皇室は異民族、花盛り ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

※正田家の兄妹の中で魅痴子さんだけが身長が低いです。

 母親の富美さんも、父親も魅痴子さんよりも身長が高いのです。

 

 

 英国のBBC放送で、こんな話がありました。「日本で起きている皇女の結婚問題は、様々な問題がありますが、キムコムロは異民族らしい」と言われているのです。これが最大の問題点です。

 小室佳代の借金問題など関係ありません。「小室圭は異民族である」ということが最大の問題点です。それから、鬼子さんも異民族です。上皇后の魅痴子さんも異民族です。異民族がこんなに日本の皇室に入ってしまったらどうなるのでしょうか? 皇室が異民族、異宗教の花盛りです。ヒドイものです。皇室は、もう滅茶苦茶です。

 戦前においては、このような問題点は全くありませんでした。上皇は、天皇陛下の時に西武線の高麗駅の高麗神社をお参りしたのです。夫婦そろってお参りしたのです。どうして高麗神社に参拝したのでしょうか?

 日本の神社は何十万社とあります。何しに高麗神社へ行ったのでしょうか? 1300年前に高句麗の高麗若光が日本に帰化をしたのです。埼玉県に住みついたのです。その神社に、上皇と魅痴子さん二人でお参りをしたのです。

 「万感胸に迫る思いがあった」と言っていたのです。何を馬鹿なことを言っているのでしょうか? 朝鮮半島から帰化した人間が建てた神社に来て「万感胸に迫る思い」など、誰が思ったのでしょうか?

 高麗若光は、現実的には朝鮮半島から逃亡してきたのです。唐と新羅が高句麗を滅ぼしたので、朝鮮半島にいられなくなり、日本に亡命してきたのです。最初は京都に行ったのです。1800名の人数だったので、とても京都に住める場所はありません。

 天皇は関東に行くようにすすめたのです。高麗川のほとりに高麗神社を建てたのです。1300年も伝わってきた神社です。在日朝鮮人は、高麗神社をお参りするらしいのです。その神社に上皇と魅痴子さんは参拝したのです。その時に「変だな」と思ったのです。まだ、参拝しなければいけない神社はたくさんあります。

 神社は十万社あるのです。行かなければいけない神社はたくさんあるのに、高麗神社などに参拝に行って「懐かしさを覚える」などと言ったのです。

 この原因はわかったのです。魅痴子さんの母親の富美さんは、白人と中国人との混血です。富美さんは正田英三郎さんと結婚していますが、魅痴子さんの他の兄妹はみんな身長が高いのです。富美さんが西武の堤康次郎と浮気して出来た子が、魅痴子さんだと言われています。魅痴子さんだけ身長が低いのです。それから来ているのです。

 魅痴子さんのお母さんの富美さんは、綿花の商社マンの副島綱雄さんの養女だと言われています。「富美さんは中国人と白人のハーフなのでしょうか?」ということが問題になります。上海は、朝鮮人が大勢いたのです。

 多分、朝鮮人と白人の間の子供です。それを副島綱雄さんが養女にしたのです。副島家の養女になった富美さんは、正田さんと結婚したのです。粉屋と結婚したのです。そこで生まれたのが魅痴子さんです。

 正田のお婆ちゃんはキリスト教徒です。魅痴子さんもキリスト教の学校に行ったのです。皇太子のお妃候補になった時に問題になったのです。魅痴子さんはクリスチャンだから、もの凄く反対されたのです。「粉屋の娘」だと言われたのです。

 魅痴子さんには面白い話があります。正田魅痴子さんは、三島由紀夫ともお見合いをしたのです。三島由紀夫が「貴方は頭が良くて素晴らしいけれども、夜の生活はいかがでしょうか?」と聞いたのです。三島由紀夫は、魅痴子さんの急所をスパッと聞いたのです。

 魅痴子さんの答えは「お試しになりますか?」と言ったのです。ズベ公だとわかります。普通のお嬢さんならば、そんなことは言いません。そのような話が流れています。魅痴子さんは男性との交友関係は結構、進んでいたのです。

 何人かお見合いした後で、皇太子様に決めたのです。それで、魅痴子さんはクリスチャンです。悪いのが皇室に入ったのです。最初は大人しくして猫をかぶっていたのです。それが皇后になり、上皇后になると権力が身に付いてきて、下の者を苛めるようになるのです。

 中国人や、朝鮮人は、弱い者を苛めるのです。これは、朝鮮人の特徴です。イビるのです。「自分よりも弱い」と思うと、徹底的に苛めるのです。しかも、陰険な苛めです。朝鮮人は筋道が立たないいじめをするのです。

 特に、魅痴子さんは初めて皇族に入った平民です。それは、女官たちから見たら、面白くありません。魅痴子さんは、皇室のしきたりを何も知りません。普通の家に嫁いだのとは違います。帽子のかぶり方から、箸の上げ下ろしまで、2800年の歴史がある家です。魅痴子さんは、それを知らなかったのです。だから、本当に苛められたのです。

 魅痴子さんは苛められたのです。苛められた者は、必ず苛め返すのです。意地悪な人間になるのです。女官も朝鮮人だか、中国人だからわからない魅痴子さんを徹底的に苛めたのです。

 だから、魅痴子さんは卵巣に精子が2つ入ってしまう病気になったのです。それから、失語症、ノイローゼになってしまったのです。その時は皇太子妃だから、権力はありません。それほど威張れません。

 女官に苛められて「権力だな。権力が全てだ、私は必ず皇后になる。そうなれば、誰にも苛められない」と思って、皇后になる道を選んだのです。皇后になると今度は威張り散らしたのです。

 「あんた、気に食わないわね、クビ!」と言って、苛めるのです。だから、魅痴子さんは二重人格だと言われています。天皇陛下には「あなた」という感じですが、下の者には厳しく当たるのです。

 そこで魅痴子さんが考えたことは、「どうしてこんなに苛められるのだろうか? これは日本の伝統が悪い。陰険で陰湿で自由がない皇族は、改革しなければいけない」と思ったのです。

 「皇族にキリスト教を教えなければいけない。私が直してあげよう。秋篠宮は自由にする」と思ったのです。「貴方は自由にやりなさい。お金も使いなさい。皇族の伝統はやらなくてもいいのよ。貴方はやる必要はないのよ」ということをやってきたのです。

 この言葉を裏打ちする言葉が、大嘗祭の時に出たのです。秋篠宮は「大嘗祭にそんなにお金をかけなくてもよい。もっと簡素にしたらどうか」と言ったのです。金額まで指定したのです。「これもいらない、あれもいらない」と言いだしたのです。

 「秋篠宮はお兄さんの天皇陛下に向かって何という無礼なことを言っているのか?」と思ったら、そのような素性があったのです。天皇は年間200回以上の神事をやっているのです。魅痴子さんは絶対に参加しなかったので、天皇がお一人でやられたのです。

 それだけならばまだよいのですが、秋篠宮は誰の子なのでしょうか? そのようなことを言われる根拠があるのでしょう。だいたい、秋篠宮は上皇と体格が違います。上皇は立派な体格ではありません。秋篠宮は身長が高くて、ガッチリした体格です。178センチくらいあります。顔つきは、間違いなく魅痴子さんには似ていますが、上皇には似ていません。「秋篠宮は、誰の子なのでしょうか?」と騒がれたのです。上皇もそれに気が付いているのでしょう。「秋篠宮に天皇は譲らない」と言われていたのです。そのようなことです。

 そこで秋篠宮は成長して学習院で鬼子さんと出会ったのです。そして「結婚する」と言いだしたのです。昭和天皇の喪もあけていないのに、「結婚する」と言いだしたのです。お兄様はまだ結婚されていません。弟が先に結婚するなどおかしいのです。まして、秋篠宮と鬼子さんはまだ学生だったのです。

 秋篠宮は「結婚できないのならば、私は皇族を辞める」と言ったのです。宮内庁は川嶋家を調べる時間もありません。秋篠宮は何を言われても強引に進む性格です。後で鬼子さんの家系を調べても、遅いのです。

秋篠宮は「誰が反対しても結婚する」と突っ走っていたのです。「ちょっとお待ちください。お調べしてからにしてください」と宮内庁が言っても、「そんなことはどうでもいいのだ。何が何でも結婚するのだ」と突っ走ったのです。

その結果、秋篠宮が結婚したのは、朝鮮人だったのです。(②に続く)

  

 

 

 

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