ドロボウが警察官になった? | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 深層ニュースで憲法問題をやっていました。憲法をどのように変えるのか、自民党がすでに試案をつくっていました。これをたたき台にして「いろいろと考えていきましょう」と言っていましたが、何かおかしいことに気が付きました。

 これはドロボウが警察官になったことと同じことです。憲法とは、そもそも権力者を縛るためにあるのです。我々庶民は憲法など関係ないのです。何故ならば何の権力もないからです。

 私が判断して国家のお金を10万円でもいじることはありません。政治家、官僚、公務員は、100兆円というお金をいじるのです。どこにどれだけのお金を配分するのかということが政治家の仕事です。

 その裏金の財政投融資を使うならば、300兆円という大変な金額です。それを政治家、官僚、公務員たちは使えるのです。

 100兆円、300兆円と簡単に言っていますが、1兆円のお金はどの程度のお金かと言うと、2800年前の神武天皇以来、毎日毎日100万円使ってまだなくならない金額が1兆円です。すごい金額です。

 それが100兆円もあっあたらどのように使うのでしょう。我々は国家のお金を10万円も使えません。何の権力もないのです。何の権力もないということは、何の仕事もできないということです。仕事は権力で行うのです。

 何もできない国民に何の憲法を与えようというのでしょう。我々には憲法は何の関係もありません。国民の側からいうと、我々を守ってくれるのが憲法です。法律と違うのです。巨大な権力をもった政治家、官僚、公務員たちに、「これはやってよろしい」、「これはダメ」というのが憲法です。

 それが政治権力を行使できる人間が憲法をつくるとはどのようなことでしょう。うまく言ってみれば、ドロボウが警察官になって自分が捕まらないような法律を当然つくります。同じことです。政治家が憲法をつくるのはおかしいのです。

 自民党改憲案では、憲法97条の基本的人権をすべて削除しています。21条の「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」に「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」という条文を追加しています。

 憲法の種類を考えてみると、欽定憲法・民定憲法があります。欽定憲法は君主が与える憲法です。イギリスのように文章がない憲法があります。誰が考えたか知りませんが、イギリス人は自然に習慣的にやってきたのです。その集大成があり、文章にはしていませんが、自然に法律に従うのがイギリスです。不文憲法はあるけれども、文章で書いた憲法ではありません。

 不文憲法の他には文章に書いた成文法の憲法があります。この憲法は誰が与えるのかは別にして、政治家を縛ることが第一番の目的です。権力をもった政治家に対して「このようなことはやってよいが、これはやってはいけない」ということです。政治家のために「こんなことをしなければならない」ということは憲法にはないのです。

 国民のために権力を持っている人間が「このようなことはしてよいけれども、このようなことはしてはいけない」と決めるものが憲法です。すると政治家が憲法をつくるというのはおかしいのです。

 憲法は誰かからもらわなければいけません。政治家の上にいる者がいなければおかしいのです。明治憲法は欽定憲法といい、天皇陛下が国会を開いて政治を行う人間達のために憲法をつくったのです。「この枠内で政治家は政治を行うように」と、天皇陛下からいただいた憲法が欽定憲法です。

 僕は「自民党の政治家が憲法をつくるというのは何か変だな」ということを感じています。これはよい憲法ができるはずがないのです。やはり日本は欽定憲法でなければならないのです。天皇一人が書いたというわけではなく、天皇を中心に政治から離れている人間が考えて、憲法を政治家に与えるのです。

 この考え方と似ているのは聖徳太子の17条の憲法です。この憲法は今の憲法とは全く違います。「篤く三法を敬え」と書いてあり、教育勅語のようなものです。「天皇は敬いなさい」、「和をもって貴し」、「仲良くしなさい」という話です。「やってはいけない」という話ではなく、「このようにしたほうがいいですよ」という話です。

 そのようなものではなくても、天皇からもらう憲法でなければダメです。天皇を中心に現実の政治と関係のない人々が集まって「このように政治をやってもらおう」とつくった憲法でなければいけません。政治家がつくるわけにはいきません。それをつくって政治家に「バン」と渡すのが憲法というものです。これを勘違いしているのです。

 帰化人の問題もそうです。帰化をするのに法務省は「憲法を守ってください」と言うのです。帰化人がなぜ憲法を守らなければいけないのでしょう。

 人間が何を考えても何をやっても憲法には触れないのです。クーデターを起こして国会議員を皆殺しにして「俺が政権を握る」と考えた人がいたら、これは憲法違反ではないのです。考えているだけならば問題はないのです。実行したならば罪に問われますが、どんなことを考えてもよいのです。我々は政治権力をもっていないので、どんなことを考えてもよいのです。

 政治権力を持っている人間が「あいつをぶち殺して議会は俺が独占する」と言ったならば、それはただちに大問題です。何の権力もない人間が「今の政治家はおかしい。皆殺しにしてやる」と言っても、言う限りにおいては憲法違反ではないのです。言論の自由です。

 我々庶民が考えたり、言うことは自由です。何の制限もありません。それを実行しようとするならば、「このような枠があります」という枠をはめます。するとそれ以上は動けなくなってしまいます。憲法で「我々は軍隊を持たない」と書いてあるのです。軍隊をもっていないことになるのです。

 ところが権力をもった政府が「軍隊をつくるのだ」と言えばできてしまうのですが、これは憲法違反です。憲法がある間はダメなのです。現在の問題点もそうです。

 政治権力は実態に応じて「軍隊が欲しい」と思うのですが、それなら憲法をなくさなければいけません。有る以上はその範囲内で仕事をしなければダメなのです。「基本的人権」と憲法に書いてあるならば、国民を引っ張って戦争に連れていくなど、基本的人権を無視することです。

誰だって戦争には行きたくありません。それを政府が「徴兵制だ!」と言って、国民を戦争にひっぱっていくと憲法違反になるのです。憲法により基本的人権が守られているのです。「戦争に行け」というのは、基本的人権が守られていないことなのです。

戦争に行くということは「お前、ぶっ殺されてこい」ということです。そこには何の人権もありません。そうなってしまうのです。それをよく国民が考えて見定めないとダメです。いくら自民党が憲法試案をもってきてもダメなのです。

 何故、天皇がつくならければならないのかというと、我が国の歴史を言わなければいけないのです。憲法の第一条には「我が国は他の国と違います。万世一系の天皇陛下が2800年にわたって治めている世界で希な国家が日本です。我々は日本国の歴史と伝統を守ることを決意します。そしてここに憲法をつくります」このように前文を置かなければいけません。

 それが自民党の試案にはないのです。何を守るのでしょう。守るものは縦糸です。人間の歴史は縦糸と横糸があります。日本は縦糸と横糸がある国です。これが世界に冠たる国なのです。アメリカ合衆国は横糸の国です。中国も韓国も横糸の国ですから縦糸がありません。

 着物は縦糸と横糸がないとできません。縦糸と横糸で布をつくります。国家もそうでなければいけないのです。韓国を見ても縦糸はどこにあるのでしょう。どこにもないのです。一貫して流れている縦糸がないのです。大統領は横糸です。選挙で選ばれた大統領は、歴史と伝統は何もありません。選挙によって選ばれるのですから、横糸です。横糸だけでやっている大統領制の国はもろくていつ潰れるかわかりません。

 アメリカ合衆国もオバマに忠誠を尽くすなど誰も考えていません。アメリカは横糸です。

 日本は2800年の長きにわたってずっと縦糸が継続されています。そこにいろいろな政治体制が入ってきますが、この両方があるからこそ丈夫な布が織れるのです。日本は横糸だけの国ではありません。それが我が国の最大の特徴です。それを言わなくてはいけません。憲法をつくるならばそのことをちゃんと言わなければいけません。我々にとって大事なものは天皇です。

 それと民主政治も大事なことなのです。民主政治は横糸です。縦糸だけでは一党独裁になってしまいます。縦糸と横糸があやなしている国家であるから、この歴史をもっている日本が世界で一番尊い憲法をつくらなければいけません。

 そのような自覚で憲法をつくらなければいけません。ドロボウが警察官になるような憲法は意味がないと思いませんか?



自民党憲法改正草案 問題個所

第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。
国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し常に公益及び公の秩序に反してはならない



第十三条
全て国民は、として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。



第二十一条

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。



2(新設)

前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。

 

第九十七条

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

   

基本的人権は削除

※自民党憲法草案にはまだまだ問題点があります。

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