この世はバーチャルリアリティー | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 実存を得た者から言うと、この世はバーチャルリアリティーです。この言葉は実存を得た者からして初めて使える言葉です。バーチャルリアリティーの世界に生きている人間は絶対に実存はつかめないから、バーチャルリアリティーを「現実」としか理解していません。

 「自分という存在はバーチャルリアリティーの中の存在だ」ということも理解していません。だから、悉く「実存を得る」ということが大事です。仏教で言う「悟り」とは、この「実存を得る」ことを言うのです。

 実存を得た人に限って、次の世は実存を得た人が創っていると気が付くのです。バーチャルリアリティーの中の人間は、バーチャルリアリティーを創ることはできません。バーチャルリ世界の後ろにいて、バーチャル世界を創っている存在があります。

 バーチャル世界を創っている側になるということが、「実存を得た」ということです。これは仏教の悟りについても同じです。

 僕のことを中杉博士は日本人の意識を動かしてきたのです。 安倍首相も誰も彼も、中杉博士のことを知らずとも、中杉博士の意識のパワーに影響され、日本人の全員も、知らずに影響されているのです。 このことを直感しました。と言う人がいましたが、確かにそうなのです。戦いの角度が違います。「今の政治が云々」とか、「安倍政権が悪い」などどうでもよいことです。僕は「この日本を正してやる!」という考えでやっているのです。

 その実存は僕の中にしかないかもしれません。「このような世界を創っていくのだ」と僕は思っています。恐ろしいことですが、そうなのです。だから僕のことを「思想家だ」というのは当然のことです。

 僕は政治運動家ではないし、文筆家でもないし、政治評論家でもありません。世の中を創っていこうとしているのです。それも表面的な作成ではなく、もっと奥のほうから日本人の精神を創ろうとしているのです。

 このようなことをやってきた思想家は過去に一人もいません。やはり、この言葉に近いのは、渡部昇一先生の「歴史に虹を見る」ということです。歴史などは、どうにでも見ることができます。過ぎた過去のことを見るのですから、左翼が見れば「人民に対する抑圧の歴史」と見ます。世界史的な物の見方をすれば「人類は一つの方向へ向かっている」と言えるのです。

 過去よりも今がよくなって、今よりも未来はよくなっていくということです。未来はますますよくなっていくのです。“Day by day, in every way, I’m getting better and better.”(毎日毎日あらゆることがますますよくなっている)このような考え方で未来を見ていくのは、「歴史に虹を見る」ということです。

 「抑圧と搾取の時代だ」と見るのは馬鹿なのです。そんな歴史を見ても仕方ありません。明るい未来ができるように努力をしていくということが大事なことです。そのような意味で言うと、僕は世論作りをしようとしているのです。

 僕が言っている政治的な提言は、「日本人の心の中にとどめてもらいたい」という話です。例えば、天皇と国民の主権の問題を憲法論で論じましたが、「天皇に主権がある」と言っても現代の日本人がそのように思うとは思っていません。

 それを承知で言っているのです。「心の中に憲法を作れ」と言っているのです。心の中の憲法では天皇は主権です。実際の政治の現場でそのようなことを言っているのではありません。

 「憲法をブチ破れ!」とはそのような意味です。現実に憲法をブチ破るのではなく、心の中で「憲法を持って国滅ぶ」などという馬鹿なことがあってはならないのです。「我が心は如何なる拘束もされないぞ!」と思うことが大事です。

 何に準ずるのかというと、悠久の大義に準ずるのです。心の中に天皇を、心の中に日本の歴史を、それをきちんと植え付けていく必要があります。その始まりは神話から始まります。だから神話が大事なのです。神話のない国は滅びるのです。

 神話はおとぎ話のように見えますが、そこに民族のルーツが入っているのです。例えば、朝鮮民族の先祖は黒い山葡萄原人です。自分たちで言っているのです。彼らの先祖は黒い山葡萄原人です。「朝鮮人は他所から来た民族ではない。山葡萄原人からすべての人類が発生した」と言っているのです。山葡萄原人は、現代人種のホモ・サピエンスが出来る前の原人だったのです。そのようなことを言っているのにすぎません。そこから始まって洞窟に住んでいたのです。

朝鮮民族の神話では、洞窟に虎と熊がいたのです。虎と熊は「どうしても人間になりたい」と思ったのです。それで100日の願をかけて、虎は我慢できなかったのですが、熊は我慢して人間の女になったのです。天から降りてきた桓雄は人間の男になって熊女と関係して、檀君が生まれました。檀君が朝鮮人の先祖だと神話で言っているのです。

山葡萄原人は悪魔の洞窟門に住んでいたのです。熊女の子供の檀君は、通りがかった女はみんな犯してしまったということです。熊の子供なのですから、人間だって食ってしまいます。山葡萄原人を分析すると、よくそれを表しているのです。

 世界の歴史を見るとみんなそうなのです。蒙古は蒼き狼が先祖です。動物が先祖です。世界の民族はみんな動物が関係しています。シナは神話すらありません。日本は違います。日本の神話では先祖は神なのです。

 神様が神の国からこの地上に降りたのです。非常に尊いことです。生まれた人間は神の子孫であるから神なのです。すごい神話です。日本人はこのような神話を持っているのです。だから神国日本というのです。その国の人間は尊いはずです。先祖は神なのです。その子孫の人間も尊いのです。

 日本の神話は山葡萄原人の神話とは全然違います。このような物の見方が大事です。現実的に「日本は神の国だ」とわめきちらしても仕方ない話です。そんなことをやれというのではありません。心の中にその魂を打ち込んでおくのです。それが僕のやっていることです。

 やがてそれは潜在意識の中で花開いて国も豊かになり、戦争もなくなる世がくるのです。それが思想家の仕事です。

みんなカン違いしないでね。現実に政治的に神の国など造れなくてもよいのです。心に打ち込んでおくのです。そうすれば、だんだん世界はそのようになってくるのです。神話を持っている日本は幸せです。神話がない国は不幸なのです。立ち上がることはできません。

 

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