「北朝鮮」日本の民族地政学 9―① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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※左ー朝鮮のトーテムポール、右ーエベンキのトーテムポール

 

 このようなことがよく言われます。「北朝鮮は戦前の日本に習い、韓国は戦後の日本に習った」これが北朝鮮を表すときにおおざっぱに言われる言葉です。だいたいこれはあっていると思います。

 何があっているのかというと、北朝鮮の首席を中心とする全体主義国家は、天皇を中心とする全体主義国家と似ている面があります。デビ婦人は1年に1回くらい北朝鮮に行きます。その理由を尋ねられると「北朝鮮に行くと、戦前の日本に帰ったような気がする」と言うのです。確かに北朝鮮には、このような面があると思います。

 韓国のように毒々しく発展していません。清楚であり、服装もケバケバしくなく大人しい服装です。北朝鮮を見ていると戦前の日本に帰ったような気がするのです。これは民族性の問題です。

 しかし、よく北朝鮮について考えてみると、今は南北に別れていますがその昔は、百済・新羅・高句麗の3つに別れていました。韓国は三国時代があり、本来は3つの国です。この3つの国が高麗となり、李氏朝鮮となり、李氏朝鮮と日本が一緒になったのです。

 ひどい国と日本は一緒になったものです。朝鮮半島にいるこの連中は蛮族です。朝鮮民族はいなかったのです。これをみな勘違いして、「日本人と同じような立派な朝鮮民族が半島にいた」と考えているのです。

 朝鮮半島にいた民族は一つではありません。朝鮮半島の北から女真族、満州族、モンゴル族、濊族(わいぞく)などが、どんどん侵略してきたのです。

 よい例が済州島ではモンゴルの馬の放牧をしていたのです。言葉も蒙古語が近いのです。韓国語とちょっと違います。そのような地区があったのです。様々な民族が入り混じってつくられたのが「朝鮮人」です。ただし、北に行くほど蛮族が大きな位置を占めています。朝鮮人を同じ民族だと思わないほうがよいのです。韓国人と北朝鮮人は違う民族です。違って当たり前です。李氏朝鮮が強引に一つの国にしただけです。

 李氏朝鮮の前は高麗です。高麗の李成桂が王様を裏切って殺して、自分が高麗王になったのです。朝鮮全土を支配して中国の属国にした人物です。中国の属国李氏朝鮮が、朝鮮人の人格をつくってきたのです。

 血の流れ出いうと朝鮮人はエベンキ人です。エベンキ人は地上最低の蛮族です。韓国に行くと村の入り口には、「天下大将軍、地下女将軍」というトーテムポールがあります。村に入ると林があり、木には鳥のトーテムポールがあります。これはエベンキ人の風習です。韓国ではエベンキ人と同じ風習があります。

 日本の西武線には高麗駅がありますが、帰化人が大勢来た場所ですが、高麗駅の入り口には2つのトーテムポールがあり、「天下大将軍、地下女将軍」と書いてあります。朝鮮人にはエベンキ人が一番多く入っているのです。

 北朝鮮に行くと顔が細長くとんがっています。南の韓国人は顔がひらべったい顔です。そのような違いがあります。日本と一緒になった36年間に日本に同化してきた面もあります。それまでは違う民族だと思ってよいのです。

 南も北も両方共に共通して言えることは、人文字です。創価学会も一時、人文字をやっていました。相当大きな規模で人文字をやって、その記録は残っていますが、国立競技場でも何万人が参加して、大阪でも人文字をやっていました。創価学会は5~6年は人文字をやっていましたが、人文字の紀元は北朝鮮だったのです。

 そのときは、北朝鮮など知らないので「人文字は創価学会がつくった」などと言っていましたが、基本的なノウハウは北朝鮮からもってきたのです。北朝鮮と創価学会はズブズブの関係だということです。

 統一教会もそうです。3千名の統一教会の人間が北朝鮮で握手をしています。統一教会即北朝鮮と言っている人もいます。リチャード・コシミズ氏はそう言っています。そのようによくわからないところがあります。

 表だけみると韓国と北朝鮮は別の国に見えますが、基本的には同じです。何が共通しているのかというと、エベンキ人の野蛮性を持っています。第一番にウソつきです。第二番に残虐性をもっていますから平気で人を殺します。第三番に犬を食べます。これは北朝鮮も全く同じです。

 この「ウソつき」は朝鮮人の特性です。北朝鮮は「拉致被害者を返す」と言いますが、日本政府は悉く裏切られています。「約束をしても約束を守らない」という朝鮮人独特のスタイルは北も南も同じです。これは「交渉するべき相手ではない」ということがわかります。

 ところが、違う面もあります。これは金策(キムテク)の話です。北朝鮮には「金策市(キクテクシ)」があります。日本が終戦したときに、朝鮮人は「私たちは日本人だ」という意識だったのです。最初は「日本人として戦って戦争に負けた」と思っていたのです。だからアメリカに仕返しをされるのではないかと怯えて「我々は朝鮮人だ。日本に植民地にされたのだ。我々は植民地から解放されたから戦勝国である」と言ったのです。これを言うことにより朝鮮人は連合国軍より罰せられることを逃れようとしたのです。事実、そのようなことを主張したのです。

 GHQも「戦勝国ではなだろう。日本と一緒に戦ってきたのに何が戦勝国なのだ」と思ったのです。そのうち、GHQの考えが変わったのです。「この連中は利用できるな。準戦勝国という扱いにしよう。日本人ならば許さないけれども、朝鮮人ならば許すという論理をつくってやろう」ということです。

 モンテンルパンの所長だった洪 思翊(ホンサイク)中将は、GHQに「貴方は朝鮮人でしょう。私は日本軍に利用されたと言えば命は助けてやる」と言われたのです。ところが、洪 思翊中将は真に立派な人で「私は日本人です」と言ったのです。朝鮮人出身の日本人です。

 「私は日本人です」と言ったのでGHQにより死刑になった立派な人です。このような人もいたのです。「私は朝鮮人だ」と言えば許されたのです。それから、朝鮮人は「日本に植民地にされた」とみなが言い出したのです。

 日本は昭和20年に終戦しました。その後、半分朝鮮人、半分日本人という意識が続いたのです。その内、「そうだ、我々は戦勝国だ。第三国人の朝鮮人だ。朝鮮人だ」と言ったのです。するとすべて優遇されたのです。

 それでお世話になった日本に対して、朝鮮人は恨みで返したのです。それから「植民地にされた、お可哀想な朝鮮人」という話が定着してきたのです。それまでは、誰もそんなことを言っていません。(続く)

 

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