G7、伊勢神宮に大感動! | 中杉 弘の徒然日記

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G7の首相は、伊勢神宮に参拝して大感動しました。涙をながさんばかりに首相たちは感動したのです。泣いた人もいたのかもしれません。

アインシュタインが感動したことと同じことです。アインシュタインの有名な言葉です。

「世界の未来は進むだけ進み、その間に幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れる時が来る。そのとき人類は真の平和を求めて、世界の盟主をあげねばならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力でなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた、もっとも古く、もっとも尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。われわれは神に感謝する。われわれに日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」

アイシンシュタインもこのように言っています。何に感動したのかということを考えてみましょう。西洋の文明は、ギリシャ文明、ローマ文明など石の文明です。大理石を使い、ほとんど今と変わらない文明力をもっていたと考えられます。

船も今の航空母艦より大きな船があったと言われています。それは物質文明です。西洋人は、そんなものに感動してきたのです。日本の文化はそんなものではありません。むしろ、何もありません。「こんな物をよく人間がつくった」というようなものは何一つないのです。

G7の首相たちは何に感動したのでしょう。これを考えてみなければいけません。本当に感動したのです。それは歴史に感動したのです。伊勢神宮は、太古の2800年前の文明をそのまま形をとどめて残しています。しかも、自然と一体で人工物をゴタゴタと並べたものではないのです。

世界各国どこに行っても「感動する」というものは人工物です。ピラミッドにしても、ギリシャ建築にしても人工物です。「よくこんなものができたな」という感動です。

しかし、伊勢神宮は違います。さて、ここからが大事です。布(ぬの)というものは、横糸・経糸で縫います。横糸ばかり集めても布は絶対にできません。縦糸ばかり集めても永遠に糸は糸であり、布にはなりません。

布というものは縦糸と横糸が相互に組み合わさって面をもった布ができてきます。人間の歴史も同じです。縦糸に当たるものが歴史です。横糸にあたるものが民衆です。歴史というものは、布の縦糸にあたるものであり、歴史でもあります。日本の歴史は2800年です。こんな国は世界にはありません。

世界の歴史は横糸の歴史です。本来、横糸だけでは布は織れません。それを無理矢理に横糸をくっつけて文明であるかのように装っているだけです。そこには、歴史の継続性など何もないのです。あるのは、人間という野獣の世界です。

今、人間という野獣が繰り出している世界であり、そこには経糸がないのです。ローマのコロシアムを見てごらんなさい。剣闘士がいて、ローマ市民の最大の娯楽はコロシアムに集まって、剣闘士の殺し合いを見ることです。剣闘士と剣闘士が死ぬまで戦うのです。剣を持ち、武器を持ち、盾を持ち、剣闘士は猛獣とも殺し合うのです。おびただしい数の猛獣が捕まえられて、戦わせられたのです。罪もない猛獣たちが人間と殺し合うのです。それを見てローマ市民は腰が抜けるほど喜んでいたのです。これがローマ時代の娯楽です。どこにも文明などありません。

コロシアムに水をはって、軍艦を浮かべて本当に殺し合うのです。それを見て、ローマ市民は熱狂して喜んだのです。殺戮を毎日やっていたのです。

ローマ市民は王様が娯楽を与えてくれるのです。それは殺し合いの娯楽です。それから、温泉に入れてくれて、食料やお酒はタダでもらえるのです。これがローマ市民の娯楽です。ローマ市民はそれをよくしてくれる皇帝には感謝をしたのです。どこにも文明などないのです。殺し合いを見せて喜ぶなど、文明ではなく野獣です。

縦の歴史の流れがないのです。ローマ時代は過去のつながりが切れて、過去のつながりを否定することにより、現代を肯定するという考え方です。自分たちの歴史がつながっていると考えるのではなく、過去を否定しているのです。

「今までの歴史はよくなかった。皇帝を倒して貴族政治にしよう」と、どんどん過去の歴史を否定していくのです。

日本の文明はそうではありません。過去の歴史を最も大事にして、過去のものをそのまま残して、過去の人の意見を取り入れて、布というものをつくってきたのです。

韓国は気の毒ですが、縦糸がなくなってしまったのです。今いる人間が「日本が悪い。謝れ!」とわめいているだけで何の信念もありません。歴史がないのです。中国も同じです。殺し合い王朝を倒してきているのです。中国は易姓革命ですから、過去の物は何もないのです。過去に行けば悪い奴がいたのです。だから、今の文明が起きてきたのです。中国の過去は悪かったのです。

この「過去は悪かった」という考え方が、神話にもあらわれているのです。昔をたどれば先祖はみな動物です。人間は今は素晴らしいのですが、過去は悪いのです。「人間の前はきっと猛獣だったのに違いない」と思い、モンゴル人達は先祖は「青きオオカミ」と考えたのです。朝鮮人は「熊が先祖である」と言っています。そのような考えになるのです。

先祖を否定していくから、どんどん動物になり、「先祖は動物だったのに違いない」と考えているのです。これは進化論の一種です。

日本人は違います。我々の過去は神話によって裏付けされた神が創られた国なのです。神が創られた国であるから、その神の国は絶対です。大和の国は神の民であり、これは絶対です。過去に遡れば遡るほど、日本人は神をみるのです。

他の民族は遡れば遡るほど野蛮人を見るのです。仕舞には、動物になってしまうのです。

日本人は「神の国である」という自覚があるからこそ、大事にして保ってきたのです。日本では、神ではない種族が天皇の座を狙っても、決して天皇に成り代わることはしなかったのです。なんとなく「神の国である」と知っていたのです。

部族間の争いはあったにしても、神には届かないようにしているのです。神の子孫が天皇です。自分たちは領地を奪い合っていますが、天皇には届かないのです。天皇が2800年存在したということは、日本は「神の国」という縦糸を大事にしてきたのです。

縦糸を大事にしてきたということは、歴史に連続性があるということです。一つの歴史の目的があり、日本民族は守って追及してきたのです。縦糸と横糸が集まった歴史というものは、日本人しか持っていません。その象徴が伊勢神宮です。

伊勢神宮へ行けばそれがわかるのです。太古2800年前の世界がそのまま残っているのです。「古代の世界がそっくりそのまま残っている。これはタイムスリップしたのか」と思います。古代がそのままそっくり残っています。日本人はそのまま大事にしてきたのです。

天照大神がいて、神武天皇がお生まれになり、この国は建国されたのです。最高に尊い国です。どこの国がなくなってもこの国をなくしてはいけないのです。

この尊い国のために命を尽くすことは代々の喜びです。そのようなものがない朝鮮人、中国人は本当にお可哀想なのです。あの朴槿惠大統領のために朝鮮人は命を捨てられるのでしょうか。捨てられません。今度の大統領候補の藩基文に命を捧げられるのでしょうか。捧げられるはずがありません。本当に尊いものをもっていない国は必ずそうなります。

朝鮮人や中国人は正当性をもった国がうらやましくて、気が狂うほど羨ましいのです。日本人には絶対に勝てません。これに気が付くのです。涙を流して机をたたいて怨んでみてもダメなのです。何をやっても、どんなウソで塗り固めて日本人を引き摺り下ろそうとしても、歴史と伝統はできないのです。だから日本の勝ちなのです。ここが大事です。

この間、発表になりましたが世界一の金持ちは日本です。世界一のお金をもっているのは日本です。それだけではありません。世界の重要な7人の首脳が伊勢神宮へ参拝に来たということはそれを表しているのです。

日本の文化と天皇をなくして、世界が治まっていくことはないのです。アインシュタインの言葉にきっちりと入っているのです。「世界の未来は進むだけ進み、その間に幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れる時が来る。そのとき人類は真の平和を求めて、世界の盟主をあげねばならない。」世界が争いに疲れた時に、天皇が当てはまってくるのです。

G7のサミットを終えて、日本人は「すごい国に生まれてよかったな」と自覚することが大事です。


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