朝鮮問題の本質について ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

※右ーシナ皇帝の使者を迎えた迎恩門(げいおんもん)

  左ー三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)9回頭を地面につける礼

 

 僕のコメント欄に「中杉チャンネルをやったら如何ですか?」というコメントがありましたので、やることにします! 僕は顔出しない理由があって、人に見せる顔ではないし、「恥ずかしい」という気持ちが常にあったのです。

 写真でさえ恥ずかしいのに、「動画など出られないな」と思っていたのですが、朝堂院大覚先生のおかげで動画に出てしまったので、これからは出ます! そのうち「中杉チャンネル」を始めたいと思っています。文章では限界があります。細かいところは動画の方が伝わると思います。つたない顔を出しますのでよろしくお願いいたします。

 僕は様々な研究をやっていますが、朝鮮人問題だけではありません。これをわかってもらいたいと思います。正理(しょうり)を探求しているうちにここにきたのです。最初から「朝鮮人が憎い」ということではありません。

 僕は日蓮大聖人様をご尊敬申し上げています。日蓮大聖人様の御書の中に「予が弟子等は我が如く正理(しょうり)を修行し給え」(十八円満抄)というお言葉があります。正理を修行することが仏道修行です。

 日蓮大聖人様は仏教をとことん探求されて、仏教の究極の姿は南無妙法蓮華経だと教ええられたのですから正理です。五重の相対など比較対象する基準を定められて、今でいうところの比較思想論です。

 その結果、南無妙法蓮華経が導き出されたのです。それを国に当てはめると「我が国はどのような国なのか?」という見方が僕の見方です。「何が正しいのか?」これを幕末の志士達はいつも考えていたのです。

 自分たちの上には将軍がいます。「将軍こそが絶対の権力だ」と考えていたのです。将軍の下に大名がいます。武士は大名の家来です。武士にとって将軍は、2段飛んで上にいるのです。その中で水戸学が生まれてきました。水戸黄門と言われる水戸光圀が『大日本史』を編纂しました。

 頼山陽は「我が国は何が正しいのか?」と研究されたのです。大きくわけてこの2つです。特に幕末の志士が影響を受けたのは、頼山陽の『日本外史』です。これは将軍と天皇の関係が詳しく書いてあります。

 「我が国の主人は将軍ではなく、天皇だ」ということが明確になったのです。幕末の志士は頼山陽の『日本外史』を短くまとめた冊子を懐に常に持って、全国を飛び回っていたのです。

 その本の中には「主人は将軍ではない。我らの主人は天皇だ」と書いてあるのです。これはどうしても勢いが出てくるのです。そこから討幕運動が起きてきたのです。頼山陽の業績は物凄く大きいのです。

 土佐の山之内容堂に講義していた土佐藩の吉田東洋という学者は、土佐勤王党の武士に襲われて斬られてしまいます。その斬られた日は殿様に頼山陽の『日本外史』の講義をしていたのです。講義が終わった後、御馳走が出て、お酒を召し上がり帰る途中で斬られたのです。

 武士たちに「日本国の主人は天皇だ」ということがわかってきたのです。日本国は天皇が日本の正理(しょうり)です。何事も天皇から始まっているのです。神武天皇の建国以来、天皇には様々なことが起きてきましたが、いつも天皇が中心です。

 天皇の家来の江戸幕府は、天皇を殺して自分が主人になろうという者はいなかったのです。歴史上にはいたのですが、神罰を受けて死んでいます。そのおかげで第125代の天皇まで続き、2800年の歴史を持った日本国が続いているのです。

 天皇制ではありません。誰かがつくった制度ではありません。天皇として存在して、それを臣下が守ってきたのです。「そのような国は世界にはない」と気が付いたのです。

 世界中の国は全て易姓革命です。シナにも様々な王朝ができました。蒙古の成吉思汗、清のヌルハチ、明や唐など様々な国が興て、前の王朝の王様を殺して異民族が支配してきた歴史です。シナの王朝はつながっていません。今は中国と言っていますが、昔から「シナ」であって、中国などという国はなかったのです。

 あったのは元や明や清です。「中国」などという国はなかったのです。それを中国共産党が「中国の歴史は5千年」と言いだしたのです。ウソをつくものではありません。全て民族が違います。

 今の共産党ができる前の王朝は清王朝です。清は辮髪(ベンパツ)をしていたのです。これは満州族の女真族の風俗です。その前に支配された元帝国は蒙古人です。王朝も民族も違いますから、シナの歴史はつながっていません。

 今の中華人民共和国は、1949年に建国されたのですから、たかだか68年の歴史です。中華人民共和国は、まだ68年しか経っていません。

 我が国は2800年の長きにわたって、天皇という男子一系の血筋でつくってきた国です。これは世界に誇るべきことです。イギリスの王家も約千年です。千年でも大したものです。他の国は50~100年で潰れて次の国が出てきているのです。

 日本のお隣の朝鮮半島には王朝はなかったのです。ずっとシナの属国であり続けた歴史です。しかも、もともと朝鮮人などという民族はいなかったのです。李氏朝鮮はありましたが、それは日本の幕末まで続きます。李王家というのであって、これは独立した国ではありません。

 シナの皇帝から7番下の王です。シナの属国として朝鮮王として認められた属国です。独立国ではありません。何年か1度にシナの皇帝の使いが朝鮮に来るのです。沖縄では守礼の門といいます。明の施設が来ると1ヶ月くらいもてなします。飲めや、歌えやの大宴会です。

 朝鮮も同じです。迎恩門(げいおんもんにシナの皇帝の使者が来ると朝鮮王は9回地面に頭を下げて、使節団に忠誠を誓ったのです。朝鮮はシナの奴隷です。シナの皇帝に1年間に美女3千人を献上していたのです。男も「3千人くらい献上しろ」と言われたのです。

 朝鮮には金や作物があるわけではありません。立派なものはありません。だから「人間を献上しろ」と言われて、美女を探してシナに献上したのです。男はタマをくりぬいて宦官としてお仕えしたのです。(②に続く)

 

 

■迎恩門(げいおんもん)

 

日清戦争で日本が勝利し、1895年の下関条約で、清の冊封(さくほう)体制から李氏朝鮮は離脱した。こうして大韓帝国が成立、独立協会は迎恩門を取り壊し、1897年に独立の記念として新たに独立門を同じ場所に建てた。迎恩門に隣接して建てられていた慕華館(ぼかかん)は独立門建立時に独立館に改名された。

 崔基鎬チェ・ギホ・韓国の加耶大学校客員教授)によると、迎恩門は明代および清代に朝鮮国王が三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)によって使者を迎えた場所だという。

 

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