三島由紀夫と全共闘 | 中杉 弘の徒然日記

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細かいことはどうでもよいのです。結論は、こうです。三島は「日本は天皇がつくった国である。天皇の文化が花咲いた国が日本なのだ」という立場です。「天皇が悪い。ぶっ殺せ!」とは、まるっきり違う立場です。その立場を表したのですが、全共闘は三島由紀夫に反論できなかったのです。

 

 三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実という映画が上映されています。大変な人気で新聞でも宣伝しています。

 三島由紀夫という人は、偉大な人です。ずいぶん、いろんな人を感化しています。まず、全共闘の委員長だった故・西部邁です。西部邁は、バリバリの左翼だったのですが、三島由紀夫が影響を与えたのです。西部邁は、右になってしまったのです。

 石原慎太郎も左のリベラリストだったのですが、三島由紀夫に感化されたのです。石原慎太郎は一橋大学の時に社会心理学の南博ゼミに所属したのです。バリバリの左翼だったのです。

 三島由紀夫は知らない間に、相当の人間を感化していたのです。これが目的だったのです。三島由紀夫は何の感化をしたかったのかというと、政治目的ではありません。

 「政治は、こうすればよい」とか、「何をやっているのだ。政治が悪い!」ということをやりたかったのではありません。三島由紀夫はあくまでも文学者であって、一人の人間として文学を探求していく中で、筋が通らないことを嫌ったのです。簡単に言うと、そのようなことなのです。

 「全共闘の諸君たちは筋が通っているのか?」というと、全然筋が通っていません。西部は、「安保反対!」と言いながら、安保の中味を読んでいません。「安保改正」を読んだこともない奴らが、「安保反対!」と、ワッセ・ワッセと何十万人もそろって、東大を取り囲んで火をつけたり、石を投げたのです。ひどいものです。

 全共闘は破壊だけだったのです。共産主義者や社会党員は、まず破壊を説くのです。破壊を説くためには、人々を欲望の渦に陥れなければいけません。「お前は給料をいくらもらっているのだ?」というのが、一番わかりやすいのです。

 労働者が「これだけ給料をもらっています」というと、「お前、そんな安月給でいいのか? 本当はもっと働いているだろう」と言うのです。すると、労働者の不満がわいてくるのです。

 共産主義者は、「お前の給料は、本当は3倍もらっていなければいけないのだ」というのです。労働者「ええ? そうだったの」と言うと、共産主義者は「その3倍の給料は誰が取っているのだ? それは、資本家が取っているのだ。資本家の豚が自分の懐に入れているのだ。みんな怒れ。もっともっと怒るのだ!」と言うのです。

 単純明快に言うと、このような理論です。「今の社会は資本家の搾取構造によって成り立っているのだから、まず社会を壊さなければいけないのだ」と言うのです。その社会を壊すことを共産主義運動というのです。

 すると、若者にこの話はスポンと入ってしまうのです。「若者の給料は低いだろう」と聞けば、「僕は十分もらっているよ」などという人はいません。「給料が少ないのだよ。誰がその上澄みを取っているのだ? お前は搾取されているのだ。あいつが悪いのだ!」と言うのです。

 昔いた、T君の手法と同じです。あいつも左翼です。T「この経営者はたっぷりと儲けてお金を隠しているのだよ」、労働者「本当ですか?」、T「そうなんだよ、あいつが悪い!」と言うのです。これなのです。

 「あいつが悪い!」と名指しするのが共産主義者のやり方です。「あいつが悪い!」で、全て押し通すのです。資本主義社会の理論でやっていくと、必ずそのようになるのです。共産主義思想にかぶれた連中は、「マルクスレーニン主義こそ正しいのだ!」というのです。

 共産主義者は「日本の歴史をどのように見るのか?」というと、それも同じです。左翼から見ると日本史は搾取の歴史です。「朕はたらふく米を食っているぞ。お前らは麦を食え」と共産主義者が言っているのです。天皇はそんなことを言っていません。

 「天皇は何も労働しなくて、集めるだけ集めて、搾取しているのだ。大名も搾取だろう。その搾取を正当化するために、武士をつくって、「百姓ども黙れ!」と脅かしているのだ。百姓には「ご領主様」と言わせて、不満を言わせないようにしているのだ。そのような歴史が日本の歴史だ。日本の歴史は全て悪い!」と共産主義者は言うのです。

 これは猛烈に効くのです。全否定というのは、頭の弱い人には一番効くのです。「一部は良いけれども、一部はダメだ」というのでは話がつきません。「日本の歴史は全て悪い! 搾取の歴史である。天皇が搾取の中心だ!」と言えば、ドン・ドン・ドンと三拍子で頭に入ってしまうのです。

 そのような演説のことをアジテーターと言います。「アジる」というのです。「若者はこれでよいのか? このような社会はよくないのだ! みんなが分け前をわけあたられる共産主義社会こそが全てなのだ!」というのを進歩的社会主義というのです。ヨーロッパにしても、ロシアにしても、そのような歴史があったのです。ツアーという皇帝を倒して、プロレタリアート独裁の社会ができたのです。

 「それが社会というものの、科学的な分析の方法である」というのです。そこでこのような理論を出してくるのです。社会は理論的に資本主義の社会ではなくなったのです。その前は封建社会です。封建領主がいなくなり、商人達がのさばってきたのです。

 今度は労働者が資本家を打ち倒して、プロレタリアート独裁です。労働者が団結して労働者の社会を造るのです。誰にも搾取をされない社会を造るのです。「それこそが真実なのだ」とやるのです。

 すると若者はしびれて「そうだ、あいつが悪い!」となるのです。そうなのです。これなのです。共産主義は「あいつが悪い!」と始まるのです。毛沢東のやった文化大革命も同じです。

 「あいつが悪い!」と言うのです。これをやらないとダメなのです。「あいつが悪いのだ! 若者は立ちあがろう。この街の中で誰か悪い奴がいるのだ。あいつが悪い!」となるのです。

 「あいつを庭に引きずり出せ!」となるのです。それで校庭に引きずり出されて、三角の帽子をかぶせられて、胸に「私はこんな悪いことをしました」と書かせて連れていくのです。

 「こいつが悪い! 我々が苦しいのも、幸せになれないのも、こいつが悪い!」というのです。みんなそうです。それが資本家であり、教師であり、村長であり、その連中が労働者を縛ってきたのだと言うのです。

 次に「こいつをつるし上げろ。ぶっ殺せ!」となるのです。「そうだ、そうだ。こいつが悪い。こいつの肉を食らえ!」とやるのです。そこまで資本家を追い込んでしまうのです。

 「そうだ、ぶっ殺すぞ」と始まって、肉を食らうのです。中国では、一番憎い奴の肉を食らうのです。すると、そいつは霊魂にもなれないで苦しむと思っているのです。「あいつのはらわたを裂いて、肉を食ってしまおう!」と、労働者が集まって、憎い資本家の肉を食ってしまうのです。

 人肉文化は毛沢東の時代も花が咲いたのです。そのような流れがあるのです。「中国を見ろ。立派な革命をやったではないか。ロシアを見ろ。立派な革命をやったではないか。我々に続け! 日本の歴史は最悪だ。天皇をぶっ殺せ」となるのです。

 共産主義は、全てこのような話です。三島由紀夫は、共産主義が大嫌いです。「天皇をぶっ殺せだと? テメーをぶっ殺してやるぞ!」と思ったのです。だから、三島由紀夫は、暴力を否定しなかったのです。

 「お前らが暴力を使ってくるのだから、私もお前を殺す権利があるのだ」というのが、三島由紀夫と全共闘の論争です。堂々と講堂で論争したのです。全共闘の連中は「三島由紀夫は、来ないであろう」と思っていたのです。

 全共闘の連中は500名以上いたのです。「三島由紀夫を引き摺り下ろせ!」ということをやられたら、たまったものではありません。三島由紀夫は「どこでも行ってやるよ」と言って、一人で来たのです。

 三島由紀夫は、おなかに短刀を入れていたのです。「辱めを受けた場合は、腹を斬る」という覚悟で出かけたのです。それが三島由紀夫と全共闘との対話です。

 細かいことはどうでもよいのです。結論は、こうです。三島は「日本は天皇がつくった国である。天皇の文化が花咲いた国が日本なのだ」という立場です。「天皇が悪い。ぶっ殺せ!」とは、まるっきり違う立場です。その立場を表したのですが、全共闘は三島由紀夫に反論できなかったのです。

 三島由紀夫が「諸君達は伝統というものを、どのように考えるのだ?」と聞くと、「伝統がなんだよ!」というだけで答えられなかったので、三島由紀夫の大勝利に終わったのです。基本的にはこのような話です。

 

 

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