国民1人あたり一律10万円を給付する特別定額給付金 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

※安倍政権は、国民一人当たり10万円を早く配りなさい!

 

 政府は国民一人あたり10万円をくれるらしいのです。早くもらいたいものです。みんな首を長くして10万円を待っています。「明日の家賃が払えない」「従業員の給料が払えない」などという人が何百万人といます。

 この人たちにとっては、家族5人で50万円もらえれば有難いことです。喉から手が出るほど、このお金は有難いことに決まっています。

 ところが1回10万円もらっても、収まるわけがありません。どうするのでしょうか? 第二回目の給付金があるのではないでしょうか? 年3回くらい10万円がもらえるのです。すると、生活困窮者はなんとかなるのではないでしょうか?

 生活保護を受けている人も10万円もらえるらしいのです。生活保護者については、有難いお金です。夫婦二人で20万円もらえるのですから大きいのです。それのみならず寝たきりの重病人や外国人(朝鮮人)までも10万円もらえるのです。

 本当のところは、公明党が外国人(朝鮮人)から突き上げられて、安倍さんに言ったのです。これが問題です。公明党は国民のことを考えて「10万円配ろう」というのではありません。「外国人のためにお金を配ろう」というから問題になるのです。

 まあ、これを3回でも4回でもやってくれればこの問題は片付きます。これを見ていて僕が思うことは、これは現代の徳政令です。

 江戸時代に借金が多くなり二進も三進もいかなくなると、徳政令を出して「借金を払わなくてよい!」ということをやったのです。いわゆる、借金の棒引きです。全ての借金をパーにしてしまうシステムが、徳政令です。

 徳政令(とくせいれい)とは、日本の中世、鎌倉時代から室町時代にかけて、朝廷・幕府などが土倉(金融業者)などの債権者・金融業者に対して、債権放棄(債務免除)を命じた法令である。

 これは資本主義社会では、当然のことです。江戸時代はどちらかというと、資本主義です。資本主義は富が偏ってしまうのです。儲かる人はどんどんお金を儲けていくのです。

 儲けられない人は日雇いになって、日雇いのお金も全て取られて、裸同然になってしまうのです。最後は博打(競輪・競馬・パチンコ)に手を出して、多額の借金をつくってしまうのです。

 それは当然のことです。富を持つ者はどんどん富を集めてしまうのです。お金がない人はどんどんお金がなくなってしまうのです。博打打ちは、ドブさらいで底辺のお金をさらっていくから、庶民は二進も三進もいかなくなってしまうのです。

 すると徳政令を出して「借金を払わなくてよろしい」とやると、一発で借金は片付いてしまうのです。これと似たことが過去にあって、金と交換しないお札があったのです。それが藩札です。これを出した藩もたくさんあったのです。

 藩札は、紙を刷ればお札になってしまうのです。金の裏付けはいりませんから、藩札の発行額がどんどん増えてしまったのです。すると藩に藩札が蔓延してしまうのです。藩札は藩の中でしか使えません。

 藩札が山積みになってしまい、藩札の価値がどんどん下がってしまったのです。刷れば刷るほどお金の価値が下がるのです。藩が持っている富は一定です。それに対してお金を沢山刷るのです。一枚しか刷らなければ、一枚に富が集中します。

 ところが藩札をどんどん刷って、お金を増やしていくので、お金の価値がどんどん薄くなってしまうのです。100円の藩札を印刷しても、1円以下の価値になってしまうのです。藩札が市中にあふれて経済が滞ってしまい、どうしようもなくなってしまうのです。

 要するに、ハイパーインフレになってしまったのです。「藩札を刷りしぎました。どうしたらよいでしょうか?」と相談に行くと知恵者がいて「藩札を河原に集めて燃やしてしまえ!」と言ったのです。

「藩札を持っている人は、何月何日に河原に集まってください。特別に交換します」と言うのです。すると庶民が藩札を持って河原に集まってきます。「はい、こちらに積んでください」と言われて藩札を積んでいくのです。いきなり油をかけて、火をつけてボーと燃してしまったのです。それで、「はい、終わりました」と言うのです。

庶民が「冗談ではありませんよ。金と交換してくれるのではなかったのか?」と言うと、「そんなことは一言も言っていませんよ。しかるべき価値をお札に与えると言ったのですから、燃してあげました。もう藩札はありません」と言うと藩札がなくなって、下に戻ってしまうのです。

 これが資本主義社会の偏った富の解消の仕方です。今でもアメリカが、投資ファンドでやっているように「お金がなくなりました」とやってしまえばよいのです。従って、株式は一切通用しません。もうデフォルトです。「価値あるものは金塊だけです」と言ってしまえばよいのです。金塊だけは価値があります。

今のだぶついたお金は、観念です。そのような経済は一瞬で消えてしまうのです。また最初に戻って、「さあ、やりましょう。貧乏人もお金持ちもありません。みんな頑張っていきましょう!」という社会になるのです。

 それを定期的にやらなければいけないのが資本主義社会です。グローバル経済もそうですが、そのような考え方があるのです。「ご破算に願いましては」というやつです。

 「ご破算に願いましては」と言えば、パンとゼロに戻ってしまうのです。ゼロにして、また一生懸命働くのです。徳政令が、またやってくるのです。今、考えてみると全ての産業がダメになっています。

 芸能界もダメです。観客を集めて歌って踊ってお金を取るなどということはできません。集客したら大変です。コロナウイルスの感染が広まってしまいます。芸能界は、ファンを集めて芸を披露するなどできません。

 いろんな評論家がいます。評論家の主な収入源は講演料です。地方で公演すると有名な先生ならば、200万円くらいくれるのです。3千名くらい集めて、公会堂を満員にすれば、200万円くらいくれるのです。

 ランクが決まっているのです。「この人はテレビに出ているから200万円」とか決まっているのです。テレビに出る回数でも決まっているから、最低でも50万円はもらえるのでしょう。

 1回1時間の講演会をやると、50万円以上はもらえるのですから、評論家の大切な収入源です。それが、コロナウイルスのせいで講演会がなくなり、ドル箱が全てなくなってしまったのです。(②に続く)

  

■藩札(はんさつ)

藩札は、江戸時代に各が独自に領内に発行した紙幣である。以下では、狭義の「各藩が発行した藩札(大名札)」を中心に述べるが、実際上は、旗本が発行した旗本札、寺社が発行した寺社札、宮家が発行した宮家札、地域で発行した町村札、私人が発行した私人札なども、広義の藩札として取り扱われることも多い。

 

藩札発行の目的は、自領内の貨幣不足を補い、通貨量の調整機能を担わせることであった。それには十分な正貨準備が不可欠であったが、実際には、藩札発行で得られる実通貨の納庫を目論み、これによって藩の財政難の解消を試みる場合がしばしばあった。藩札の流通は、藩が独自の流通規則を定め、藩札以外の貨幣の流通を禁じた藩もあったが、藩札と幕府貨幣の両方の流通を認めた藩も多かった。

 

お読みいただきありがとうございます。
よろしかったらクリックしてください。

応援よろしくお願いします!

 

    ↓↓↓


人気ブログランキングへ

 

『中杉 弘のブログ』2006年より、好評連載中です!

     ↓↓↓ 

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137