竹田恒泰先生の闇 ① | 中杉 弘の徒然日記

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竹田恒泰先生の闇 ①

 

 竹田恒泰先生のことを「大先生などと言うのではない」と、僕のブログのコメント欄で、おしかりをうけましたが、あえて「竹田恒泰先生」と呼ばせてもらいます。

 この人は面白い人で歴史の教科書をつくったり、古事記の講義をしたり、そのような方面では、立派な仕事をやっています。良い面もあります。もっとも人間は、悪い面だけの人間はいません。竹田恒泰先生は、よく見ると、よい面もあるけれども、悪い面もあります。

僕は前から疑問に感じていましたが、竹田恒泰先生の書いた『怨霊になった天皇』という本があります。3人の天皇が島流しになって、崇徳天皇は怨霊になったのです。

 その本を読んで気にかかることがあったのです。竹田恒泰先生は、「私はある人と知り合って、鎌倉で天皇の歴史を研究してくれませんか?」と言われたのです。

僕の推測ですが、「誰がこのようなことを言ったのか?」というと、統一教会の久保木修己だと思います。久保木修己は、慶応大学卒ですから、竹田恒泰先生の先輩です。

 久保木修己は、元宮様という竹田恒泰先生に目をつけて、「3年間の面倒を見ますので、鎌倉で天皇の研究をしてください」と言ったのでしょう。竹田恒泰先生は、「それは、誰だ」とは、言っていません。これは、僕の推測です。

 自伝によると、「3年間、鎌倉で朝昼晩と徹底的に天皇の歴史を研究しました」と言っていました。お金をもらっているから、ほとんど家から出ないで、徹底的に研究したのです。

 「このお金を出したのは誰か?」というと、僕は気が付いたのです。それは、統一教会ではないでしょうか? 統一教会は、元皇族に目をつけたのです。先輩、後輩の関係でもある久保木修己にお金を出させて勉強させたのでしょう。

 その結果、できた本が『怨霊になった天皇』です。竹田恒泰先生も、「怨霊になった天皇がいた」ということが、わかったのです。統一教会に養われたという、彼の闇があるのです。そのことは、ほとんど出てきません。

 その頃、竹田恒泰先生は、「在日朝鮮人は宝だ」と言っていたのです。統一教会からお金をもらっていたとすると、「在日は宝」です。自分にお金をくれる、良い人です。

ここで、第一の疑問が出てきたのです。僕は、「統一教会が3年間、鎌倉で面倒をみたのではないのか?」と思っていたのです。その話はもう消えていますが、まず間違いないと思います。

その頃の竹田恒泰先生は、女性関係が華やかです。「華原朋美がいい」と言って、マスコミに騒がれたのです。

五味康祐(ごみやすすけ)という作家が、『五味人相教室』という本を書いています。この人相学によると、竹田恒泰先生は、前歯に隙間があります。

「この人相は、どのような人相か?」というと、ウソつきを意味するのです。ウソつきと同時に淫乱を意味しているのです。人相学によると、そのような顔です。華原朋美のような顔を好むのです。そのようなクセがあるのです。

「ウソつきで淫乱である」ということが、人相学から出てくるのです。人相学から見ても、このようなことがわかってしまうのです。

竹田恒泰先生が教科書をつくったり、歴史の講義をしていることは、良い面です。悪い面では、篠原常一郎先生が言われているように地上げ屋や、ヤクザの事務所に竹田恒泰先生の事務所を置いていたことです。上海電気にも竹田恒泰先生の会社が関係しているというのです。

上海電気は、橋下徹さんが大阪市長の時に土地を払い下げたので、大問題になっています。

そこで、「日本の歴史は、神武天皇は架空の人物で、欠史八代(けっしはちだい)といい、日本の歴史では、第9代の開化天皇までは架空だ。日本の歴史は、第10代の崇神天皇から始まる」と言うのです。

欠史八代(けっしはちだい、闕史八代、缺史八代)は、第2代綏靖天皇(すいぜいてんのう)から、第9代の開化天皇までの、8代の天皇を指します。

『古事記』や『日本書紀』にその系譜が記されている初期の天皇の系譜は、その多くが後世の創作によるものと見られ、欠史八代の天皇が実在した可能性は学術的には無いとされています。これが、日本の歴史学者の見解です。

「神武天皇は実在の人物で、綏靖天皇から、開化天皇までは、実在していない」など、どうして、そのようなことを言うのでしょうか?

竹田恒泰先生は、古事記が大事だと言っているのです。「古事記は神の教えだ」と言うならば、「綏靖天皇から、開化天皇までは、インチキだ」と言うのは、おかしいのです。そうなると、古事記も信用できなくなります。

「何故、そのようなことを言うのか?」というと、綏靖天皇は、神武天皇の第三皇子です。綏靖天皇は、兄を殺して、「人肉を好んだ」と言うのです。

1日に家臣を7人殺して食べたというのです。古事記にちゃんと書いてあるのです。「おい、お前を食ってやるぞ」と言うと、家臣は「食べないでください」と言って、逃げたのです。

木の上に登って逃げた家臣もいたのです。すると綏靖天皇は、弓矢で射殺したのです。矢が当たった家臣は、「やられた~」と木から落ちてしまい、その家臣を綏靖天皇は、食べてしまったのです。

「1日7人食べた」と書かれているのです。「どうして、そのようなことが書かれているのか?」というと、事実だったのでしょう。なぜかというと、神武天皇の大和政権は、征服王朝です。

神武天皇は、「俺に敵対した者は、滅ぼす」ということをやったのですから、征服王朝です。豪族の中には、言うことをきかない豪族もいたのです。「いうことを聞かないだと? 生意気な奴だ、滅ぼしてやる」と言われて、戦争になってしまったのです。

神武東征ですから、日本の東を目指して、征服していったのです。それで国家ができたのです。だから、神武天皇は獰猛です。神武天皇の兄は、戦死しています。神武天皇は、戦争が好きで獰猛だったのです。人間を食べてしまう子供も出てきたのです。

綏靖天皇の人肉食いの記述に僕は、中国人の面影を見たのです。神武天皇に関して言うと、徐福が神武天皇になったのです。これは、僕の『日本建国の謎に迫る』を読んでください。

中国人と言っても徐福は、ユダヤ人です。ユダヤ人の徐福が神武天皇になったのです。これが僕の壮大な仮説です。

「ユダヤ人の徐福(ジョセフ)が神武天皇になった」と言っても、徐福は秦の始皇帝の家来ですから、中国にいたのです。すると、中国人は人肉を食べるのです。中国人の人肉食いの習慣が自然に身についていたのでしょう。(②に続く)

 

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※徐福が神武天皇になったのです。

徐福は、ユダヤ人のジョセフです。

これは、僕の壮大な仮説です。

 

 

 

 

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