃から、奴隷というものを意識することになったのでしょうか? 世界で一番古いと言われている聖書には、「出エジプト記」があります。エジプトの奴隷であったユダヤ人が、エジプトを出るという話です。これが最古の奴隷の記録だと思います。

 エジプト人は、「奴隷を逃がすな!」とユダヤ人を追いかけてきたのです。だいたい、「人間が人間を奴隷にする」という、おかしな考え方です。

 エイブラハム・リンカーンは、「government of the people, by the people, for the people」(民の人民による人民のための政治と言いました。これは、当時の奴隷解放の言葉だったのです。奴隷は犬以下です。

 エジプトの奴隷は、労働の後にビールを飲むことは許されていたのです。昼間は炎天下で、働いていたのです。ピラミッドを造り、宮殿を造り、農作物をつくり、様々なものを奴隷がつくったのです。

 エジプト人は、奴隷の上に立っていたので、労働はしません。朝から晩まで川遊びをしたり、豪華な食事をして、優雅に生活をしていたのです。

 その反対にユダヤ人たちは奴隷なので一生懸命、労働をさせられていたのです。衣服も、食べ物も奴隷がつくっていたのです。「奴隷は大事にされていなかったのか?」というと、大事にされていたのです。

 奴隷に逃げられてしまったら、労働力がなくなってしまいます。奴隷の待遇は、結構よかったのです。奴隷はビールをガブガブと飲んで、丸々と太って、力仕事を一身に引き受けてもらったのです。鞭で打って、コキ使ったら、奴隷も働かなくなってしまいます。

エジプトの奴隷は大事にされたのです。奴隷は財産です。人間を奴隷にして、財産にするのですから、ヒドイ話です。

 奴隷になってしまうと、虐められたわけではありません。馬のように鞭で打たれることはなかったのです。奴隷は市民同然に暮らしているのですが、ご主人様には絶対に逆らうことはできません。

 奴隷である証拠は、売買されるということです。「奴隷だったのか?」という証拠は、人間が売買されているということです。

 アメリカの黒人は、アフリカから連れてこられたのです。「どのようにして連れてこられたのか?」というと、アフリカで仲睦まじく暮らしている親子を引き離して、体力のある青年を捕まえるために投げ縄をかけたのです。若い女も縄で縛り、船底に詰め込んだのです。手と足は縄で縛られて、つながれています。口だけでトウモロコシの粉を食べさせられたのです。

 トイレはありませんから、小便も大便も、そのまま船底に垂れ流しです。不衛生ですから、半数の黒人は船底で死んでしい、死体は海の中に投げ込まれたのです。

 アメリカ大陸に到着すると、黒人はならばされて奴隷市に連れていかれたのです。奴隷の最大の特徴は、売買されてしまうということです。個人の自由意志は、認められていません。

もし、奴隷が逃げた場合は、殺されてしまうのです。奴隷は、殺されるのが怖いから、一生懸命、働いたのです。一生懸命働いている奴隷は、大事にされたのです。

 ローマ時代も、奴隷は大勢いたのです。それが、剣闘士(Gladiator)という奴隷です。ローマ市民の10倍の奴隷がいたのです。ディプロマをもらわなければ、ローマ市民にはなれません。

 ディプロマは、市民証であるから、それをもらった人は、働かなくてよかったのです。ローマ市民の10倍の奴隷の人たちが働いて、ローマ市民を支えていたのです。地下でお風呂を沸かしたり、コロッセオで剣闘士を地上に送り出すエレベーターの縄を引っ張ったりしたのです。

 ローマ時代は、現代の暮らしとあまり変わりません。現代のエレベーターは、電気で動きますが、ローマ時代は奴隷が動かしていたのです。人間の力と電気の力は、だいたい一緒です。

 「どのような人間が奴隷になったのか?」というと、ローマとの戦争に負けた連中が、奴隷にされてしまったのです。ローマ時代は、戦争、戦争、戦争の連続です。領土を拡大して、奴隷狩りに行くようなものだったのです。

 他国へ押しかけていき、「お前たち、奴隷になれ!」ということです。生意気な連中は、ぶっ殺して、労働力になりそうな若者は奴隷として連れて帰ってきたのです。子供も女も奴隷にしたのです。

 体が丈夫な若者は、剣闘士(Gladiator)にしたのです。剣闘士になり、生き残ると、ローマ市民になれる場合もあったのです。剣闘士は、殺し合いをするのですから、奴隷の中でも最も過酷です。

 剣闘士の文化が現代に残ったものが、スペインの闘牛士です。闘牛は闘牛士と牛の一対一の勝負です。闘牛士と牛が戦って、最後は牛を剣で刺し殺してショーは終わりになるのです。反対に牛の角に刺されて死んでしまう闘牛士もいるのです。

 ローマ時代の剣闘士は、武器を選ばせて戦わせたのです。木刀ではなく、真剣の武器を持たせて殺し合いをさせたのです。

 一人や二人の殺人ショーではありません。何百人が命を懸けて戦ったのです。コロッセオには、1万人以上のローマ市民が見に来たのです。剣闘士がお互いに殺し合い刺されて、倒れるのです。

すると、勝ったほうがローマ皇帝のほうを見るのです。ローマ皇帝が、「よく戦った」と思えば、親指を立てるのです。それは、「生かせ」という意味です。親指を下に下げると「殺してしまえ」という意味です。そのような残酷なショーを楽しんでいたのです。

剣闘士の殺し合いも、奴隷がやったのです。剣闘士の戦いは首を刎ねたり、残酷なので、貴婦人は興奮してやりまくったのです。殺戮の現場をみながら貴婦人は、後ろから犯してもらったのです。すると、貴婦人は興奮の絶頂までたっしてしまったのです。

ローマ市民は、コロッセオで何百人も殺される殺人ショーを見て、熱狂したのです。それだけでは飽き足らなくなって、今度は剣闘士とライオンを戦わせたのです。象と剣闘士を戦わせて、豹と剣闘士を戦わせたのです。そのような残酷なことを次から次へと思い浮かべて戦わせたのです。

奴隷が偶然にも勝ち進むと、ローマ市民は興奮して殺人ショーを見に来たのです。勝ち進んで人気のある者は、ローマ皇帝に生かされて、ローマ市民になることができたのです。それは、ごくわずかの人間です。

これがローマ時代の典型的な奴隷です。その他水道を引いて、水車の力を使って粉を引いたのです。ローマの水道橋は今でも残っていますが、大規模な水道施設は奴隷が造ったのです。

鉱山で働く奴隷もいたのです。鉱物は水を入れると浮かび上がってきます。水車の水を運んで、鉱物を振り分けて、また水を運ぶ奴隷もいたのです。過酷な労働で、1年しか持たなかった奴隷もいたのです。

地下にもぐり、穴の中にもぐり、ローマ市民の目に見えないところに奴隷がいたのです。奴隷は、電力源ですから、ローマ市民の生活と、現代の生活はなんら変わりがなかったのです。

ローマ時代は、エレベーターもあります。ローマ風呂もあります。ローマ風呂も奴隷が火を焚いてお湯を沸かしたのです。奴隷が電力の替わりをしたのです。

ローマ市民になれた場合は、生活の心配はいりません。全て無料です。ローマ市民になるためには、25年の兵役につかなければいけません。相当長い間、あちこち転戦するので、途中で死ぬ兵士も大勢いたのです。

しぶとく25年間生き抜いてきたら、ローマ市民証を得ることができたのです。ローマ市民証がもらえると、食べ物は無料、飲み物も無料、娯楽も無料です。コロッセオの劇場観戦も無料で見られたのです。至れり尽くせりです。ローマ市民証をもらうために、ローマの軍人は頑張ったのです。ローマ軍の軍人も奴隷だったのです。(②に続く)

 

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