運のよい人を都知事にしなさい! | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。


※運が抜群によい東郷元帥


 ここ3年~4年の間に気象庁の予測では、70%の確率で東京直下型地震がくると言われています。すごい確率です。東京に住んでいるということはある程度覚悟しなければいけません。

 嫌ならどこかへ行かなければいけません。東京に住んでいるならば、大地震が来て巻き込まれるということは当然のことです。そう思って覚悟しなければいけません。

 しかし、自然災害というものは、いつ起きるかわかりません。これは昔から人間が悩んできた問題です。天地人というものが大事です。天を貫くものが天災です。地を貫くものが地震です。人とは、天をコントロールして、地をコントロールする人間は、人間もコントロールしなければいけません。

 人間の数だけ人間はバラバラです。それを1本にまとめていくと、ものすごい力が出てきます。現代文明も組織力が大事です。組織力がなければビルも建たないし、ピラミッドもできないし、何もできないで狩猟採集するだけです。その人間達を統率して一本にまとめあげると、そこに文明が生まれてくるのです。

 人間を一本にしてまとめる力にことを「王」といいます。「王」とは、三と書いて、真ん中に一本の棒が入ります。「王」とは、「天地人を貫く者」という意味です。

 科学的な方法ではなくて、昔からそのように考えられてきたのです。すると、日蓮大聖人様は世皆正に背き人悉く悪に帰すと言われています。すると、天災、地災が起きてくるのです。戦災も起きてきます。

 それを貫くところの君主は、運のよい人物でなければならないのです。個人もそです。運が悪い奴はダメです。運がよい人とくっつけば、ますます運はよくなり、悪い者とくっつくと泡のように消えてしまいます。

それと同時に国家を代表する首相は大事です。村山富市が首相になったときに、阪神大震災が起きました。あのジジイは白髪頭で、目をパチパチさせながら、「なんでわしのときばっかり、こんなことが起きるのじゃ」と泣いたらしいのです。すごい事件です。

それから3.11の時の首相は菅直人です。泣いて「なんでわしが首相のときに、こんなことが起きるのか」と言ったのです。人間と災害は関係しているのです。菅直人は「皇室をなくせ」と言っています。朝鮮人だから日本の歴史などわかっていません。

村山富市は社会党でした。社会党は中共の手先です。このようなときに、「ダーーーン!」と天災が起きて、天が怒るのです。

人間と天災、地災は関係ないように見えるけれども、ある面においては関係があるのかもしれません。古代人の方が直感は優れています。日蓮大聖人様は「正が乱れるところに地震、日照り、災難が起きてくるのだ」と言われています。

さて、この例をあげるならば、日露戦争のときに、東郷元帥です。この人は海軍兵学校を出ていません。イギリスの学校を出ているのです。イギリスのダートマスの王立海軍兵学校への入学を希望したのですが、「日本人は入れません」と言われて、海軍予備学校で学び、その後商船学校で学びました。当時、日本の海軍兵学校はまだできていません。

東郷平八郎は「イギリスに留学したい」と大久保利通に申し込むのですが、大久保は「ダメだ!何故かと言うとお前は口が軽い。ペラペラしゃべりすぎだ。お前の留学は認めない」と言うのです。

それを言われて東郷平八郎は思い当たる節があり、それから以降は「寡黙の東郷」と言われたのです。話を聞いてもしゃべらないのです。誰が東郷平八郎をイギリスに行かせてくれたのかというと、西郷さんです。

西郷さんに頼んだら「よか、行ってごわっせ」ということになり、西郷さんの援助で行くことになったのです。西南戦争で西郷さんが立ったと聞いたときに、「俺が日本に居たら必ず西郷さんにつく」と言っていたのです。東郷平八郎の兄弟は西郷軍について戦死しています。大久保利通は殺されてしまいました。西郷さんは自決です。自決と殺されるのは大変な違いです。

何しろ、東郷元帥はやることなすこと運がよいのです。奥羽戦争に海軍として従軍するのですが、船が一回も沈みません。どういうわけだか東郷元帥の船は負けないのです。それで、一目おかれていたのです。

そのときに「いよいよロシアとの戦争だ!」という準備を進めていました。当時の海軍大臣は山本権兵衛、連合艦隊司令長官は日高壮之丞(ひだかそうのじょう)です。山本権兵衛は日高に「お前、辞めろ」と言うのです。「なんで、おいどんが辞めるのか!そげな冗談を言うとただですまんでごわす!」と日高はものすごく怒るのです。山本権兵衛は、「連合艦隊司令長官を降りてくれ」と言うと、「誰が次の連合艦隊司令長官になるのだ!」と言うと、「東郷どんじゃ!」と言うのです。「東郷どんなら仕方なかっと」と、日高も泣く泣く抵抗はしなくなったのです。

それだけ東郷さんは「運がいい」と言われていたのです。「東郷どんといる船は沈まない」ということがずっと言われてきたのです。

東郷元帥の晩年の話ですが、学習院で「軍人になりたい」という人から質問を受けます。東郷元帥は「軍人になるのはいいけれども、海軍軍人になりなさい。軍人になると死ぬよ、海軍なら大丈夫だよ」と言うのです。

その時の学習院の校長は乃木大将です。乃木大将は真っ赤になって怒ったのです。何しろ、東郷元帥は運がよいのです。戦艦三笠は今、横須賀にありますが、紆余曲折を経て、今、横須賀につながれているのです。一時は米軍のダンスホールになったり、かっぱらわれたり、板まではがされて、鉄くずを持っていかれた時期もあったのです。今は治まっていますが、そこに東郷元帥の部屋もあります。背の高さは156センチです。非常に小さい人です。

三笠は旗艦です。旗艦とは日本を代表する船だから戦闘に行きます。バルチック艦隊が真っ直ぐに突進してくるところで、三笠がT字の回転をするのです。そんなことをやったら普通は大変なことになります。バルチック艦隊は大砲をバンバン撃ってきます。その真ん前で敵に腹を見せながら回転したのです。

やられる可能性は大きかったのです。戦艦三笠を見に行くと、大砲の穴があちこちに開いています。東郷元帥は連合艦隊司令長官だから、その一番先頭に立ったのです。「閣下、中へ」「わしに弾は当たらない」これなのです。舛添の馬鹿が逃げたなど話にもなりません。

この豪運と、その迫力があり、実際に戦争に勝ったのです。秋山好古もそうです。騎兵隊のコサック兵が突進してくると、馬から降りて立ち上がり、水筒に入っている酒をググッと飲んで「俺には弾は当たらない!」と言うのです。実際に弾は当たらないのです。

豊臣秀吉も大仏を造っているときに、大仏が地震で壊れたのです。すると、庶民は、「悪いことがあるのではないか」と、恐れおののくのです。秀吉は馬で乗りつけて「貴様、それでも大仏か。俺が射殺してやる!」と弓を引いたのです。すると「太閤様!」と拍手喝采になったのです。庶民は地震を恐れなくなったのです。

秀吉は「大仏は人々を救うためにあるのだろう。自ら壊れるとは悪魔だな。悪魔なら俺が退治してくれる!」と言ったのです。仏像に向かって弓を射るのは、当時大変な抵抗があります。それをやるから庶民が安心して「太閤様はたいしたものだ」となるのです。

自然災害と、それを指揮する指導者はそのような関係でなければいけません。それを「地震が来る」という情報を得て湯河原に3日も逃げて、外国に逃げて、「東京に1日たりともいたくない」という舛添のような馬鹿がどこにいるのでしょう。そうなったら腹をくくるのです。

そこで、都知事が腹をくくり「そうか、地震がくるかもしれない。どうするのか、逃げるのか、ここにいるのか。ここにいるならば腹を決めろ!」となって、大きな災害も未然に防げるのです。

逃げられるものならば逃げてもよいのです。しかし、東京にいる人は逃げられません。職業も住む所も捨てて、逃げる所などありはしません。どこへ逃げても日本全国地震が来ると言われています。

東海に行っても、東北に行っても、熊本に行っても、小笠原諸島へ行っても、どこへ行っても地震が来ます。逃げるところなどありません。日本列島は地震の巣です。そのようなときには、本当に運のよい人、「この人ならば、あらゆる災難をはじき返すであろう」という知力・胆力・行動力を持ったすごい人を長にしなければいけません。

これは一国の首相も同じです。安倍さんは口元が汚いのです。ほうれい線が下がって自信のない顔です。あんな顔では大震災は乗り越えられません。やはり、もっと運のよい男を探し出して、光り輝くこの首相の下に、この知事の下に団結できる運の良い男を長にしなければ、日本国はダメです。


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