歴史学者の誤り(日本史古代考)① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

僕の著書『日本建国の謎に迫る』で書きましたが、徐福が神武天皇になったのです。この話は面白いのです。是非、お読みください。(アマゾンの寿ランドで販売しています!)

 

 

 

 日本の歴史書にはウソがあります。歴史学者たちはみな、このように言っています。「まず、第一番目のウソは古事記に書かれた神武天皇のウソです。年代記では、皇紀2800年と言いますが、これは架空の話であり、本当の天皇は、継体天皇からだ」と言っているのです。どんな歴史学者でも、「これが常識だ」と言っているのです。

 「年代的に言うと、3世紀頃に日本の歴史は始まったのだ」と言うのです。女王卑弥呼の話は、日本の歴史書には書いてありませんが、3世紀の中国の歴史書の「魏志倭人伝」に書かれているのです。

 日本史では、女王卑弥呼など存在しません。何処を探しても出てきません。「継体天皇が初代天皇であり、神武天皇から千年間は歴史のねつ造だ」というのが歴史学者の定説です。武田邦彦教授もそのように言っているのです。

 「神武天皇は虚構でウソなのだ」と言うのです。本当に虚構なのでしょうか? 戦前の日本史の教科書では「神武天皇は実在の人物である」と書かれています。今は、「神武天皇など存在しなかったのだ」と言っているのです。神武天皇から千年間は架空の天皇だというのです。これを「どのように考えるのか?」ということを、戦前の歴史学者達はみんな悩んだのです。

 一番悩んだのは、鈴木さん、『みことのり』の著書・森清人さんです。空白の千年間はこのように考えたのです。神武天皇は127歳まで生きたというのです。第五代の孝昭天皇は114歳、第六代孝安天皇は137歳、第七代の孝霊天皇は128歳です。

 第26代の継体天皇は83歳まで生きたのですが、その前の天皇は100歳以上生きた天皇が何人もいるのですが、現在ではそんな人間はいません。人生わずか50年の時代です。100歳を超えて生きた天皇が何人も続いているのです。学者は「これはウソの歴史だ」と言ってしまったのです。日本の歴史学者は全員がそのように思っています。

本当にそうなのでしょうか? 古事記の歴史を信じている人は考えたのです。2つの可能性を思い付いたのです。一つ目は、刀匠の名前と同じで何代も同じ名前を引き継いだということです。土方歳三の持っていた刀は、和泉守兼定(いずみのかみ かねさだ)す。一番人気のある刀は二代の之定(のさだ)です。土方歳三が持っていたのは、第十一代の兼定です。

 刀匠は何代も同じ名前を引き継ぐのです。神武天皇もこれではないでしょうか? 備前長船のように何代もいて、神武期に何代もいたのです。それを相照して、「神武天皇」といったのです。安寧天皇も、綏靖天皇もそのように考えれば、自然です。

 「神武天皇は、一人ではなかった」という話です。次の天皇も4~5人いたのです。すると、千年間は埋まります。これが、一つの例です。

 二つ目の例は、「昔の和暦では、1年間を2年と数えたのではないか?」という説です。するとつじつまが合います。月刊WiLLを読むと、竹田恒泰さんは「中国から暦が入ってきて、1年が360日になった。その前は和暦は1年を2年で数えた」と言っています。

 年代の数え方が曖昧模糊としていたのですが、竹田恒泰さんの文書を読んで、ハッキリとわかってきたことがあります。中国から暦が入ってきたのは、3世紀頃です。古事記は712年に出来たのですが、中国の暦が入ってくる前の時代を書いたのが古事記です。

 「継体天皇は実在した」という史実が他の文献に残っています。先の天皇の文献はないのです。その前の天皇について書いてあるのは、唯一古事記だけなのです。古事記、日本書紀に書いてあるのです。

 歴史に登場するのは、継体天皇ですから、この天皇は本当にいたのでしょう。この前の天皇はどのようにつなげるのでしょうか? そこで、竹田恒泰さんが非常に面白いことを言ったのです。「和暦では、1年を2年と数えていたのではないか?」と言うのです。面白いでしょう。これで、皇紀2800年の年代がピタリと合ってくるのです。

 そこで、僕はフッと気が付いたのです。「日本はなぜ1年を2回と数えたのでしょうか?」これは、僕の推察です。簡単です。古代は、米の種を蒔いて、米が収穫されて1年と数えたのです。次に米を蒔きます。米が出来て収穫します。それで1年が終わりです。これで、1年が2年と数えられた謎が解けたのです。

 日本の古代の米はジャポニカ米と言って南方米です。南方へ行くと三毛作です。1年に3回米が収穫できたのです。日本は2回米が収穫できたのです。米が収穫できると1年が終わります。また種を蒔いて米が収穫できます。それで2年が終わります。すると二毛作です。年代が倍になるのです。

 その数え方でつくられたのが古事記です。継体天皇以降は、中国の暦に合わせて1年を360日としたのです。それ以前は1年を2年と数えていたのです。その年の数え方は、米が収穫できて1年と数えたのです。

 なるほど。すると、皇紀2800年の問題は全て解決します。それで日本の歴史に新しい道ができたのです。森清人先生も悩まれたのです。天皇の年齢も和暦で計算すれば見事に解決します。

 月刊WiLLの竹田恒泰さんの話を読んで、それが解決したのです。漢字が日本に入ってきたのは、3世紀頃です。その前は口伝です。口伝で古事記、日本書紀もつくられたのです。和暦で数えると、1年は2年です。「3年」というと、1年半です。

 古事記は口伝であるが故に日本古来の暦に則って語られてきたのです。文章は漢字があるから書けるのです。最初に説いた古事記は漢文と日本語の区別がついていません。万葉仮名といいます。

 漢文をつかって、日本の音を表現したのです。万葉仮名を使って古事記を漢文で書くと、漢文は何の意味もありません。音で書かれているのです。漢字は意味がありません。万葉仮名は、漢字の音だけをつかって、日本語としたのです。そのような時代です。

 当然、それは考えられるのです。古代は文字がありません。文字はあっても、一般に使われている文字ではありません。そのようなことです。

 すると、全て蘇ってくるのです。僕の著書『日本建国の謎に迫る』で書きましたが、徐福が神武天皇になったのです。この話は面白いのです。秦の始皇帝が滅びたのは、紀元前200年です。和暦で、紀元前200年~300年を数えると、1,000年です。3世紀からは、1年を360日で数えたのです。中国の暦で数えたのは、3世紀から現代の2021年の間、約1700年間です。1000年と1700年を足すと2700年です。

 ちょっとの誤差はあるかもしれませんが、「2700年前に神武天皇が日本に現れて日本を統一した」と言うならば、徐福の説は当てはまりません。だから、「神武天皇はいなかった」となるのです。それが違うのです。和暦で計算した分と、中国の暦で計算した年代を足すと、ちょうど2700年間になるのです。

 皇紀2800年はウソではなかったのです。(②に続く)

 

 

お読みいただきありがとうございます。
よろしかったらクリックしてください。

応援よろしくお願いします!

 

    ↓↓↓


人気ブログランキングへ

 

 

 ■『中杉弘のブログ』2006年より、好評連載中です!

(ライブドアがフリーズすることがあるので、『中杉弘の人間の探求』で「法華経入門講義」を第一回から掲載しています。そちらをご覧ください。)

     ↓↓↓ 

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137   

 

■『中杉弘の人間の探求』にて、「法華経入門講義」を連載しています!

こちらもご覧ください。

    ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi2020