司馬遼太郎史観について | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

土日にNHKで司馬遼太郎 思索旅行. この国のかたち 日本人とは何か?』という司馬遼太郎のエッセイを図形化した番組を見ましたが、まったくなっていません。「司馬遼太郎は馬鹿である」僕はこのように考えています。

司馬遼太郎は「日本列島は人種のるつぼだ。大陸から稲作農業をもって日本にわたってきた人々がいて、これが日本人の源流だ」こんなことをガンコに考えていたのです。

 稲作は日本から朝鮮半島に渡ったものです。そのような学問的な裏付けを司馬遼太郎は信じていないのです。いろいろなことを言っています。「人種のふきだまりが日本列島で、その先は行くところがないから仕方ないからここで仲良くしましょうと日本民族が生まれてきた」と言うのです。司馬遼太郎は何もわかっていなかったのです。

 「日本人は真っ暗な国民で、大陸を見ると一条の光があり、大陸は文化発祥の地だ」と言うのです。「大陸は素晴らしいな」とその文化を仰いでいたのです。具体的に言うと中国と韓国です。「大陸に文明があり、憧れます」などと馬鹿なことを言っているのです。

 九州に朝鮮人の下半身の死体が流れ着くと「ああ、異人様だ」と有難がって埋めて塚をつくったのです。そこに石で造った男性器を祀り、それを今でも崇めているのです。半分になった死体でも“異人様”と崇めてきたのが、この列島の人々だ」こんなことを言っているのです。

 司馬遼太郎は「この国は真っ暗闇で、中国と朝鮮には光がある」と信じ込んでいるのです。時代もそうなのですが、馬鹿なのです。何故、そんなことを考えているのかというと、司馬遼太郎は大阪の町人が原型です。大阪の町人が新聞記者をやっていて、兵隊に行くことになり、戦車隊の中尉だったのです。

 それでノモンハン事件を体験したのです。中尉の頃、ノモンハンに行っていたのです。日本の戦車を見て驚いたのです。「薄くてまるで紙の戦車だ」と司馬遼太郎は言っています。対するソ連の戦車は分厚い鉄でおおわれた装甲戦車です。「こんなもので戦いになるはずがないと思った」と本人が言っているのです。

 「本当の負け戦です。滅茶苦茶に負けてノモンハンから逃げてきた」司馬遼太郎はそう言っていますが、ノモンハン事件を調べると死者はソ連の方が多いのです。紙のような薄い戦車だったのでしょうが、死んだ人間はソ連兵の方が多かったのです。何故、そこに注目しないのでしょう。

 茨城県に日本の戦車隊が逃げてきたのです。隊長が「敵はこの大洗に上陸してくるのに違いない」と言うのです。すると住民が「助けて」と逃げてきます。戦車はそこに向かって進むのですから住民とぶつかります。「ぶつかったらどうしますか?」と司馬遼太郎が聞くと戦車隊の隊長が「ひき殺せ! 住民は皆殺しにしてやる」と言ったのです。

 それを聞いてあきれ果てたのです。自国民をひき殺すなど、なんたる軍隊なのでしょう。しかし、それも司馬遼太郎のウソなのです。もし、そんなことを隊長が言ったとしても一時の方便です。戦車は進む、住民は逃げて来るので「多少のことは仕方ない」と言ったのかもしませんが、本音は自国民をひき殺すなどと考えているわけがありません。

 司馬遼太郎は、ノモンハン事件と戦車隊の隊長の発言から日本が大嫌いになってしまったのです。それから戦争についてのめって考えてみたのです。「明治期は良かったのだ」と言うのです。昭和期は最低です。明治期はなぜ良かったのかというと、急速な明治維新が行われたからです。「何故、明治維新は成功したのか」と考えたときに、「これは武士に原型があるのだ」と考えたのです。

 日本には武士がいました。この武士が非常に合理的でかつまた、「名こそおしけれ」という大きな道徳があったのです。「この精神が鎌倉時代からあり、これが武士の原型で、世界に誇るべき原型だ」と言うのです。

 昭和はなぜダメになったのかというと、これは軍部が独裁になって勝手なことをやったというのです。ちっと待ってください。アメリカの日本侵略計画(オレンジ計画)はどうなったのでしょう。それを司馬遼太郎は考えていません。先の大戦は軍部がかってに戦争を起こして、軍部が暴れまくり侵略しまくったというのです。

 あれは侵略ではありません。已むに已まれず、外国から狙われて集中攻撃を受けたのが、大東亜戦争です。司馬遼太郎は、その次元が欠けているのです。「日本軍が暴れまくって日本軍が悪いのだ。昭和は最低であった」ということを言うのです。

 これは一言言わなければいけません。物の見方はいろいろあります。「日本の歴史は世界に誇るべき歴史だ」と司馬遼太郎は言っています。「なぜ世界に誇るべき歴史なのか」というと、武士で止まってしまっているのです。「武士の道徳観が今日の日本をつくった」と言うのです。

 それは違います。日本が立派なのは天皇がいるからです。これがかけているのです日本の歴史は天皇の歴史です。天皇のもとに国民が心を合わせたのが日本の歴史です。日本の歴史は「俺たちだけがよければよい」という歴史観ではないのです。

 日本人は皆が一丸となって、公(おおやけ)を実践してきたのです。他の国には公がありません。「私は日本国民であると同時に私利私欲も追及していますが、いざと言う時には公が大事です」このような考え方が日本人にはあります。この公の源にあるのが天皇です。この意識が抜けると司馬遼太郎のような意見になります。



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