原発の話 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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渡部昇一先生の最近の本『世界の地政学的大転換を主導する日本の中に「原発を推進する委員長をやっている」と書いてありました。渡部昇一先生は、僕が尊敬する人です。日本のことをわかって、歴史をよくわかって、重要なことを言われている人であるから尊敬もしていますが、どうも賛同できない点が2つあります。

 1つは、渡部昇一先生が上智大学の1年生のときに「キリストの洗礼を受けた」と言っていたことです。渡部昇一先生はクリスチャンだとわかります。僕の考えでは、クリスチャンに本当の愛国者はいません。キリスト教徒は一切信じないことにしています。

 何故かと言うと日本は神の国です。これは昔から言われています。クリスチャンの「神の国」とは、天国を神の国というのです。この思想は相いれなのです。

 「この世は神の国である」ということは、この世を肯定しています。だからこそ、「この世を美しくしていかなければならない」という思想が出てきます。それを修理固成(すりこせい)といいます。

 念仏の場合は、「この世は苦しい。汚れた世の中である。だから阿弥陀様にすがって西方極楽浄土に早くいきたい」と考えるのです。「この国は神の国」だと思わないのです。東条英機は神道の教育を受けた人で「この国は神の国だ」と思っているのです。しかし、念仏の宗教をもっていて「この世は穢土である。焼け野原である」という2つの思想をもっていました。念仏者の愛国者を僕は信じられません。

 念仏信者にとって、この世は穢土で最悪のところです。「早く死んで美しい極楽浄土に行きたい」という思想ですから、「この世は神の国である」という思想と相いれません。

 渡部昇一先生もそのようなキリスト教の天国を信じているのです。どうしてキリストの神の国と、日本の神の国が一致するのでしょう。一致することはありません。

 渡部昇一先生の歴史観は非常によいのですが、どこかにおかしなところがあるのです。そのように思っていたら、原爆を推進する側にまわっていたのです。おかしいのです。原爆推進は統一教会の流れです。渡部昇一さんは、新聞・世界日報(セゲイルボ)にも原稿を書いています。結構統一教会の影響を受けているのです。原稿を書くのは金銭面だと思います。

 そのような流れがあるかもしれませんが、「日本は絶対に原発をやらなければいけない」と主張しています。日本の未来はエネルギー政策によりつくられていくのです。原爆の持つエネルギーはすごいものです。水力や火力は原発のエネルギーの100分1にしかなりません。100倍のエネルギーを1基の原発でつくってしまうのです。

 「日本は工業大国であるから原発はやらなければならない」というのです。この原子力をモタモタしていると中国から逆輸入するようなことになってしまいます。だから「絶対にやるのだ」と言います。

 ところが反対の人がいます。小泉純一郎です。この人は自弁で全国を周って「原発反対」を説いています。熱心に説いてまわっています。「また総理大臣がやりたいのか」と思うくらいの熱意であちこちの団体で「原爆反対」を主張しています。

 どんな思惑があるか知りませんが、この件に関しては「正しい」と僕は思います。皆さんがご存知の竹田恒泰さんも「日本は原子力発電所がなくても電力は補給できる」と言っています。小泉さんは「何故、民進党は今度の選挙の争点の第一に原発のことをあげないのか」と言っています。民進党が「原発は反対である」と言えば喧嘩の争点になるのです。

 岡田代表のあの目つきは馬鹿で喧嘩が弱そうです。喧嘩はポイントを決めて「これだ!」とやらなければいけないのです。

 これは前から僕が主張していますが、「朝鮮を植民地にした」ということを入れてしまうから、日本が不利になってしまうのです。「植民地ではないだろう」と言えば、それから先の喧嘩はないのです。さすが小泉さんは喧嘩の名人です。「民進党はこれでやれ」と言っているのです。

 もし、福島の原発がもうちょっと事故が大きければ7千万人の住むところがなくなったのです。今は19万人以上がいまだに非難生活をしています。もう5年も経つのに、未だに家ももてずにいるのです。ちょっと間違えたら7千万人になっていたのです。

 その恐ろしい原発を日本は54基もっているのです。有り難いことに今はどこの原発も稼働していません。再稼働しようと思ったら故障してしまったのです。これは天の声です。「日本は原爆を造ってもいけないし、原爆を落としてはいけない」という声です。

僕は原子力の問題はこのように考えます。儲かるとか、便利だとか、そんなことで考えてはいけないのです。それも間違ってはいませんが、火力発電や水力発電などと比べれば、ものすごく便利で有効であることも事実です。

今度は能率や、効率ではなくて、安全面から考えたときに原爆は最低です。安全面からいうと原子力エネルギーは最低です。火力発電が火災を起こしても住むところがなくなることはありません。水力発電所が事故を起こしてもたいしたことはありません。安全面から言うと、原子力エネルギーは最低です。効率面からいったら最高です。人間は馬鹿だから効率麺だけで考えるのです。

石原慎太郎も「原発をなくして工業大国がやっていけるわけがない」と言っていましたが、しかし今はやっているではないですか。現在、福島の原発事故から5年も経つのにどこの原発も動いていません。十分やっています。後は、省エネの方向にいけばよいのです。LEDになってからどれだけ省エネになったかわかっていますか? 何百分の1です。

LEDの電池なら明るさもまし、今までの電池より100倍長持ちします。これからは省エネです。その方向へ行けばよいのです。原発を使わないで省エネに変えていけばよいのです。

メタンハイドレートもあります。海水の電気分解により酸素を取り出して、火力発電所もできます。頭を使えばエネルギーはいくらでもあります。今でも間に合っているのだから、コストを下げる研究をやっていけば電力は足ります。

考えてみれば発電所は一つの村で一つつくればよいのです。そうすれば電力などまかなえるのです。そのように考えていけばよいのです。工場で大きな電力が必要な場合は工場で電気をつくればよいのですが、それができないのです。

東京電力が電気を抑えていて、送電ができないのです。そんなくだらないことをやっていないで、各地方にまかせていけばよいのです。全体で電気を一斉に使う必要はありません。細かく発電所をつくればよいのです。そうすれば原子力など必要ありません。今度、事故が起きたら7千万人が住むところがなくなるのです。

何故そんなことをやる必要があるのでしょう。安易なのです。結局、東京電力のために、政治家が儲けるためなのです。何故かと言うと原子力発電所を1基つくると、何兆円というお金を使うのです。それにはすべてリベートが絡んでくるのです。

東京電力と政治家と建築業界とブローカーが分け合ってつくっているのです。原子力発電所を維持するのは莫大なお金がかかるのです。その管理をイスラエルのマグナBSP社に任せているのです。何故、イスラエルに管理をまかせるのでしょう。日本に技術がないのでしょうか。

原子力を人間は使ってはいけないのです。悪魔の火です。何故かと言うと人間には処理ができないのです。チェルノブイリ原子力発電所はいまだに使えないのです。アメリカにも事故を起こした原子力発電があります。一度事故を起こしたら原発は使えないのです。

ウランの処理を人間はまだできないのです。完璧に放射能を消すことができてから使うのは自由です。使えば使うほどゴミが貯まっていくのです。それを今から何万年先の人間に先送りしているのです。人間はプルトニウムの処理ができないのです。

できないから埋めているのです。壁が10メートルあるようなコンクリートの壁に埋めて、それに「デンジャー、危険開けるな」と書いてあるのです。誰かがそれを開けたら大変です。

「何千年先にこの原発を処理できる人がでてくる」という前提で集めているのです。今の人間には処理ができないのです。プルトニウムから放射能が消えるのが何万年かかるのです。福島も汚染水が出ているのに、未だに処理ができないのです。

人間は処理のできないことをなぜやるのでしょう。馬鹿というか悪魔です。原発を推進している人間は悪魔です。小泉さんが言う通りこれを争点にすればよいのです。民進党は次の選挙で「原発は絶対に反対!」とやればよいのですが、やりません。フランケンシュタインのような顔をして馬鹿なのです。

渡部昇一先生は尊敬しているけれど、この2点、クリスチャンであるということと、原発を推進するということは、渡部昇一先生とは思えません。当然反対するだろうと思っていました。大変残念に思います。


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