三島由紀夫「死は自分で決めるもの」 | 中杉 弘の徒然日記

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 三島由紀夫は昭和45年11月25日に死にました。命日の日が過ぎ去りました。いろいろな意味をもった作家ですが、「一番この作家が恐れたものは何か?」というと、死ぬことだったのです。

 最も死を恐れたが故に勇敢な割腹自殺を遂げたのです。これは、矛盾しています。死を最も恐れたのです。しかし、割腹自殺という非常に勇気のある、ちょっと真似できない最後を迎えたのです。

 三島由紀夫は「生きている」とは、「自分でつくっていくものだ」と思っていたのです。「生きていく」ということは、自分でコツコツ積木細工を造るようにコツコツと仕事をしたり、三島先生の場合は小説を書いたり、いろいろなことをコツコツと積み重ねていくのです。

 積木を積み重ねていくと、今度は壊していく時期がくるのです。この壊していく時期は自然です。自分で創り上げたお城、これを人に壊されるということは、たまらないのです。「これは僕のつくったお城です」、誰かがきて「変な物をつくっているんじゃないよ!」と壊されたら壊れてしまいます。その死を恐れたのです。

 だから、三島由紀夫は「自分で壊す」ということをやったのです。ボディービル、ボクシング、剣道をやり、体を極限まで鍛えて、剣道も5段になったのです。「カッコいいだろう!」ということです。三島先生が亡くなったのは、45歳です。

 最高の肉体美と健康美をつくりあげて、積木細工で「すごいのができたぞ!」と思っているときに、誰かに壊されたら大変です。「壊す」ということは、癌になったり、病気になったり、事故に遭ったりすることです。それはたまりません。「自分がつくり上げた世界は誰にもあげない。誰にも譲らない、壊させない!」と思ったのです。「誰が壊すのか?」というと、「壊すのは自分だ」ということになるのです。

 そのように死をとらえたときに、死というものは怖くなくなってくるのです。「俺が自分で壊すのだ。人には壊させないぞ!」ということです。三島先生は、癌になって、病院にいて、あちこち管だらけになって死ぬなど耐えられなかったのです。だから、潔く自分でつくったものを自分で壊したのです。

 これが市ヶ谷の割腹自殺の基本的な精神構造です。人間は壊すことに魅力を感じる人もいるのです。普通は物をつくることに魅力を感じます。三島先生は体質的にはマゾなのです。最初の頃に書いた小説に『仮面の告白』という小説があり、セバスチャンというキリスト教の坊主が、十字架にかけられて矢を何十本も撃ち込まれて苦悶に満ちている表情をした絵があるのです。それを見たときに、「ああ!俺もああなりたい」と感じてしまったのです。だから、マゾなのです。

 「矢を打ち込まれて、どのような気持ちになるのか?」と思って、「そうなりたい」と思ったのです。サド侯爵とか、いろいろな話がありますが、マゾの心理はそうなのです。それで、三島先生は自分で自分を壊して死んだのです。

 「絶対、癌にはわたなさい。老衰など、私には無用である」と思い、最高潮に肉体と精神をつくり、最高の頂点で壊したのです。すごく勇壮です。そのようにして死を消極から、「俺が選び取るのだ」と死をみた場合、急に人生は明るくなるのです。

 人間一番元気のよい時は何か? 「明日死のう!」と決めて大通りを歩いてみてください。何も怖くありません。「どけ、明日俺は死ぬのだ。お前はいつまで生き延びているのだ、バカヤロウ!」と思います。誰かが喧嘩をうってきても、すぐに殴ってしまいます。殴った結果、警察に連れていかれて豚箱に入れられるのは苦痛です。明日死ぬのですから、そんなことはもうないのです。

 道は真っ直ぐに歩くのです。「明日死ぬ!」と決めたら、「お前、どけ!」と、誰が何を言ってもきかずにまっすぐに歩いていけるのです。その時こそ人生はバラ色だと言っているのです。

 実際に自衛隊の市ヶ谷の門をくぐった時に、三島先生は制服を着て5人で堂々と正門の前を闊歩したのです。すでに三島由紀夫の腰には名刀関孫六の軍刀がつってあったのです。止められて「先生、お腰のものは何ですか?」と聞かれて「これは指揮刀だ!」と答えて入ったのです。門番はあっけにとらわれて何も言えないのです。それで総監室に入ったのです。もう死ぬのだから何も怖くないのです。「そこをどけ!」と真っ直ぐに入っていったのです。

 「その時が人生最高の感動と生き甲斐を感じるはずだ」と言っているのです。たしかにそうかもしれません。みなおどおどして恐れています。「あの憎たらしい奴を殺したら刑務所に行ってしまう」明日死ぬのですから、そんなことも考えていないのです。

 出て来る奴はぶっ殺すのです。そのような気持ちでよいのです。人生は逃げてばかりで癌になって病院で管をつけられてうなるのもいいけれども、やりたいことをやって人間は必ず死ぬのです。

 一度生を得て滅せぬ者のあるべき」、「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」(敦盛)、そのような心境でいけるのです。それを言っているのです。

これを任侠映画などでも引き継いでいて、高倉健などもそうです。「やる!」と決めたらやるのです。それまで無法なことにじっと耐えていて、ドスをもっていくのです。その時の雰囲気が最高です。「やる!」と決めたのですから、何も恐れないのです。

 三島先生は、このような点で、鶴田浩二と通じるところがあったのです。「世の中我慢ができん。やりましょう!」、「君もやるか!」、「お互いにやりましょう!」と言っても、鶴田浩二は根性がなくてやれなかったのです。鶴田浩二は特攻隊と言っているだけで実際は整備兵だったのです。映画俳優だから、三島由紀夫とは合わないのです。

 「益荒男(ますらお)がたばさむ太刀の鞘鳴(さやな)りに幾とせ耐へて今日の初霜
散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐」

三島先生の辞世の句があります。この気持ちがわかります。「この馬鹿馬鹿しい世の中、ぶっ殺してやるぞ。抜け、抜けと刀が言っている。それを「待て!」と言ってきたけれども、今日初めて刀を抜く日がきた」これがその歌です。「今日は抜いた!」ということです。これが三島由紀夫の死生論です。




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