文明の衝突 ② | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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戦争をやって負けた連中はみんな食われてしまうのです。「お前らピラミッドなど造って気持ちの悪い奴らだ。こっちへ来い!」と言われてぶち殺されてしまうのです。殺されたインカ帝国の連中も他部族の村を襲って同じことをやってきたのです。他部族の王の心臓をえぐって神へのお供え物にしたのです。

 

 イラン人は「マホメットの教えに従うのがイラン人の文明であり、それ以外に文明はないのだ」と思っているのです。イスラム教では、「姦淫した女は穴に埋めて顔だけ出して石を投げて殺せ」と書いてあるのです。今でもその通り殺すのです。

 サウジアラビアもそうらしいのです。男と姦淫した女は穴を掘って顔だけ出して埋めるのです。「姦淫した女に石を投げつけて殺せ」というのですから、これがイスラム教徒の真実です。そうすることが正しいのです。

 イスラム教徒は、4人まで妻を持ってよいのです。これが正しいのです。何故、妻は一人出なければいけないのでしょうか? 4人まで妻を得られるし、それは正当な妻なのです。これがイスラム教徒の歴史です。

 デビ夫人はインドネシアのスカルノ大統領の第三夫人です。スカルノ大統領は、第四婦人までいたのです。イスラム教徒にとっては、それが当たり前です。もちろん、豚は食べません。「豚は汚い生き物だから絶対に豚は食べない」と思っているのです。イスラム教徒は、そのような文明です。

 西洋人は他民族にもデモクラシーを理解させようと思いますが、イスラム教徒はそうは思いません。「デモクラシー? 何のこっちゃい。我々はイスラム教により生活しているのだ。古来から今も変わらない」と思っているのです。

 そこにまたもう一つの文明が出てきたのです。それが共産文明の中国共産党です。彼らはよく見てみると、古来から中国人がやってきた、やり方そのものです。そこに土地があれば「あれは俺のものだ」というのです。

 「この土地は渡さない。奪いに来る奴がいたら戦争だ」というのです。それで女も盗ってしまうのです。子供は奴隷として売り飛ばして、男は皆殺しです。それが文明です。中国人は古来から、そのようにしてきたのです。

 中国人は、「食べるものがなくなれば、人肉を食えばよいのだ。人肉が一番美味い。最大のご馳走だ。戦争になったら、たらふく人肉が食べられるぞ!」そのように考えているのです。それが昔からやってきた中国人のやり方です。だから、「それでいいのだ」と思っているのです。

 中国人にとって人肉も肉に違いはありません。皮を向けばみんな赤身の肉です。豚の肉を見ても、牛の肉を見ても、人間の肉を見ても何も変わりません。「人間の肉は食べてはいけないとどこに書いてあるのだ? 誰が言っているのだ? 誰も言っていない、人肉は美味いとみんなが言っている。だから、食い物がなくなれば人間を最初に食ってしまえばよいのだ」と思っているのです。これは文明です。

 その中国が一帯一路で中東に出てこようとしているのです。イスラム教徒のウイグル人を殺して臓器売買をしているのです。ウイグル人は8千万人もいます。「こいつらは異端だから殺してしまえ。目も青いし、中国人にはならない。これは生きている価値がないのだ」と思っているのです。

 そのような目でみると、中東のゴタゴタも文明の衝突なのです。イスラム文明と、アメリカのキリスト文明の衝突です。これは避けられないのです。

 アメリカにいかなかったヨーロッパ人はキリスト教です。中国共産党は、共産主義の人肉食いの文化です。それが集大成で争っている時代です。「どちらが勝つのか?」ということは、数ではなくて「どちらの信仰が勝つか?」ということです。

 キリスト教国が勝てば、世界はキリスト教国になってしまいます。イスラム教徒が勝てば世界はイスラム教国になってしまいます。共産党が勝てば、人間は共産党の奴隷です。文明は衝突するのです。

 だからこそ、文明についてよく知っておかなければいけません。「日本の文明の流れは一体何か?」というと、日本は東洋文明ではありません。日本は神道を中心にした素晴らし神の国が日本の国です。

 「恐ろしい神様の掟」などというものは、日本にはありません。ここが違うのです。宗教では、違反した者は罰せられます。日本の神々は悪いことをしない限りは罰しません。何をやっても自由なのです。

 伊勢神宮の神様は何でも召し上がります。お酒も召し上がります。アワビや伊勢エビ、魚も召し上がります。それからお米も召し上がります。鶏肉も召し上がります。ということは、「豚を食べてはいけない」など、タブーは日本にはないのです。日本は自由の国なのです。

 「これをしてはいけない」というタブーはありません。「これをやらなければいけない」ということもありません。タブーとは、「これを食べてはいけない」ということです。それから「これをやらなければいけない」というのは戒律です。

 宗教というものは、タブーと戒律で人間の自由を奪い取るのです。人間は本来豚を食べてもよいのです。「豚を食うな。豚を食ったらイスラム教徒ではないぞ」と言うのですから、本当はタブーは何の意味もありません。

 それが習慣になってしまうのです。「イスラム教徒ならば、15回、アラーの神様に向かって礼拝しろ」と言うのです。それを信者にやらせていくのです。するとイスラム教徒の掟になってしまうのです。

 ユダヤ教徒はキンタ○を割礼します。「お前のキンタ○を見せてみろ。割礼していないではないか。では、お前はニセユダヤ教徒だな」と言われてしまいます。割礼していないとユダヤ人の男性として認められません。だから、子供の時に割礼をやるのです。

 生後2ヶ月くらいでキンタ○をちょん切ってしまうのです。皮がかぶったままだと、男は子供ができないので、キンタ○の先をちょん切ってしまうのです。すると血が出て泣きわめきますが、だいたい10日くらいで痛みは治まってしまうのです。

 するとキンタ○の先がないから、むき出しになるのです。だから、性交しやすいので子供ができやすいのです。日本にも割礼の風習があり、真鶴半島の一帯は割礼の風習があったのです。ユダヤ人の子孫です。必ず割礼をしたのです。

 そのように文明というものは、必ず他文明を排斥します。人の文明をよいとは思わないのです。他文明は排斥するのです。だから破れた文明は残っていません。古代マヤのインカ帝国の子孫はどこにいるのでしょうか? 人口は1億人くらいいたのです。どこへ行ってしまったのでしょうか?

 エジプトのピラミッドを造った民族はどこへ行ってしまったのでしょうか? もういないのです。どういうわけだか、みんないなくなってしまうのです。文明をおいて人間だけがいなくなってしまうから建造物に草が生えて廃墟になってしまうのです。

 南米の森の中には何万というピラミッドがあるのです。地下に潜っていてまだ発見されていないピラミッドも何万とあるのです。そんなにピラミッドが沢山あったならば、「インカ帝国の人口は100万人くらいいた」という説もあるのです。その人たちはどこへ行ってしまったのでしょうか?

 不思議でしょう。文明ができて、文明を捨ててどこかに行ってしまうのです。本当はそうではありません。事実は、他文明の連中に食われたのです。戦争をやって負けた連中はみんな食われてしまうのです。

 「お前らピラミッドなど造って気持ちの悪い奴らだ。こっちへ来い!」と言われてぶち殺されてしまうのです。殺されたインカ帝国の連中も他部族の村を襲って同じことをやってきたのです。他部族の王の心臓をえぐって神へのお供え物にしたのです。

 階段ピラミッドがあります。儀式を終えると生け贄の心臓をえぐり出し、死体が階段からゴロゴロと落ちてきたのです。そのための階段です。上の祭壇で心臓を盗られて、その後の死体は階段から転げ落ちるのです。死体が転がって落ちて地上につくための階段です。その後はその死体をみんなで食ってしまうのです。

 だから、ほとんどの文明は人間に食われることによってなくなってきたのだなとわかるのです。山葡萄原人の文明もそれなりにあったのです。あんな野蛮な考え方はとてもホモ・サピエンスに通じるものではありません。だから滅ぼされてしまうのです。

 「お前達はいらない。歩調が違う」と言われて滅ぼされてしまうのです。必ずそうなるのです。ウソばかりついていたら、現代人には通りません。法律を後からつくり、「100年前の人間を裁くから、この法律を通そう」など、そんなわけのわからない山葡萄原人の考え方は現代文明では通りません。だから、山葡萄原人の子孫である朝鮮人は一時代前の原人なのだとわかります。一時代前の文明だから最後は皆殺しになって消えてしまうのです。それが文明の衝突です。

 今、世界におきていることは文明の衝突です。大きな波と波がお互いにぶつかり合っているのです。ぶつかった者同士がお互いに消えてしまう場合もあります。それを日本人は鳥瞰して、巻き込まれないようにしながら進んでいかなければいけません。そのように考えていかなければいけません。

 

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