生命エネルギーについて | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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エネルギーは世界の中に最初からあったのです。それが動き出して変化をしているのです。


ライプニッツにより提唱された活力という考え方があります。物は動きます。何の力により動くのでしょう。これを活力と言ったのです。しかも、この活力は伝わるのです。ビリヤードの玉を玉にぶつけます。この玉は止まりますが、ぶつかった玉が動きます。

ということは活力が伝わったと考えるのです。一つの玉は止まります。当たった玉は動いていくのです。そのようにして、活力は無限に広がっていくのです。これがのちにエネルギーという概念に変わります。

エネルギーには運動エネルギーもあれば、ポテンシャルエネルギーというものもあります。単純に物が動く原因は何かというと、それを活力というのです。どこに活力があるのでしょう。これは、宇宙の始めにあったという考え方です。

宇宙の始めに活力をもって、皆が動いているのです。その活力を止めたり、変えたりすることができるだけであり、最初からこのエネルギーはあったのです。これが宇宙エネルギー保存の法則というのです。

エネルギーは世界の中に最初からあったのです。それが動き出して変化をしているのです。変化をしてエネルギーになるものが無くなってしまったときには、エントロピーになってしまうのです。

エントロピーとは無秩序の状態です。エネルギーには秩序があります。秩序あるものが、どんどん伝わって変化をしていくと、最終的には無秩序のエントロピーというものに変わってしまうのです。これが破滅です。

宇宙の創造をしたときに、宇宙はエネルギーの活力に満ちていて、この活力がどんどん変化をして、長い時間が経つと、遂にはエントロピーが増大してエントロピーだけの世界になってしまうのです。これが世界の終わりです。「何もなくなってしまう」と、物理学者は考えたのです。だから、物理学者たちは悲観してしまい、自殺した物理学者が多いのです。

地球はやがてエントロピーが増大して無くなってしまうのです。地球が持っているエネルギーが、どんどんエントロピー化して、無くなってしまうのです。これが終末論を生むのです。

「なんだ、我々の存在は無秩序に向かっているのか」と考えたのです。地球は秩序が存在しています。「地球がいつかなくなり、エントロピーになり、終わりになってしまうのだ」と考えて悲観して、「早く死んでしまおう」という変な考え方が出てくるのです。

この考えは何かおかしいのです。宇宙の始まりのエネルギーに満ちた塊は、誰が創ったのでしょう。エネルギーをもたらす材料は、何もないのです。真空から創ったのでしょうか? このような理論になるのです。

そこで、ビックバン理論は「神の一撃」と言い、神様が最初の塊を創ったのです。その塊を神様が「バン」と叩いたのです。それが「神の一撃」と言うのです。それにより宇宙がエネルギーに基づいて散って、膨大な宇宙ができたのです。最後にはエントロピーが増大してなくなってしまうのです。

この理論は物理学の理論であるけれども、非常に大事な点を見落としています。それは何かというと、「生命エネルギー」です。物理学のエネルギーは、生命エネルギーという考え方は出てきません。

生命エネルギーは物理学に逆らっているのです。物が集まって生命が生まれます。生命は勝手に動くのです。エントロピーの方向へ向かって動いているわけではないのです。自分の存在を高めようとして、独立した体系として猿は猿、犬は犬、馬は馬で立派な馬になるべくどんどん秩序をつくっていくのです。

秩序をつくるのですが、食べ物というエネルギーの塊を取りながら、自分をつくっていくのですから、これはエントロピーとは反対の方向です。物理学では生命は説明できません。

何故、小さな卵子と精子がどんどん大きくなり、人間の形になり、或は猿の形になっていくのでしょうか。説明は不可能です。物理学の法則に逆らっているのが生命だとわかるのです。それを学者達は「人間も物質だ」と考えているから、「人間は物理学の法則に従っているのに違いない」と考えるのです。

生命は自己完結をしようとしているのです。完全体をつくろうとしているのです。猿も馬も完全体をつくったところで、老化現象が始まり消滅してしまうのです。エントロピーの世界に入ってしまうのです。

地球上の生命の中の最高峰は人間だろうと思います。完璧な世界をつくれる条件が、人間にして整ったということです。人間になると様々なことがわかり、エネルギーの秘密がわかっていくのです。自分の肉体はエントロピーの法則によりどんどん崩壊に向かっていくのですが、その中でつかんだ生きる人間の目的とは「人間性」です。

「人間性」は悟ることができるのです。そして、エントロピーの法則を脱することができるのです。悟った人には生もなければ死もないのです。エネルギーの法則を脱してしまうのです。秩序もないのです。悟りというものは秩序があって生まれてくるのですが、悟った人には秩序はもうないのです。

悟った人は、宇宙の創造と破壊の原理を脱してしまうのです。人間の生と死を脱してしまったところに、その人の生命があるのです。脱したところが「神」と言っているものです。神と合一していくということが、人間にして初めてできるのです。

動物になってしまったら、神と一緒になることはできません。人間しかこの道は開けないのです。それが人間の目的です。そのような生き方をするのが正しい生き方です。

それにもかかわらず人間は愚かな生き物です。物質の法則により、自分を物質だと思い込んでいるのです。獣と思い込んでいるのです。獣は欲望だけですから、頭の中にあるのは食べ物のことだけです。

その欲望充足に基づいて行動をして、生きているのが現代人です。これ以上の馬鹿はいないのです。人間の目的は豊かな生活をして、エネルギーをたくさん使い、電気をバンバン消費することではないのです。

神と一体になっていくということが人間の目的です。それを「悟り」と言っているのです。たまにはこのようなことを考えると面白いでしょう。


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