神武朝の終わり ① | 中杉 弘の徒然日記

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※2800年前に奈良県橿原で建国された、神武天皇

神武朝の終わり ①

 

 3日前に水間政憲先生が正理会の事務所においでになりました。いろいろとお話が出来てうれしいことです。

 正理会の幹部は、9月9日から11日にかけて奈良に行ってきました。水間政憲先生が来られた時には、天平衣装を着た幹部の写真を見せたのです。すると、水間政憲先生は気に入ってくださったのです。写真を見て大喜びで帰られたのです。

 水間政憲先生は、芸術家でもあるから、美的センスがよく分かった先生です。皆さんもそのように思うでしょう。「正理会会長は、こんなに美しいのか」と思ったのです。「佐々木議員はこんなに美しかったのか」と思ったはずです。

 悪さをなそうとするY子は、この写真を見て気が狂ってしまい、「ブス」とか、「おばちゃん」などとは言えなくなってしまったのです。

 奈良は、一つの大きな時代の鏡です。「何故、奈良に行きたくなったのか?」というと、天平衣装の写真を撮りにいったわけではありません。橿原神宮の神武天皇にご挨拶を申し上げて、「霊言を聞きたい」という目的があったのです。

 橿原神宮に到着すると、一天にわかにかき曇り、雨が激しく降り、ピカッと稲妻が光ったのです。その時に僕は霊言が聞こえたのです。これは、「飛鳥の旅」のブログでも、書きましたが、神武天皇の大事な霊言があったのです。

 「神武朝が終わるかもしれない」という、神武天皇と思わしき声が聞こえたのです。皆さん、神武朝などという話を聞いたことがありますか? おそらく、ないでしょう。「皇室が終わる」などという話は聞きますが、「神武朝が終わる」などという話は、神武天皇の霊言を聞いて、初めてわかった話です。

 一般には、「皇室が終わるのか?」という話です。神武朝などと、とらえた人はいません。徳川時代は、300年続きました。その前は秀吉、信長の時代です。彼らは、武将で終わりましたから、天皇がいなければ、「徳川朝」だったのです。

 神武朝は、2800年続いてきたのです。ところが、「生あるものは必ず死す」のです。これは、仏教の教えで「成住異滅」と言います。2800年続いた王朝も必ず終わりがくるのです。

 終わりが来ないものはありません。世間のものは、成住異滅です。国が建国されて栄える時代があり、やがて滅びる時代がくるのです。永遠の生命を持っているのは、仏以外ありません。そのように言えるのです。

 神武朝は、2800年も続いたのですから、よく続いたほうです。世界でも2800年続いた家柄は、皇室しかありません。天皇家は、世界で最古の家柄です。でも、いつかは終わりを迎えるのです。神武朝は、終わりを迎えているのかもしれません。

 天皇家は、今上天皇で126代です。その終わりが来ているのです。これは、日本人が終わるわけではありません。日本人は連綿として続いていくのですが、神武朝が終わりを迎えるのです。

 天皇が終わっても不思議はありません。むしろ、自然の流れでいけば、必ず終わりがくるのです。生あるものは必ず終わりがくるのです。さて次は、どのような時代がくるのでしょうか? これは、まだ未知数です。

 今上天皇が「次の後継者に天皇を譲る」と言ったら、それは神武朝です。連綿と続いていくのですが、それはあり得ません。ガラリと変わって、神武朝ではない王朝が誕生するのかもしれません。そのような可能性があるのです。

 古事記には、倭国が出来た始まりが書いてあります。神武朝は、倭国の誕生です。「日本国」という国家を造ったわけではありません。倭国を造ったのです。ここに一つの鍵があります。もう一つの鍵は、「日本国」です。「日本国」という国は、今の東北地方にあったのです。東北地方から、前方後円墳や埴輪が出てくるのです。群馬県、千葉県、埼玉から古墳が出てくるのです。

 そこには、「日本国」があったのです。神武朝が造ったのは、倭国です。中国から見たら、倭国と日本国は別の国だったのです。2つの国が中国に出かけていき、朝貢したのです。どちらが日本なのでしょうか?

 2つの国があったのです。東北の日本国が衰えて、倭国が「大和の国」から、「日本国」になったのです。

 その時にどのようなことが行われたのかというと、神武天皇の東征です。「東征」と言うのですから、神武天皇は西の国にいたのに違いありません。何故、奈良に向かったのかというと、征服です。戦争をしてきたのです。

 「倭国は分かれて百余国」と『魏志倭人伝』には、書かれています。それだけ多くの国があったのです。村があったのではありません。国があったのです。豪族が国の王様だったのです。

 それを征服したのが神武天皇です。神武天皇「俺に従うのか?」、豪族「はい、従います」と言って、ひれ伏したのです。逆らった豪族が長髄彦です。長髄彦は奈良にいたのです。神武天皇の兄の五瀬命(いつせのみこと)が、矢に当たり死んでしまったのです。

 僕は済州島の人間を実際に見たことがあります。中野に乾物屋があり、朝鮮人の親父が経営していたのです。その親父は長靴を履いていたのですが、スネが長いので長靴がショートブーツのように見えるのです。スネが長いのです。長髄彦は足が長かったのです。

 和田アキ子も身長が大きく、スネが長いのです。済州島出身のタレントは、180センチ以上あります。永ちゃんも180センチ以上です。喧嘩をすると、パンチをするだけで相手に当たってしまうのです。日本人の手は短いから、和田アキ子にはパンチは当たりません。

 和田アキ子が、ブンと手を出すだでパンチが当たり、相手は倒れてしまうのです。永ちゃんも喧嘩は強そうです。済州島出身ではないかと思います。済州島は日本人に近かったのです。長髄彦は、奈良にいたのですが、民族は違うのです。

 それと闘って、神武天皇の兄は長髄彦の矢に当たって死んでしまったのです。和歌山県に入って八咫烏の導きにより、奈良に入り、建国宣言をしたのです。このようにして、日本に建国したのです。

 神武天皇の東征とは、戦いを意味しているのです。そのような意味では、征服王朝です。その神武朝が、2800年の長きにわたって続いてきたのです。それは、「そろそろ、ご苦労さん」の時が来たのです。

 僕には「神武朝が終わるかもしれない」という、神武天皇と思わしき声が聞こえたのです。(②に続く)

 

 

■安西孝之さんとA宮は、瓜二つです!

 

  安西孝之さんは、美智子さんの妹の亭主です。

 

※M子ちゃんと、 矗昶(もり のぶてるも、瓜二つ。

 森 矗昶は、安西孝之さんの祖父です。

https://www.yoshiepen.net/entry/2021/03/01/224414

 

 

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