革命と王朝 ② | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 

 

 

本来、民衆と王様は一体でなければいけません。王様は権力があると、勝手なことをやりだすのです。国民に向かってウソをつくのです。「政治なんか簡単だよ。国民にウソをつけばよいのだ」と言いだすのです。「こんなことを言ったのですか?」と言われたら「そんなことは言っていない」と言えばよいのです。そのようにウソをつけば収まってしまいます。

今の日本の政治はウソ政治です。内閣は国民にウソをつきます。アイヌ新法の法案を通したのは安倍さんです。菅さんはその時、幹事長です。その時に通った法案ですから、菅さんが決めた法案ではありません。

安倍さんがウソの法案を通したのです。350億円の大金をウポポイの連中に出したのです。水間政憲先生は、「ウポポイ」を「ウソポイ」と言っています。「アイヌ民族は先住民族ではない」と知っているから、みんな怒っているのです。

政権が国民にウソをつくようになったら終わりです。ウソをつけば何でもできてしまいます。安倍政権はウソつき政権ですから、アイヌ新法の他に、まだまだ悪いことを沢山やったのです。

後藤田正晴さんは「安倍だけは、絶対に総理にしてはいけない」と言ったのです。その理由は何かというと、ウソつきだからです。要するにウソつきは、矢を射て矢が突き刺さった所に的を書くのです。そんなことをすれば百発百中です。当たった所に的を書いて「当たり~」と言うのです。安倍さんがやったことは、全てそれと同じです。

「我が国の国民は、この目標に向かって走っています」というのではありません。弓を射て壁に矢が刺さってから目標を決めるのです。「このような目標でした。従って安倍さんの予言は当たりました」と言うのです。安倍政権は、役人も政治家もみんなウソつきになってしまったのです。

菅さんもそれを引きずっているのですから、ウソつきです。南スーダンに自衛隊を派遣して、自衛隊員は死んでいるのです。安倍さんは、国会で「自衛隊員に敬礼」とやったのです。安倍さんはウソつきです。自衛隊員が死んでいるから、敬礼をしたのです。それもウソをつけばよいのです。「全員無事で帰国しました」と言えばよいのです。

その後ろでは棺桶が並んでいても、それをわからないように運ぶのです。全てウソです。ウソをついているとその国は滅びるのです。それと同時にウソをつく人間も滅びるのです。

ウソとは、問題を解決する方法でもなければ、手段でもありません。ウソをついたら何も解決しません。「この薬を飲めばすぐに治ります」とウソをついたならば、それは解決ではありません。ウソは何事も生まないのです。

ウソつきが上手くなると、ウソを2つも3つもつくのです。これもウソ、あれもウソです。すると、ウソつき同士でぶつかるのです。「私はそんなことは言っていない、知らないよ」と言いだすのです。ウソのすり抜けというのです。

一つだけウソをついてもダメなのです。全てウソをつくのです。ここで言っていることも、あちらで言っていることも全てウソです。

ウソとウソをつきあわせても、全てウソだから、真実のことは一つもありません。一つウソをつけば、「これはウソだろう」とひっくり返されてしまいます。ところが、これもウソ、あれもウソならば、言語は滅茶苦茶です。処置無しになってしまうのです。

ウソつきの実体は何も変わりません。それで自分が壊れるのです。ウソつきがバレると、「あいつはウソつきだから約束はできない」と言われてしまいます。すると、「私はウソつきではありません」と言っても信用されません。全てウソをついているうちに、何も回らなくなってくるのです。だから、滅びてしまうのです。

「ウソをつくな」ということは、人間の生き方の問題です。ウソをつくと、ウソをついた本人が一番損をするのです。バカはそれがわからないから、ウソをついてその場をごまかすのです。「私は知りませんでした」とウソをつくのです。

南スーダンで戦闘がありました。自衛隊員が死んだ証拠があるのでしょう。国会で「日報を出しなさい」と言うと、「ありました」と言うのです。国会に出てくると、「あの日報は廃棄してしまいました」と言うのです。

「この間、あると言ったではないですか」と聞くと「確かにあったのですが、調べたらなかったのです。現物がありません。どうしたんでしょうかね?」と、反対に聞くのです。「どうしたらいいでしょうかね?」と言われたら、お手上げです。そうなってしまうのです。

ウソつきは、身を滅ぼすのです。ウソつきは革命を起こし、国を亡ぼすのです。その革命もまたウソなのです。「革命はみんなのためにやった」と言うのですが、それはウソなのです。本当は自分のためにやっているのです。これがわからなければいけません。

杉並区議会議員のほらぐちともこは、「革命のためには一人や二人、死ななければ革命は成就しない」と言ったのです。そうなのです。革命とは、既存の権力を奪うことです。それは、「人殺し」です。

革命と殺しはついて回っているのです。「革命のために」という名目でスターリンは、2千万人の自国民を殺したのです。毛沢東も6千万人殺したのです。ポル・ポトは、300万人殺したのです。

殺さないと国ができません。「革命は銃口から生まれる」という諺もあります。殺さないと革命は起きないのです。

王様を殺すと権力が浮きます。それを自分達が握ろうとするのです。それが革命です。権力を握ってしまうと、王様が変わっただけで、革命を起こした一族だけが栄えるのです。

前の王様の一族は皆殺し(genocide)です。自分達が取って代わって権力を握るのです。革命はドロボウです。民衆の為でも何でもありません。自分のために革命を起こすのです。

それをやってしまえば巨大な権力が身に着きます。習近平の権力が巨大になれば、なるほど革命を起こす連中が出てくるのです。「習近平は凄い権力を持っているな。あいつを殺せば習近平の権力はいただきだ!」ということです。

習近平を殺せば、習近平が持っている権力が全て握ることができるのです。権力を握るとまた習近平と同じことをやるのです。「民衆のために革命を起こす」というのはウソなのです。自分のために革命を起こしたのです。

それを見ていた次の奴が「あの野郎を殺さないと俺は権力が握れないな、では殺してしまえ」と思うのです。革命は血の上にあるのです。有田芳生(よしふ)もそうです。それを狙っているのです。

革命を起こす側はどのように考えているのでしょうか? この国の勢力を倒すために革命を起こします。この国の勢力がピンピンしていたら、権力は握れません。まず、この国の勢力を弱まらせるのです。弱まらせるためには、分断するのです。

「日本と沖縄は違うだろう。沖縄は昔、琉球と言っただろう。琉球は日本のものではないのだ。それを無理矢理日本のものにしたのだ。元の琉球に返るのだ。琉球の国はヤマトンチュに支配されているのだ。そうだろう、みんな。我々は本州から差別されているのだ、本州から分離しろ!」と言って、一つの国を分断するのです。

すると日本がヤマトンチュと沖縄の2つに分断されてしまうのです。ウポポイも同じです。「アイヌ民族は支配されてきたのだ。アイヌ民族は日本人と違う。アイヌ人に300億円配ってアイヌ人を保護しろ」ということをやったのです。アイヌ人などもういません。アイヌ人は日本人です。

そのように国を分断してくるのです。それで、国を弱めるのです。国を弱めるとスキが出てくるから、そこで革命家が出てきて、「よっしゃー」と分断するのです。

「革命はみんなのため」と言いながら、それはウソです。本当は自分のためなのです。今のミャンマーの軍事政権も、自分たちのためです。「面白くない、このままいったら俺達が処刑される。処刑される前にやってしまえ」ということです。革命の論理と全く同じ論理です。

革命は民衆のためではありません。自分の権力を欲しいのです。そのために民衆を利用しているのです。それがわからないと、判断ができなくなってしまうのです。

「革命は常に死と共にあり」です。そのようなことを深く考えていかなければいけません。革マル派は、未だにそのような幻想を抱いているのです。「国を盗る」という幻想です。

未だに70歳過ぎても、革マル派のビルで集団生活をして、寝泊りして、「天下をひっくり返して、日本の財産を全て奪おう!」と思っているのです。そのような野望を抱いているのです。

だから、70歳を過ぎても未だに革マル派のビルで共同生活をしているのです。「俺は貧乏して75歳になったけれども、今にひっくり返してやる。そうすればよう、俺はよう、日本国の権力者だ!」と思っているのです。

それと同じことが北朝鮮で行われているのです。金正恩の下についている将軍を見て御覧なさい。90歳以上の将軍です。80歳は、まだ鼻たれ小僧です。それは長い間、努力してくるから年を取ってしまうのです。

過激派が75歳でウロウロしているのと同じです。頭の中は「あの野郎をブッ殺そう」と考えているのです。そのような連中は、年を取ってもまだ同ことをやっているのです。だから、北朝鮮は国をかろうじて保っているのです。

「革命を起こせば俺の物になる」と未だに思っているのです。一人では者になりません。徒党を組んで革命を起こすのです。革命が成功すれば、民衆に財産をあげません。共産党天下です。「共産党が天下を取れば、民衆は豊かになりますよ」というスローガンで革命を起こしてきたのですが、実は、それはウソなのです。

共産党の革命は、「我々が豊かになります。我々のための革命です」というのが本音です。「民衆のための革命」というのは、ウソなのです。共産党は詐欺師です。革命を起こしたと言われる人民が、北朝鮮では裸足で食べ物もなくて餓死しているのです。

革命一家は豊かな食べ物と別荘と自家用車と白馬を持っているのです。この本質を見抜いていかなければいけません。「真の革命家とは何か?」というと、そんな人はいません。必ず次の革命家が出てくるのです。

幕府を倒して、明治政府を樹立した伊藤博文達はみんな王侯貴族になったのです。長州の芋侍の伊藤博文は足軽だったのです。芋侍の連中が革命を起こして幕府のお金と権力を握ったのです。自分たちに「公爵」という身分をつけて、支配者が変わっただけです。

幕府が明治新政府に変わっただけです。その「変わったエネルギーは何か?」といと、民衆のためなのです。「民衆のために幕府を倒す」と言ったのです。「民衆のために」ということは、「天皇のために」ということと同じことです。

「天皇のために、民衆のために幕府を倒さなければいけない」こうなるのです。江戸幕府を倒してみると、結局は俺たちの国になったのです。それが今でも続いているのです。これが革命の本質です。

 

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