天皇の退位の問題について | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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いよいよ政府も天皇のご退位の問題に答えなければいけないときがきています。これは大きな問題があります。「天皇の退位を一代限りにしよう」という案と、或は「恒久的にしておこう」という案があります。

 今のところ一代限りの特別の立法だと考えている人が多いようです。そのような世論にまとまりつつあります。民進党は恒久法の案を出しています。

 もし、これが今上天皇一代限りの特別立法ならば、そんなものは意味がありません。天皇は前から僕が言っている通り、公の源です。人間には私人としての活動と公人としての活動があります。天皇の行動には、個人の活動はありません。どんな場合でも公です。私心を持っていないということです。だから天皇は尊敬されるのです。

 「私心」を持って「天皇を辞めたい」と思うのは私心です。「天皇もお疲れですから、辞められるようにしましょう」などは、おかしな話です。それは天皇が私人としての面を出したことになります。もし、そんなことを考えているならば、この法律は狂っています。

 しかも、天皇は「辞める」などと一度も言っていません。「そのようなことを考えたらどうですか?」と言っているだけです。天皇はすべて公人であるから、「辞めたい」とか、「疲れた」とか、「痛い」とか、「かゆい」とか言わないのです。

 昭和天皇は晩年病院に入院していましたが、「痛い」とか、「かゆい」とか、何も言いません。「すべて主治医にお任せします」という態度です。昭和天皇は1月7日に崩御されたのです。

 天皇の問題についてはいろいろあります。「孝明天皇すり替え論」では、「大室寅之助が天皇になった」という説もあります。真偽不明ですから、そんなことはどちらでもよい話です。いずれにしても、天皇の血がつながっていることは間違いありません。

 北朝・南朝でもよいのです。一部のウワサにあるように明治天皇が大室寅之助であるならば、どのような教育を受けたのでしょう。玉木文之進という人物がいました。これは吉田松陰の叔父さんです。玉木文之進が松下村塾を開いた人です。吉田松陰はそれを引き受けただけです。

 この玉木文之進は厳格な人です。吉田松陰は何度もぶっとばされたのです。昼間は畑仕事、夜は勉強です。勉強しているときに吉田松陰の頭に蚊が止まって、かゆいのでかいてしまったときに、「何だその態度は!」と玉木文之進にぶっとばされたのです。

 何故かというと、「お前は公のためのことを勉強している。お前の頭がかゆいのは私欲だろう。公を司る人間が私欲に負けてどうするのだ。公は公平でなければいけない。自分というものが一切入ってはならない。そのような人間になっていかなければいけない!」と怒られたのです。そのような厳格な人だったのです。

 大室寅之助は玉木文之進にしっかり教育を受けたという説もあります。明治天皇が大室寅之助だと言っているのではありません。その人はそのような教育を受けたのです。

 天皇は「私が疲れたから辞めたい」などという私心でこの問題を持ち出したのではありません。あくまで倒れるまでやってもよいのです。自分はよいのですが、病気になって御公務ができない天皇もいるだろうから、その場合、死ぬまで天皇をやるのはきついのではないですか。みなで考えてもらいたい」ということです。

 一番大きな問題は皇太子が57歳です。「せめて天皇の位を自分が元気なうちに譲りたい」という気持ちもあるのでしょう。60歳の皇太子が70歳で天皇に成ったのでは遅すぎます。今、退位したほうがよい場合もあります。「そのようなことを皆さんも考えてもらいたい」と言われたのです。

 「天皇はお疲れだから退位してもらって、後は上皇として」などという、トンチンカンな議論もあります。あくまでも天皇は公に準じておられます。天皇のお心は公のお心です。右側に喜ぶ人がいて、左に悲しむ人がいたならば、天皇は喜びません。公は右も左もすべて入っています。ある特殊な階級な人だけ儲かって、庶民は儲からないと天皇は喜びません。

 天皇には名字はありません。苗字がないということは、日本全国が一つの家だと思っているのです。その棟梁が天皇ですから、天皇は日本国民すべてのことを考えられています。昔からそうです。源・平・藤原・橘が「我が世の春」としようと思い、天皇の力を奪っていくのです。「我が世の春」とは、私心です。藤原も源氏も平家も「私心」です。平家一門、源氏一門ということです。天皇はそんなことを希望していません。源氏でも平家でもよいけれども、一つの家族として隅々まで見ていけるような天皇でなければ意味がありません。

 承久の乱では天皇が立ったのです。「北条幕府は我慢できない。北条を討つ!」と討幕に向けて挙兵したのですが、負けてしまったのです。首謀者の後鳥羽上皇は隠岐島、順徳上皇は佐渡島にそれぞれ配流された。討幕計画に反対していた土御門上皇は自ら望んで都土佐国へ島流しにされて、ひどい目に遭ったのですが、天皇は公を取り戻すことを止めません。

 小和田一門などが天皇家に取り入って、「自分たちの天皇をものにしよう」など、最も悪なのです。天皇を無視することも最も悪です。天皇を取り込んで「天皇は私たちのものよ」これも最大の悪です。

 天皇は公について鍛えられています。明治天皇もそうです。どこへ行っても座りません。戦争が始まれば明治天皇は下関にも行ったのです。全体が如何に大事かということを知っています。天皇のお心こそが公の源であり、天皇の行いこそが公です。

 臣下の者達は天皇を見て、「天皇は何がしたいのかな?」とお心を拝して行動していかなければいけません。それが本当の天皇に対する臣下の態度です。常に大衆は天皇を奪おうと思い「うしはく」の心を持っています。「うしはく」とは、泥棒です。

 天皇の権力を奪い、天皇の力を奪い、「俺のものにする」「源氏の世にする」「藤原の世にする」、これを「うしはく」というのです。天皇は「しらす」政治です。天皇は公人としての正しい行いの範を示されているのです。天皇はみんなの天皇です。誰かの天皇ではありません。

 それを示す政治を行うから天皇の政治を「しらす政治」というのです。天皇以外の人間が政治を行うことを「うしはく政治」といいます。日本は2800年間、天皇が保たれてきたから、世界最古の歴史をもった国家になったのです。

 そこで退位の問題を考えてみると、「天皇の頭が痛い」「首が痛い」「お疲れになっているからお休みになってもらおう」など、これは立派なうしはくです。「天皇の地位は私たちが守ります。どうぞお休みになっていただいても結構です。どうぞ天皇のご自覚はしっかりとお持ちになって我々の上にいてください」このように言うべきです。

 皇室典範を改正して「御一代限りの天皇のみ退位することを認めよう」など馬鹿ではないでしょうか。これは天皇を馬鹿にした言い方です。とんでもないことです。天皇は皇室典範を持ち出したことにより、憲法改正の流れを変えようとされているのです。だから、この問題を出されたのです。皇室典範の改正が終わらなければ、憲法改正の論議ができません。

 憲法に関する天皇のお考えはしっかりしています。「現行憲法でよい」というお立場です。「押し付けられた憲法にせよ、これで70年間の繁栄をしてきたのだから、あまり変える必要はないのではないか。天皇は象徴でよいのではないか」ということが、天皇の個人的なお考えです。

我が国の長い歴史からみると、天皇に私心はありませんが、これは私心の考えです。このように建て分けていかないと判断を謝ります。それは憲法の問題にも波及してきます。

 

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