問題の本質をみる | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。



※朝鮮飲みをする、舛添要一


経済界、政界、そのようなところでは様々な事件が起きてきます。何故、起きてくるのでしょう。それには遠因近因というものがあります。舛添で考えても「舛添がなぜ東京都知事になったのか」という原因があるのです。

 舛添が都知事になったのは、近因が原因です。「都知事になりたかった」「チャンスを狙っていた」というのは、近因です。

 もっとつっこんで考えてみると、舛添が権力大好き人間で、「どんなものでも自分のものにしたい」と思い「公私混同すらない。公のものはすべて私のものだ」というような性質を持っていたならば、それは遠因です。

 何をやっても遠因が出てくるのです。国会議員をやっても、都知事になっても、自分が生まれながらにもっているものだから、消すことができません。必ずその性質が出てきます。

 その中の一つに、「舛添は朝鮮人だ」ということがあります。直接都知事になった原因は朝鮮人だからということではありません。誰かが「舛添さん、立候補しなさい」と言ったのは近因です。

本人の遠因では「権力が好きだ」ということと、朝鮮人がもっているインチキ性、これが舛添が都知事になった遠因です。

もっと遠くの原因があります。舛添にも宗教観はあるはずです。奥さんは創価学会員だから、創価学会の宗教観を持っています。舛添がどんな宗教を持っているか知りませんが、かならずもっているのです。多分、デタラメな真言密教系です。それも舛添が都知事になった原因です。

そのように本人の宗教観があり、本人の持っている「権力が好きだ」という性格があり、誰かに勧められたということがあり、都知事は生まれたのです。

例えば、会社を経営して失敗して借金ができました。その理由は女に手をつけたとか、毎晩豪遊していたとか、銀座に何百万円も使っていた、いろいろなことがあります。従ってこの人はこれで失敗したのです。それは近因です。

もっと遠い原因があります。それは馬鹿だったということです。馬鹿なのだから、このような奴は経営などできないのです。それが時の運に恵まれて、ブームに乗っかり、あやかったら成功しても、元々経営者としての素質がないのですからダメなのです。

だから、女に手を出したり、キャバレーで遊んだりしているのです。それは近因です。遠くの原因は馬鹿だったということです。馬鹿は経営者にはなれないのです。

例えば、彼氏ができて、くっつきます。「幸せな生活をしよう」と思っているうちに、彼氏が他の女をつくって逃げてしまいました。これは朝鮮人のパターンです。いろいろと考えてみます。「尽くしたりなかった私が悪いのよ」と考えます。これは近因です。

でも、遠因があるのです。深い原因があるのです。朝鮮人の考え方は、日本人と違います。朝鮮人は「女に子供を産ませれば、女は逃げない」という考えです。朝鮮人は女に子供を産ませて責任を持って可愛がるということはしないのです。女に子供を産ませれば逃げません。それは食っていけるか、いけないかは関係ないのです。自分は他の女のところへ行き、新しい子づくりをやるのです。まさに舛添です。

朝鮮人を選んだら、必ずそうなってしまうのです。セザンヌ、松居一代も朝鮮人を選んだのです。朝鮮人はいなくなってしまうのです。みんなそうです。関根麻里も朝鮮人の亭主と、別れる寸前まで行っています。

朝鮮人は、だいたい家を守る観念などないのです。女と仲良くしているのは、女が逃げないように仲良くしているだけなのです。「家」をつくるために頑張るという考えは、朝鮮人にはないのです。

朝鮮人との結婚生活など成立しません。朝鮮人に「家」の概念がないのですからうまくいくはずがありません。朝鮮人は「人間はやりたいことをやればいいんだよ。だからお前と別れるぜ」と言うのです。最初から朝鮮人の遠因があって、結婚生活は成立しないのです。

物事全てそうです。遠因と近因があります。もっと深いところから見ると前世の因縁があります。まだ、これだけ見たのでは浅いのです。人間は前世からの因縁があり、縁が深い人は必ず会うことになっているのです。

今世、前世とはまったく関係のないところに生まれても、スーと出会ってしまうのです。これは前世の因縁です。仏教で説くところによると、兄弟は来世、兄弟で生まれるわけではないのです。眷属妙(けんぞくみょう)として似た命として生まれるのです。

「来世も兄弟で生まれましょう」というわけにはいきません。今、兄弟でも、来世はどちらかが親になったり、子供になったりするのです。しかし、兄弟は命が似ているのです。だから、その中で親になったり、子供になったり、兄弟になったりするのです。

そのような遠因があり、離れているものは必ずくっついてしまうのです。これは、ちゃんと遠い原因があるのです。何もないのに出会うことはないのです。

お金持ちになることそうです。「あの人は運がよくてお金持ちになった」という人がいます。確かにそのような人もいます。宝くじにあたった人もいます。何故、宝くじに当たったのかわかりません。でも、これは近因を考えてみてもわからないのです。

ちょっと遠くの原因を見ると、「宝くじに当たる」という、過去世においてよいことをやっているのです。「良いことをやっている」という因縁を持っているのです。だから当たったのです。良いことをやっていない人間がいくら宝くじを買っても当たらないのです。買えば買うほどマイナスになるのです。

かなり遠く離れてみないと原因がわからないのです。お金持ちになるのは、2つの原因があって、過去の因があって、お金持ちになる人もいれば、今世で頑張ってお金持ちになる人もいます。ラッキーな面を除くと、お金持ちは馬鹿ではなれないのです。

何故でしょう。お金は皆が欲しいのです。誰だってほしいのです。「お金をあげる」と言えば、いらない人はいません。「もっとちょうだい」と言います。お金は誰でも欲しいのです。欲しいものを取り合うのですから、馬鹿が取れるわけがないのです。

馬鹿は最初からお金持ちになる道から落ちているのです。でも、親がお金持ちならば、本人は運がよいのです。前世の因縁でそのようになっていますが、本人が努力して何もない中からお金持ちなるということは本当にないのです。

たまたま運がよくてお金持ちになっても長続きしないのです。馬鹿だから、滅びてしまうのです。お金持ちになる法則もあり、健康になる法則もあります。物事にはすべて因縁があり、近因と遠因があります。この2つをずっと見ていくことにより、「この人間がどうなっていくのか」ということがわかってしまいます。

僕から見ると「これは馬鹿だな」とわかります。頭の中では「大金持ちになりたい」と考えていて、70~80歳のジジイになってしまったらダメなのです。そのような人は馬鹿だから金持ちになれません。

そのように物事を長い目と、近い目と、回りから見ていくという見方ができるようになると、境涯が進んできます




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