天皇退位の問題 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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今年の2月~3月にかけて皇室典範の一往の骨子がでるらしいのです。しかし、有識者会議といいますが、どうしようもならない馬鹿ばかりです。根本的に天皇は退位するなど発言していません。そのことを忘れているのでしょうか? 学習院のご学友が「天皇は退位するなどと言っていません」と言われています。何故、そのような報道をされるのでしょう。

 天皇の国民に向けてのご発言、これはすごいことです。何故、国民に向けて天皇が直接お話になったのでしょう。本来ならば政治家に相談するべきであり、政治家を通り越して国民に直接退位の問題についてお話になりました。これは聞けば最もの話であり、何の不思議もありません。

 「私は90歳、100歳になったらまだ天皇を続けているのか、このことについて皆で考えてください」と言われただけです。自分が「退位したい」とか「疲れた」など一言も発言されておりません。

 天皇の意思を尊重して皇室典範を改正するのか、特別法をつくって一代限りの法律をつくるのか有識者が躍起になって馬鹿なことを言っています。

 皇室典範の改正と言うならば、12の宮家を戻せばよいのです。それが先です。GHQの命令によって宮家を廃止したのですから、12の宮家が存続していれば、後継者をめぐっての争いなどありません。皇室が危ないというならば、戻すことが先です。そのような骨太の理論ができないのです。

 天皇の血筋が絶えてしまうというならば12宮家を戻せばよいのです。その内の一人が竹田恒泰さんです。宮家を戻せばよいのです。そうすれば後継者はたくさんいます。何の問題もありません。

 これが先です。もし、一代法に限った法律をつくったならば、「私は天皇をやるのが嫌だから、なんとか退位する方法を考えてくれ」ということになります。「天皇のための特別法をつくって退位を認めます。その後は認めません」というのです。皇室典範をいじるということは、代々の天皇に応用されていきます。そうではなく特別法でやるということは、「この天皇に限ります」ということです。

 もし、そんなことを認めたら、「天皇を辞めたい」ということを自分の都合で述べたということを認めたことになります。そんなことはありません。天皇に「私」はありません。それをなぜそのような見方をするのでしょう。「天皇もお疲れになっている。だから、特別お辞めになることを認めましょう。」などと、有識者という連中が集まって言っているのです。この連中は馬鹿ではないでしょうか。天皇のお心を全く理解していません。

 「何故、天皇なのか?」というと天皇は「公」です。公だということを忘れているのでしょうか。天皇には「私」という心はありません。「疲れる」のは、「私」の心です。「年だから辞めたいのだ」これも「私」の心です。「次の皇太子に譲りたいのだ」これも「私」の心です。天皇は「大御心」ですから、そんなものはありません。最初から無いのです。

 平民の側から見ると、「天皇は自分と同じだ」と考えているから、天皇の大御心がわからないのです。平民は大御心ではありません。平民の心で天皇を考えているのです。それは許すべからずのことなのです。平民はどこまでいっても平民です。

 私も平民、有識者も全員が平民です。日本には、どうしようもならない身分制度があります。これは素晴らしいことなのです。

 天皇は「公」のことしか考えていません。平民はそんなことは考えていません。平民は自分のことしか考えていません。三井、三菱と、自分のことを考えているのです。天皇にはそれがありません。全国民のことを考えられているから「公」というのです。

 平民の側から見て「自分と同じに違いない。天皇もお疲れになるのに違いない」と考えているのです。馬鹿なことを考えるものではありません。天皇はそんなものではありません。天皇は神なのです。というと僕の思想は当分、理解されないと思いますが、それが基本です。メンタリティーの問題において、法律の問題で神だと決めることはできないでしょうが、国民のメンタリティーとしては「天皇は神である」ということを忘れてはいけません。

 神とは自分がないから神なのです。「私」があったら神ではありません。だから天皇陛下には姓はありません。藤原、源、平など姓を持っていますが、姓は部分です。日本国は全体です。全体の人に姓などはありません。

 「俺は藤原だ」「俺は源だ」と分割するから、「私」が出てくるのです。分割に固執するのが「私」です。天皇に「私」などありません。天皇はすべてです。ということは「お疲れ」もなければ「お病気」もありません。

 昭和天皇は晩年ご入院なされましたが、すべて医者の言われるままです。自然の流れに従っているので、「どうしても治りたい」ということもありません。もし、死が訪れるならば、堂々と受け取るのです。「治りたい」とか「何年生きたい」というのも「私」です。天皇はそれがないのです。これが天皇のすごさです。

 これを国民がもっと理解しなくてはいけません。公の心をもった人が天皇です。平民がグチャグチャ言うことではありません。東大教授だか有識者だか、何だか知りませんが、みんなド平民です。

 その大御心もわからずしてド平民の分際で、天皇の問題に口出しするものではありません。「女帝がいい」などくだらないことを蓮舫が言っていますが、蓮舫は中国人の詐欺師です。その連中が「女性天皇がいい」などくだらないことを言う者ではありません。

 やむを得ない事情があり、一時的に女性が天皇になったこともあります。その時に男系の天皇の子孫を探すのです。11代も離れたところから天皇を探したこともあるのです。血が薄いけれども男系の天皇の子孫を探して天皇にしたこともあります。その場合、女性天皇は引くのです。

 小林よしのりも大変よいことを言っていたのに、「女帝天皇論」は何でしょう。共産主義者のアナーキストが丸出しになっています。天皇は神です。神の戦争をしたのが大東亜戦争です。やむにやまれぬ戦争だったのです。

 僕のブログ戦後は朝鮮人が日本を支配した」(1月18日)を読みなさい。陸軍兵力、全て合わせて173個師団 陸兵約592万5千人、軍属等を含めると約600万人。戦闘機計1851機、爆撃機計1330機、偵察・輸送機計441機、練習機を含めた稼働機計7394機。軍艦も168隻もあったのです。

終戦時にはこれだけの兵力があったのです。戦争に負けてなどいません。592万人という戦力があり、航空機も7千機以上あったのです。何が戦争に負けたのでしょう。何もかも無くなって焼け野原になって「もう参った」と言ったのではありません。

 戦える兵力が十分にあったのです。592万人の軍人がいたのです。日本は戦争を止めたのです。何故、止めたのでしょう。何回でも言ってあげます。アメリカが背後を襲ったからです。戦っている兵隊ではなく、家族を皆殺しにしだしたのです。これはアメリカの手口です。アメリカ人はインディアンの家族を皆殺しにしてやっつけてきたのです。騎兵隊と戦ったインディアンが帰ると家族はみな死んでいるのです。アメリカ人はそれを繰り返してきたのです。背後を襲うのです。

 日本人はそんなことをしません。リングに武器を持ちこんだので、「これ以上戦いはできない」ということです。戦争をやっている日本兵の家族がどんどん殺されていくのです。これではたまりません。だから、これは一旦戦争を止めたのです。家族に対する皆殺しを止めさせたのが終戦です。小林よしのりは、終戦と敗戦の違いがわかっているのでしょうか。何もわかっていません。

 天皇は昔から男系です。それが我が国の伝統です。それを破ってはならないのです。イギリスは女王がいますが、他の国のことは関係ありません。我が国は我が国の伝統に基づいてやればよいのです。それが我が国の特性です。それを声を大にして言わなければいけません。その観念が今の連中にはありません。皇室は外国の真似をしてはいけないのです。

 他国が真似できないから皇室なのです。それがやがては世界を救うことになるのです。そうでないと世界は闇です。戦争・戦争・戦争が人類の歴史です。その闇を破っていくのは天皇の存在です。「女性天皇論」や「天皇もお疲れでしょう」などと天皇にくだらないことを言う奴は、ハッキリ言って馬鹿なのです。

 小林よしのりはいつから馬鹿になったのでしょう。少しはまともなことを書いていたのに、なぜ女帝天皇論なのでしょう。「今の時代は男女同権だと憲法にうたわれているから、皇室典範は憲法違反だ」などと、何を馬鹿なことを言っているのでしょう。憲法の中に天皇は入りません。憲法で男女同権と言い、皇室典範では「男子しか天皇に成れない」と言うのは憲法違反だと言うのです。

 憲法を超えた存在が天皇です。「天皇の地位は国民の総意をもって決めたシンボルです」と言ったのは進駐軍です。日本人がいったことではありません。「天皇は象徴である」と言ったのは占領軍です。それを何を有難がっているのでしょう。そんなものは我々はいりません。何故、そのように強く言えないのでしょう。

 あれは占領時におしつけられた憲法で占領軍がいったことです。メンタリティーでは、「我々の天皇は国民の総意で決める」などと言っているから、創価学会のババアどもから「天皇を食べさせてあげている」という愚かな考えが出てくるのです。天皇の存在があったから日本は連続しているのです。

 「天皇を食べさせてあげている」と学会はそのように教えているとわかったのです。とんでもない大謗法です。もっと有識者も考えなさい。天皇は憲法を超えている存在です。天皇は神なのです。

三島由紀夫が『英霊の聲』で言ったのはそのことです。「天皇が人間宣言をしてしまったら300万柱の英霊はどう思うのでしょう。天皇を神と信じて戦ってきたのです。その根本の神が「私は人間です」と言ってしまったら、これは意味がありません。英霊が怒っているぞ」と言ったのが三島由紀夫の『英霊の聲』という小説です。

 三島由紀夫には誤解がありました。天皇はそのような意味で言われたのではありません。よく読むとわかります。「私は神話を通して国民と向かいあってきました。今後はそれだけではなく、神話だけであるのみならず人間としての天皇の面も出していきます」と言われたのです。全文は否定していません。昔は神話と天皇だけです。「それだけではなく、人間天皇を出していきます」と宣言されたのです。

 天皇は本来の神を否定して「人間」と言われたわけではありません。三島由紀夫はそれを読み違えているのです。我々にとって大事なことは天皇の存在です。そして我が国は神国であるという自覚が大事です。それなのに何が憲法が大事なのでしょう。誰がくれた憲法なのでしょう。我らの伝統に基づかない占領軍に押し付けられた憲法を後生大事に考えて、グチャグチャ討論して何を馬鹿なことを言っているのでしょうか。

 まず、12宮家を皇室に戻しなさい。そこから考えなければいけません。憲法は「我が国は神国である」そこから始めるのです。それが他の国と違う謂われです。「我らは神の民である。天皇は神である」この自覚が世界を救うのです。世界を救うものは人間を超えたものなのです。人間は馬鹿同士だから人間を救えはしません。

 この1本を崩さないことが、やがては世界を救うことになるということが、わからないのでしょうか。頭でっかちで口だけが動いて、馬鹿野郎どもです。反省しなさい!

 

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