利便性と安全性 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

この問題は人類に突き付けられた大問題です。便利な世の中を造ろうとするのか、安全で豊かな世の中を造ろうとしているのか、これは「矛盾していない」という人もいます。利便性の世の中を造るから豊かな社会を生むのだという人もいますが、これは利便性が優先します。利便性には必ず危険があります。よい例が原発です。便利なものらしいのです。安価で多大な電力を生むことができると言っています。電気の費用は火力発電の30%で済んでしまうといいます。これは利便性です。

これにみな賛成するのです。青山繁晴さんは原発賛成です。「原発反対と言っている人間は現状を知らない」と言います。推進派でびっくりしたのは、渡部昇一先生が「原発推進委員長」をやっています。「原発をどんどんやれ」と言っているのです。

安倍さんも原爆推進派です。外国にまで「原発を売ってしまおう」と考えています。しかし、無理があります。今回の11月22日の福島沖の地震で冷却装置が停止してしまいました。こんな危険なものが太平洋側にずらっと並んでいるのです。福島原発、東海村、浜岡原発、女川原発、川内原発がずらりと並んでいます。原発を推進する人間はキチガイです。とんでもありません。まるっきり危険を感じない奴が推進しているのです。

危険性というと、飛行機など最も危険な乗り物です。それを言うと「飛行機は自動車事故より少ない」と言う人がいます。それで飛行機事故という問題を隠してしまうのです。では、「安全なのでしょうか?」というと安全ではありません。

何故ならば飛行機が落ちたら全員即死です。事故即死です。船は事故を起こしても逃げる時間があれば助かるので、全員が死ぬということはありません。航空機の場合は、高度何千メートルを飛んでいるので、飛行機が事故で落ちてしまったら全員が死んでしまいます。

こんな危険極まりない乗り物はありません。だいたい鉄の塊が空を飛んでいるのですから、考えたら恐ろしいことです。それを誤魔化すために、スチュワーデスや、リクライニングシートや、快適な空の機内サービスで誤魔化すのです。それは危険から目隠しをしているだけです。エンジン1個故障しても大事故につながります。

ディスカバリーチャンネルで航空機事故の原因をやっていますが、くだらないことで事故が起きています。操縦士の子供を操縦席に乗せて、子供が「操縦を教えてくれ」と言うと、お父さんがよせばよいのに、操縦席に子供を座らせてしまい、操縦させてしまうのです。恐ろしいことです。

或は自動操縦に切り替えて、スチュワーデスとチュッ・チュッやっているのです。奴らは慢性になり危険度がわからないのです。

僕も船の1級免許を持っているので、ときどき船に乗りますが、船は恐ろしいのです。自動車は右側通行と整理がついています。船はそれがありません。どこから来るかわかりません。一瞬の油断もできません。

下には潜水艦がいます。浮上してくると船がひっくり返ってしまいます。水産高校のえひめ丸の事故がハワイ沖でありました。視界が悪い場合は何も見えません。レーダーを使っても、いきなり目の前に潜水艦が現れたら避けようがありません。

船に乗って「よい船だな」と言っても、そんな気持ちはしません。いつも気をはって見張っていないといけません。船で火災が発生したらもう終わりです。船も危険です。どんな豪華客船でもタイタニック号のように沈むのです。乗り物はみな危険です。利便性を追求した結果、起きてきた問題です。

安全性を追求した文化からはこんなものは生まれてきません。どうなるのかというと、後進国と言われてしまいます。原発もない、航空機もない、船もない、非常に安全な国家です。人間が安全に過ごすためには、このような社会でもよいのです。危険性がなく、安全性を優先した国家です。

吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず、代はぎのう世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得このような社会がきたらよいのです。

安全性を追求すると安全性の文化ができてきます。例えば津波がくるから海辺には住めません。川辺にも住めません。崖の下もがけ崩れがあるから住めません。山崩れもあります。山には森林火災があります。危険だらけです。

安全性を文化に求めると、このような所には住めません。すると人口は増やせません。危険な所に住むから人口が増えるのです。安全な所に人口が密集してしまい、住めないから危険な所に承知して住んでいるのです。安全性を追求した文化では、危険な所に人は住めません。多少の災害があっても助かるところで生活するのですから、人口は少なくなります。

しかし、縄文時代のように安心して暮らせるのです。それでも結構楽しい生活だと思います。森へ行けばどんぐりも栗もあり、果物もあります。「縄文時代はお粗末な食生活だ」などウソで、非常に恵まれていたのです。

 縄文土器に魚を入れたり、山菜を入れたり、毎日美味しい料理を食べていたのです。自然そのもので、健康的な文化があったのです。

 その文化を踏みつぶそうなど、白人の悪い考え方です。そのような文化は大事にしていけばよいのです。世界もそうです。ビルの100階で火災が起きたら、助かりません。「僕はそのような文化は嫌だから、そのような所へは住みません」と言ってもよいのです。

 世界には様々な文化があってよいのです。「日本はどちらを目指すのか?」ということです。いずれにしても原発はいけません。何故かというと人間は放射能を処理できません。処理できないプルトニウムがどんどん貯まってしまうのです。

 「今から千年経つと、放射能を処理できる技術が生まれるかもしれない。その未来の人間に望みを託そう」など、トボケすぎです。そんな考え方はありません。未来の人にはツケを送らないということが大事です。

 原発事故の話はすべてウソでした。東電は「電気が足りないから節電だ」と言いましたが、電気は足りていたのです。今でも福島原発は動いていないのに、電気は足りています。何も困っていません。火力発電所の燃料が高いというならば、今は石油が安くなっているので、その問題も解決します。

 まだあります。火力発電が高いならば、水力発電もあります。水力発電は燃料を燃すことはありません。まだまだ日本の河川を利用すれば相当の水力発電所ができます。使っていないダムもたくさんあります。いくらでも発電できます。水力発電はダムを造り貯めた水を放流して電気を造ります。川に放水するのですから、また下の川で発電できるのです。何個でも発電所ができます。

 風力発電所もあります。日本には1千年分のメタンハイドレートがあります。メタンハイドレートを使えば、火力発電の問題は解決できてしまいます。何故、そのように考えないのでしょう。

 本当に原発を使いたかったら、放射能を消す装置を造ることが先決です。そこに最大の力を入れていくのです。それもできないことはありません。人間が造ったもんだから、無くすこともできるのです。

 福島原発の事故後、どんどんタンクを造って放射能を入れています。もう何百個もあります。すべて汚染された水が入っています。放射能を消す技術を造ればよいのです。僕には考えがあります。これはプラズマの技術を使ったらよいのではないかと思います。放射能は必ず人間が消せます。そのようなことをやらないで、「千年先に持ち越す」などという考え方は悪魔です。

 太平洋岸に原発がずらりと並んでいますが、再稼働させて何をやっているのでしょう。東電だけで1兆何千億円という廃炉の費用が組まれているのです。すべてそれが電気代に上乗せされているのです。いい面の皮です。どんなに失敗しても電気代に上乗せすればよいのです。

 このようなことを無責任にあおっている連中は大馬鹿者です。竹田恒泰さんは原発反対です。小泉元首相も「原発はなくてよいのだ」と言っています。それを安倍さんは何を勘違いしているのか平気な顔をして原発を増やしています。

 国力を上げる方法は他にもあります。そのような安易な考え方は止めなさい。国家は常に便利を取るか、安全を取るか、2つの選択があります。利便性だけを取って、国家の生産性を上げていくということが正しい道ではありません。

 多少2位か3位になろうと、安全性を重要視した社会を考えていく必要もあります。朝鮮系議員や、フリーメーソン系の議員が原発を推進しているのです。まず、頭の中をクリーンにしなければ、クリーンな政治はできません。

「利便性が何より大事だ」と言うとすべて曇ってしまいます。利便性とは「儲かる」ということです。儲かるために目が曇って「安全性などあるものか。一人や二人死んでも構わないんだよ」そのような論理になってしまうのです。それが最悪の政治家です。

 

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