革命と王朝 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 

 

 

 王朝というものは、民を結束させることにより成立します。そこに国が出来ます。王朝とは、民の象徴だという考えが出てきます。王朝がないと民もいません。そこには野蛮人がいるだけです。

 そこで王様が出てきて「俺に従え!」と言って、民を束ねるのです。それで民は団結ができるのです。これは強いのです。人間がバラバラにいるだけならば、何もできません。「橋を造ろう」と言ってもまとまりません。「川の流れを変えよう」と言っても「嫌だよ」という連中がいると、まとまらないのです。だから、民が大勢集まっても何もできないのです。それを烏合の衆といいます。

 そこに王様が出てきて、「みんな、俺の言うことを聞け。ここに国を造るのだ」と言うと、民は「はい」ということを聞くのです。出てきた王は頭がよくて、強いのです。だから「みんな俺の言うことを聞け」と王様が言うと民は従うのです。

 弱い奴が出てきて、「みんな俺の言うことを聞け!」と言っても、誰も言うことは聞きません。王様は、優れているのです。

 王様は民をまとめて国を造ります。強い者が王様になるのです。王様が出来たら、王様の言うことを聞かないと国は成り立ちません。それで王朝が誕生するのです。すると、王様が「あそこに城を造れ!」と言うと、出来てしまうのです。「お城を造れ」というのは、権力です。

 王様が「川を造れ」と言うと、どんな川でも出来てしまうのです。「人造の池を造れ」と言うと、人造の池も出来てしまうのです。王様は何でも出来てしまうのです。そのようなことに気が付かなければいけません。

 烏合の衆が集まっても何もできません。100万人いれば、100万人の混乱が起きます。1万人いれば、1万人の違う意見を持っていますから、意見と意見がぶつかり、何もできません。

 「橋を造れ」と言うと、「そんなものはいらないのではないか?」と言われてしまいます。何もかもたちぎれになってしまいます。物を造っていくのを王朝というのです。王朝の最高権力者のことを王様というのです。

 最初の王朝は、民衆と一体です。だから、お互いに上手くいくのです。「王様の気持ちもわかるよ、王様に従わなければいけないな」と民衆は思うのです。ところが、王様は図に乗ってくるのです。

 「俺だけが偉いのだ。俺の命令を聞いて働いている奴はゴミなのだ」と王様は言いだすのです。王様と民では、天地雲泥の身分差があるのです。「王様に非ざれば、人に非ず」と思ってしまうのです。

 フランス国王ルイ16世の王妃マリー・アントワネットは、フランス革命で処刑されたのです。マリー・アントワネットは、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったのです。マリー・アントワネットは、国民が飢えているのに贅沢三昧です。

 「民は自分のために奉仕しろ」という構図です。本当は、王様は民に奉仕をして、民も王様のために奉仕をするのです。「橋を造りましょう」「川を造りましょう」と、王様のために団結して様々な物を造るから、国が富み豊かになって、お互いによくなっていくのです。

 それが始めです。それがだんだん変わってくるのです。「民は俺の奴隷だ。民は俺の言うことを聞くのが当たり前だ。俺の言うことは何でも聞け!」ということになるのです。これが北朝鮮です。

 庶民には食べる米もなく、靴もなく泥だらけになって裸足で歩いているのです。餓死者が何人も出ているのに、金正恩は毎日、高級ウイスキーを浴びるほど飲んでいるのです。その他、ワインは1日10本飲むのです。

 贅沢な宮殿に居て、豪華客船も持っているのです。自家用飛行機も持っています。王様は豊かです。何でも食べ物があり、高級な酒があり、年間何億円も使っているのです。やりたい放題です。

 庶民は何もありません。靴もありません。北朝鮮の兵隊は運動靴を履いているのです。靴を自分でつくって履いているのです。食べ物もないから、民は餓死するのです。

 民と王様はかけ離れているのです。すると、「あの王様はおかしいのではないか? あいつさえぶっ殺せば、庶民は豊かになる」と考える人間が出てくるのです。これを革命家といいます。

最初は、民衆も革命家の味方です。「あの王様を倒して食べ物をみんなでわけようではないか。あいつばかり一人で何十億円も使っているのか? それをみんなでわけよう」と言うのです。

 フランスの国王妃であるマリー・アントワネットは「民は私のためにいるのよ」と思ってしまったのです。民は怒って「マリー・アントワネットを殺せ!」となったのです。フランス国民は、革命を起こして、王様の一族を捕まえて、ギロチンにかけてしまったのです。民衆はヴェルサイユ宮殿を占領して、国民のための新しい政府が革命家によってつくられていくのです。

 この構図は変わりません。多少は名前が変わって、「王様」というのか、「皇帝」というのか、そんなことはどうでもよいのです。基本的な構造はこのようなことです。我等の魔子ちゃんも、マリー・アントワネットになってしまったのではありませんか?

 魔子ちゃんは、「国民が私に謝りなさいよ。私と圭ちゃんは何も謝ることはないわよ。国民が私達に謝りなさいよ!」と言ったのです。まさにこれはマリー・アントワネットと同じです。国民からかけ離れているのです。

 魔子ちゃんは、「国民が私に奉仕しなさい。私は圭ちゃんが大好きなのだから、国民は私たちを祝福するのが当たり前です。それができないのは、国民がだらしがないからだ。国民が腐敗している」と考えるのです。

 実は、国民が腐敗しているということは、王様も腐敗しているのです。国民だけが腐敗しているなど、あり得ません。王様が腐敗するということは、王様と国民は同じものだから、国民も腐敗するのです。国民が腐敗するということは、王様も腐敗するのです。今回の魔子問題は、そのことをよく表しているのです。

 天皇家というものと国民は一体です。日本国民は、即天皇家です。「日本人はどのような民族なのか?」ということは、皇族を見ればわかります。皇族を見ると、日本国民がわかるのです。

 今、我等が持っている価値観で、清潔、正直、勤勉、努力という美徳があります。「日本人は清潔で、潔いな」と言われるのは、それは皇族の立ち振る舞いだと言ってよいのです。天皇陛下には、私利私欲などありません。天皇陛下の持っている資質が、日本国民の持っている資質です。天皇と国民の資質がずれているということはあり得ません。

ところが、西洋の王様はその国で育った王様ではありません。イギリスの初代の王様は、ドイツ生まれのジョージ1世です。イギリスの初代のキングはドイツ人です。ということは、王様とイギリスの国民は民族も風俗も違います。ドイツ人の王朝がイギリスに出来たのです。国民はイギリス人です。

「王朝を見たらイギリス人の気質がわかる」とは言えません。民族が違うのです。本来は、王室と国民は一体にものなのです。それがだんだんずれてきて、王様と国民は一体のものではなくなってしまうのです。そうなると、革命が起きて、その王朝は倒されるのです。ということは、魔子ちゃんが今のままの行動をとっているならば、天皇家という皇統は倒されてしまうのです。

 魔子ちゃんは国民のことを考えていません。「私たちが正しいのよ。国民が謝りなさい!」と言っているのです。国民から見ると、魔子ちゃんは国民の感覚と乖離しているのです。

給料の件もそうです。秋篠宮は、1億5千万円もらっているのです。そんな国民はいません。それが当然になってしまうのです。それが国民ともっと乖離していくと、「皇女の給料をもっと頂戴よ!」となってしまうのです。

「1億5千万円? これでは少ない」と言うようになるのです。とんでもない考え方です。それだけ国民と乖離してしまったのです。魔子ちゃんは国民の心がわからないし、国民も魔子ちゃんの心はわかりません。自分たちと考えが違うのです。

イギリスでは、ドイツ人の王様が統治したのですから、イギリス人とは乖離しているのです。上はドイツ語を話しているのです。国民は英語を話しているのです。これはおかしいのです。最初から王様と国民は一体ではありません。

これを征服王朝というのです。国民を征服して、力で抑えて「お前ら、俺の言うことを聞け。言うことを聞かない奴は死刑だ!」ということになるのです。これは、王様と国民が一体ではありません。最初から言葉が違います。イギリスは征服王朝です。

征服王朝に似ているのが、植民地です。植民地とは一体、何でしょうか? 「俺たちは政治を行う。しかし、お前達のためには何もやらないぞ。お前達は奴隷なのだから、我々に忠誠を尽くせ」というのが植民地の基本的な考え方です。

植民地の人間は字を覚える必要もありません。ただ黙って働けばよいのです、選挙などいく必要もありません。植民地の人間が選挙に行くと、主人が「お前が選挙に行ってきたのか?」と聞きます。奴隷「はい、行ってきました」、主人「そうか、その手を出しなさい。この手が字を書いたのだろう?」と言って、鉈で手をぶった切るのです。

主人「もうこれで選挙にはいけないな。植民地の人間は選挙などいってはいけないのだ。ただ黙って働けばよいのだ」と言うのです。植民地の人間は字を書く必要もありません。家畜と同じで、言われた通り働けばよいのです。これが植民地政策です。(②に続く)

 

■小室圭さん「眞子より諭吉が好き」に、紀子さま「類友ですね」の“衝撃” 似たもの同士が生み出す悲劇

 

●眞子さまにお金を持ってこさせる圭さん

小室母子の常識が、いかに世間一般の常識とかけ離れているか、それは圭さんの母・佳代さんの「ふるまい」を見れば明らかだろう。夫が自殺して後、半年もたたないうちに他の男と同棲を始めたり、愛人に多額の金品を借りながらそれを返さないなどなど枚挙にいとまがない。「誠実に対応する」と国民に宣言しておきながら、金銭トラブルを一向に解決しようとせず、贈与税脱税の時効になるまで引き延ばそうとしている様は「非常識」としか言いようだない。

特に国民が嫌悪しているのは、小室母子のお金への執着だ。元婚約者に借りた400万円という金額だけではなく、送ったメールの中に「ヘルプお願いします」など生々しい言葉があったことも、国民感情的に受け付けないものがある。小室母子は「お金」のことしか考えていない、としか思えない情報だ。かつて小室圭さんと同じ職場だったN氏も次のように思い出を語ってくれた。

「職場の飲み会で、みんなで居酒屋に行ったことがあります。結構、高めの居酒屋だったので、会計が一人当たり1万円を超えました。飲み会も終盤に差し掛かったころ、小室圭さんが『手持ちの金がない』と言い出しました。幹事は『立て替えておくよ。もし気になるなら近くのコンビニのATMでお金を降ろしてきていいよ』と言いました。すると、圭さんは『大丈夫、ちょっと待ってもらえる?』といって携帯電話で誰かと通話をはじめました。

その30分後、居酒屋に現れたのは眞子さまです。みんな仰天しました。眞子さまは到着されるや鞄から封筒を取り出し、圭さんに渡しました。圭さんは封筒を開け、中から現金を取り出し『ありがとな!』と一言。眞子さまは幸せそうな顔をしておいででしたが、これではまるで小室圭さんのATMです。本当に仰天しました」(小室圭さんの元同期)

https://imperialism.site/archives/24218

 

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