KK問題の本質とは、何か? ① | 中杉 弘の徒然日記

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『あゝ特別攻撃隊』橋幸夫 

 

KK問題の本質とは、何か? ①

 

 篠原常一郎先生は、アジアのケイちゃんや、他の弁護士と協力しています。KKは弁護士試験には合格しましたが、次の試験で身辺調査があります。そこに手紙を出しているのです。KK問題に対してこれだけ熱心にやる人は、他にいません。

 問題の本質というものをよくとらえないと、間違えてしまいます。「A宮家の金遣いがあらい、忖度をさせている」などという様々な問題があります。篠原常一郎先生は、KK問題も、A宮の問題もよく追及してやっています。

 この問題の本質は、キリスト教と天皇家の問題です。GHQは、天皇をなくすことに失敗したのです。それよりも、「天皇をうまく利用したほうがよい」と考えたのです。これがマッカーサーの決断だったのです。

 そのためには、天皇家から神聖天皇を奪ってしまわなければいけません。民主化された、主権のない天皇にしたのです。戦前は、天皇が日本国の主権者だったのです。戦後は、国民に主権が移り、天皇陛下には主権がありません。

 主権のない天皇陛下が日本全国をプラプラと行脚したのです。「行脚した」ということには、2つの意味があります。

 「戦争を起こして、申し訳ありませんでした」というお詫び行脚です。日本人は、先の大戦で400万人死んでいるのです。「戦争の責任は自分にあります」ということです。これがまず一つです。

 二つには、「私は現実的に主権者から降りました。国民の皆さんは、復興に尽くしてください」ということで、顔を見せて行脚したのです。国民は、天皇の顔を見たことがありません。

 戦前は、列車の中に天皇がいても、カーテンを閉めてしまうので、国民は天皇の顔を見ることはできません。天皇が列車に乗ると、憲兵は国民の側を向いていたのです。だから、国民は、天皇を見たことがありません。

 まして、天皇の肉声も聞いたことがありません。玉音放送では、終戦の詔勅を出したときに国民は、「これが天皇陛下の声なのか」と、ビックリしたのです。国民は初めて天皇の声を聞いたのです。

 天皇の終戦の詔勅を聞いて、国民は「天皇は神ではなく、人間になったのだな」と思ったのです。終戦が昭和20年8月15日、憲法をつくったのが昭和21年11月3日です。GHQが日本の占領下で憲法をつくったのです。占領基本法の憲法は、ひどい憲法です。

憲法第9条は、以下の通りです。

第9条

1.      日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.      前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

このように書いてあります。この前提条件が日本国憲法の前文です。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と書かれています。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」諸外国には絶対に手向かいしません。それが憲法第9条です。これで、日本国が存続できるのでしょうか? ロシアのウクライナ侵攻を見て、日本人も「憲法第9条があるかぎり、日本を守ることはできない」とわかってきたのです。

 国連の常任理事国である、ロシアと中国が他国を侵略しているのです。そして、「原爆を使うかもしれない」と脅しているのです。国連の常任理事国が他国を脅しまくっているのです。この時点で、「国連は機能していない」ということが、わかるのです。

 では、どうやって日本を守るのでしょうか? 「平和を愛する諸国民を信頼」するのでしょうか? それは、「国連を信頼して」とも読めるのです。日本は国連を信頼して、陸海空軍を置かないのです。

 ところが、国連は役に立ちません。常任理事国が他国を侵略してしまうのです。これでは、国連は信用できません。プーチンは、「場合によっては、核兵器を使う」と言っているのです。

このような状況に日本が置かれることも、GHQの頭の中にあったことです。「このような憲法を日本に押し付ければ、日本は滅びる」とわかっていたのです。

 いきなり天皇を処刑したりすると、日本人の抵抗が激化します。なぜならば、大本営を長野県松代の地下壕に移そうとしていたのです。今でも松代には、巨大な地下壕があります。天皇陛下を地下壕に移して、そこに立てこもって、日本軍の総戦力で戦おうとしたのです。

 日本は山が多い国です。日本での戦いは、米軍が不利になります。日本軍が山にこもってしまったら、米軍が戦いを継続することは困難です。「日本の終戦時には、どのくらいの戦力があったのか?」というと、以下の戦力があったのです。

■終戦時の戦力

終戦時の戦力は軍人の数で言うと、365万人の軍人がいたのです。その内、シナにいた陸軍兵は173万人です。近衛師団は天皇をお守りする部隊ですが、近衛師団は無傷で残っていました。驚くべきことです。

日本海軍艦艇は168隻残っていました。

「海軍各基地における終戦時の保有機種・機数(昭和20年9月1日現在)」と題する資料があります。この資料は、昭和20年の終戦直後、マッカーサー総司令部の「昭和20年9月1日現在の海軍各基地における保有機種・数を調査報告せよ」との命令に基づき海軍省軍務局が作成したものです。

一 戦闘機2,036機(26.9%)

二 攻撃機1,306機(17.3%)

三 偵察機701機、(9.3%)

四 輸送機58機(0.8%)

五 練習機3,431機(45.3%)

六 陸軍機34機(0.4%)

合計7,566機(出典図書は7,567機としているが合計すると7,566となる)

 

「終戦時の戦力」を見ると日本軍は、十分に戦えたのです。山にこもってゲリラ戦を継続すれば、まだまだ戦いを継続することはできたのです。ただし、ものすごく悲惨な戦いになったと思います。

 軍人から見ると、「陸海空軍を持たない。交戦権を認めない」などというバカな憲法はあり得ません。普通は、日本に敵が侵入してきたら、戦います。それが、「交戦権は認めない」というのが、日本国憲法です。こんな憲法をもっていたら、自滅するしかありません。

マッカーサーは、「この憲法を押し付ければ、30年~40年で日本は終わりになる」とわかっていたのです。それをごまかすために、「米軍が日本に駐留します」と言っているのです。

昭和天皇は、「戦争に負けると100年は頸木が続く」とわかっていたのです。こうなることも昭和天皇は、わかっていたのです。(②に続く)

 

 

 

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