神武朝は、終わるのかな? ② | 中杉 弘の徒然日記

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僕が奈良の橿原神宮へ行った時に「神武朝が終わるかもしれない」という声が聞こえたのです。神武朝の上に神様がいらっしゃるのですから、おそらく天照大神の声だったのではないかと僕は思っています。

 

神武朝は、終わるのかな? ②

 

 面白いことがあります。古事記は何のために出来たのでしょうか? 712年に古事記は成立しました。日本書紀は、720年です。それまでの日本列島は、天皇が治めていたと言いますが、地方には、豪族が大勢いたのです。

 「我こそがこの土地を治めている」という自覚があったのです。この日本列島で群雄割拠していたのです。

 東日本の群馬県、栃木県、千葉県、埼玉県にも国があったのです。何という国があったのかというと、「日本」という国があったのです。神武天皇が日本列島を統一したというのは、間違いです。神武天皇は、「倭国」を造ったのです。倭国を治めて中国の皇帝に挨拶に行くと、「日本という国の使者も来たぞ。どちらが国主なのだ?」ということです。

 倭国と日本国は、力が拮抗していたのです。3世紀頃には、西日本は倭朝に統一したのですが、関東と東北は残っていたのです。神武天皇は、奈良の橿原宮で倭国の建国宣言をしたのです。

 神武天皇が建国したのは、倭国です。日本国ではありません。「丑寅の日本国」は、すでに東北にあったのです。一応、神武天皇は奈良の橿原宮で建国宣言を出したのです。

面白いことがあります。古来から、神様は死にません。神武天皇が死んだというのは、おかしいのです。神様ならば、死にません。神武天皇は死んだのです。死んだ段階で、神を降りた人間です。わかりますか?

 瓊瓊杵尊も神武天皇と同じです。瓊瓊杵尊も下界に降りてきて、農業の神になったのです。武の神が神武天皇です。神武天皇は、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコノミコト)です。瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は、産業を教えて、死んだのです。

 神様ならば死にません。天照大神は、絶対に死にません。天皇は人間界に降りてきた神様ですから、死ぬのです。だから、天皇陵があるのです。それと同時に瓊瓊杵尊のお墓は九州にあります。

 凄く立派な神社が今でもあるらしいのです。それらを見ていくと、神武朝も怪しいものになってきます。神武天皇が「私に従え」と言うと、従わない連中が関東には大勢いたのです。

 桓武天皇の時代になると、坂上田村麻呂を征夷大将軍にして、東北の征伐に向かわせたのです。東北の連中は、朝廷に恭順していなかったのです。征夷大将軍の征夷は、「夷を征服する」という意味です。

 初代の征夷大将軍が、坂上田村麻呂です。なるほど。結局、坂上田村麻呂では、東北は治められなかったのです。1万人で戦争に行っても、東北の阿弖流為(アテルイ)には勝てなかったのです。阿弖流為(アテルイ)の軍隊は、強かったのです。

 馬に乗って攻めてくると、また馬に乗って去っていくのです。天皇の軍隊は、歩兵です。そこで坂上田村麻呂は、考えたのです。戦争を休戦して酒盛りを開いたのです。「京都に来て、恭順するならば、危害を加えない」と約束して、阿弖流為と母禮(モレ)を京都に連れていったのです。

 坂上田村麻呂は、「これが阿弖流為と母禮です」と言ったのです。それを見た朝廷は、「首を斬れ」と言ったのです。阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)には、「和睦をしよう」と言って京都に連れてきたのに、2人の首を斬ってしまったのです。

 東北には、まだ阿弖流為(アテルイ)の部下が残っていたのです。「穴を掘ってみんな埋めろ」と命令したのです。500人近くいた阿弖流為(アテルイ)の部下を生き埋めにしたのです。それは、自分たち掘らせたのです。生き埋めにして、その地面を踏み固め祭りが「ねぶた祭り」です。

 「ラッセラ、ラッセラ」という掛け声をかけて、羽踊りをして、地面を踏み固めて生き埋めにしたのです。それだけ、阿弖流為(アテルイ)は強かったので、倭朝廷は恐れたのです。倭朝廷は、和睦するような力はなかったのです。

 まだ、九州には、磐井という豪族が残っていたのです。この連中は、最初から倭朝廷の言うことを全く聞いていません。九州には、熊襲、土蜘蛛、隼人という民族がいたのです。

 日本列島が固まるまで、500~600年かかったので、倭朝廷が固まってきたのは、だいたい2千年くらい前なのでしょう。

 僕が奈良の橿原神宮へ行った時に「神武朝が終わるかもしれない」という声が聞こえたのです。神武朝の上に神様がいらっしゃるのですから、おそらく天照大神の声だったのではないかと僕は思っています。

 神武朝が終わるかもしれません。さて、そこで2800年続いてきたのは、神倭朝(かむやまとちょう)です。竹内文書には、天皇は何代も続いていると書かれているのです。日本列島には、何万年の歴史があります。

 竹内文書では、神武天皇からはじまる現在の皇朝を「神倭朝(かむやまとちょう)」と呼び、これ以前に「上古25代」(または「皇統25代」)とそれに続く「不合朝(あえずちょう)73代」(73代目は神武天皇のことである)があり、さらにそれ以前に「天神7代」があったとしている。

 今は、神武朝(神倭朝)であり、これは終わりを迎える時がくるかもしれません。その後は誰が出てくるのでしょうか? 地方の豪族が目覚めるのでしょうか? それも違います。日本国を創られた神話の神様の中から出てくるのです。

 神武朝は終わっても、他の王朝が起きてくれば、神国日本は続いていくことになるのです。それは誰かというと、瓊瓊杵尊です。次の王朝は、瓊瓊杵尊から出来てくるのです。瓊瓊杵尊は、九州王朝です。瓊瓊杵尊のお墓は、九州の宮崎県にあるのです。

 そこへ移るのではないでしょうか? こうなってくるのです。「神武朝は終わります。次の王朝が出てきます」というわけではありません。神武朝は形だけはまだまだ続きますが、自然に次の王朝が出来てくるのです。

 法華経の『妙法蓮華経見宝塔品第十一』に出てくる、「二仏並坐(にぶつびょうざ)」です。法華経では、多宝如来と釈迦牟尼仏が2人並んで座るのです。神武天皇と瓊瓊杵尊が二神並坐して、「これからはわしが天皇になる」と瓊瓊杵尊が言われると、神武天皇も「瓊瓊杵尊では仕方がない。では、降ります」という話です。

 おそらく、そんな簡単には降りません。神武朝には、国家予算がついているのです。瓊瓊杵尊の王朝は、言い続けなければいけません。「神武朝は終わった。我こそが、新しい時代の天皇である」と宣言すればよいのです。

 「何故、神武朝が終わるのか?」というと、まず第一番にキリスト教徒が増えてしまいました。第二番目に上皇后陛下、鬼子妃殿下、皇后陛下が平民であるということです。そして、KKという平民が妙な形で入り込んで、悪事のやりたい放題です。これは、もう終わります。

 「瓊瓊杵朝に移るのではないか?」という仮定です。これは確定ではありません。万が一、神武朝に終わりがきても、心配はいりません。天皇が途絶えることはありません。天照大神の孫が瓊瓊杵尊です。そこへ帰ればよいのです。皆様、今後どうなるのか、ご覧ぜよ。

 

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